勝山{勝山城・滝山城}(かつやま)島根県安来市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012年5月13日 登山口 →0:35→ 尾根出合 →0:30→ 山頂 →0:25→ 尾根出合 →0:30→ 登山口 全歩行時間 2時間 0分 山口県の山(山と渓谷社)の著者、中島先生と一緒に久しぶりに島根県の山へ向かう。展望広がる車山登山の後、次は安来市広瀬町の石原地区の上にそびえる勝山へ向かう。この山は滝山城とも呼ばれ、毛利軍の尼子攻めの際、毛利軍が京羅木山からこの山へ移動し、月山富田城の動きを逐一見張っていたものと容易に推測できる山である。 この山の情報について、山口県在住の私には何の知識も無かったのだが、最近「松江人の日帰り登山」というブログを見ていると、何回かこの勝山という山名を確認。同ブログで「羽根ヶ谷山」についての資料を吉田交流センターで配布しているとの案内があったため、同センターへ連絡した所、安来市在住のNさんを紹介された。 幸運にも同氏より私宛に連絡が入ったので、この勝山とこの後に登る予定の三笠山について、登山口と登山道の情報をお願いしたところ、すぐに詳細かつ貴重な情報を頂いた。よって今回念願の勝山へ登ることができた次第である。 N様、本当にありがとうございました。また、きっかけを与えて下さいました「松江人の日帰り登山」の開設者のT様、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
さて、歴史ある勝山へ向かうことにする。登山の起点を有名な足立美術館とすれば、美術館前を走る県道34号を新宮橋へ向かって南西へ約1.2km進む。右に三洋繊維工業を過ごし、この先の信号の無い交差点の右手に「交通安全母子祈願像」を確認して交差点を右折する。 川沿いを北西へ進む この先の橋を渡り、川沿いに北西へ向かって約400m進むと、右へ分岐する道を見つける。この分岐点に置かれてた「石原勝山ハイキングコース」の案内を確認すればもう大丈夫。周辺の邪魔にならない場所に車を置いて登山を開始。なお、この分岐の左には墓所があるので、もう一つの目印とすることができる。
分岐を出発、舗装された緩やかな傾斜の坂道を進めば、間もなくT字路に着く。正面に最後の民家を見て分岐を左に採るが、民家周辺には車を置くスペースは無い。従って、この付近に車を置くことは当然厳禁である。どうしても最短距離を採りたいのであれば、自己責任の上で、この先の林道終点まで進めば、数台の駐車スペースは用意されている。但し、未舗装道であるので充分注意されたい。
さて、我々は民家の前を過ごして分岐を左折、この先から未舗装道へ変わり、右にのどかな棚田を眺めながら進む。真北に見えている青葉の美しい山がこれから向かう勝山。こんなに近い位置に見えているのに登山時間が1時間もかかるのは、アプローチが長いのと、直接山頂へ向かうには、あまりに急斜面なのだろう。 林道終点には案内が立つ やがて林道終点へ到着、この付近は少し広くなっており、前述の通り数台駐車することは可能である。林道の奥へ進み、コンクリートの橋を渡る。ここにもハイキングコースの案内が置かれており、この先の要所でこの案内を見かける。林道終点からしばらく沢沿いにつけられた明確な登山道を進む。
足下にはゴロ石が多く、滑らないよう注意が必要だが、明確な道が続いているので進路を誤ることはない。沢を吹き抜ける風は心地よく、ただ歩いているだけで幸せ感あふれる登山道が続く。
青葉の季節にこの道を歩けることに感謝しながら沢沿いを進めば、沢の近くに石組みを見つける。こんな場所にも生活の跡が残っていることに驚くが、先日登った山口県の山では、峠付近まで棚田が残っている地区もあった。山口県における隠田(江戸時代、毛利藩の重税{年貢}逃れの為、農民が秘密に耕作していた田んぼ)はよく見かけるが、島根県でも同様のことがあったのだろうか。遠い昔に思いを馳せながら緩やかな傾斜の坂道を進む。
周囲に植林が目立ち始めた頃、進路は折り返すように東へ向き、少しの坂を登れば平坦な尾根に着く。ここで勝山へは右へ向かって進路を採るが、左(北西)方向にもテープが巻いてあるので少し進んでみた。これは京羅木山へ向かう道だろうと推測される。元の道に戻り、地図を確認すると、この周辺には三角点が置かれていることが分かる。ただし、倒木のひどい場所もあり、この三角点には大きな価値はないため、勝山を目指して南東方向へ進む。
左に地図上の破線の道(旧道)を過ごすが、ここにもハイキングコースの案内が置かれているので迷いようがない。案内に従い少しの坂を登るが、この周辺の新緑が本登山中、一番の美しさである。また、左植林帯、右自然林の明確な区分けを確認しながら歩くのも楽しい。
ピークを越えた先に突然現れる風景にはいつも驚かされるが、今回は輪を掛けてすごい。目の前には新緑の美しい勝山、その先にはなんと尼子氏の居城の月山富田城。勝山越しに眺める富田城は勝山から丸見え状態であることが遠目ながらに分かった。 また、もう一つの驚きは、目の前にそびえる勝山のピークへ向かうためには、これから一旦鞍部へ下って登り返さなければならない。ただし、こんな苦労は山歩きの中では毎度のことなので苦にならない。
山腹につけられた道を斜めに下り、その先からはジグザグを描きながら更に高度を下げる。やがて鞍部へ下って一気に登り返せば堀切に着く。この場所に置かれた案内に従い、左方向へ進路を採れば、堀切の先に豪快な竪堀をいくつも眺める。なお、堀切から直接竪堀へ続く配置は珍しいそうだ。
左に竪堀を眺めた後、すぐに進路を右へ採れば平坦な郭跡に着く。この先からは尾根沿いに南西へ向かい、少しずつ高度を下げる。平坦な郭跡などを眺めながら、ここで尼子軍と対峙していた毛利軍の心境を思いやる。今でこそ我々のような山口県・広島県からの日帰り登山は当たり前だが、戦国時代には長い時間をかけてこの地まで来ていたのだろう。
さて、勝山登山も終盤、ところが展望は一向に開けない。いったいどこが見えるのだろうかと思いながら歩いていると、平坦な勝山の端へ着き、手製のベンチの先から南に月山富田城を見下ろすことができた。まさしく見下ろすという言葉がぴったりで、たぶん富田城内の動きは全てお見通しの場所であることが分かる。 展望地より眼下に月山富田城を見下ろす この位置に立ち、勝山城が戦略上の重要拠点であることを認識することができた。ベンチに腰掛け久しぶりに双眼鏡を取り出し月山を眺める。奥に建物が見えているが、これは二の丸跡と思われる。勝山での記念撮影に際して、特徴的な場所を探すと、土塁だけはっきり分かった。そこで土塁をバックに写真を撮る。
しばらく周囲に広がる展望を眺めた後、下山を開始。下山と言ってもしばらくは高度を上げて行き、常識とは少し違う変な下山である。勝山のピークと月山を眺める展望地まで戻り、再度展望を確認、何度眺めてもすごい景色である。更に旧道の分岐を通過し、沢に向かって下る。この先はゴロ石に気をつけながら坂を下って登山口まで帰り着いた。この勝山は、登山も下山も時間のかかる山であるが。城の持つ役割というものが認識できる貴重な場所と思われる。 京羅木山(左)から勝山(右)へ続く稜線 涼しげな沢 歴史ある石組 勝山ピークと月山富田城 勝山山頂から月山富田城と眼下に広がる展望 前の山 車山 を見る 次の山 三笠山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 島根県安来市 勝山 登山口付近のMAP |
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