山(がっさん)富田城 島根県安来市広瀬町

2016年5月4日 登山道整備中の月山富田城を見る

2007年9月6日

月山富田城

道の駅 →0:30→ 山中御殿 →0:30→ 月山山頂(勝日高守神社)

 →0:25→ 山中御殿  →0:20→ 巌倉寺 →0:10→ 道の駅

全歩行時間 1時間55分

 安来市広瀬町の「道の駅広瀬・富田城」より散策を開始する。道の駅周辺は少し霞んでおり、向かいに見えるはずの京羅木山は霧の中で確認することが出来ない。しかしながら、眼下に流れる飯梨川はとても美しく、朝の澄んだ空気の中で眺める風景は、心に染みるものであり、心を洗われるような気がする。

月山(新宮橋より) 飯梨川(新宮橋より)

 爽やかな朝の散歩気分のまま、月山富田城に向かうことにした。月山富田城、山陰の雄である尼子氏の居城として有名な城であり、山陰の麒麟児の異名を取る山中鹿之助(幸盛)の「願くは我に七難八苦を授け給え」と三日月に祈った逸話も有名である。

道の駅 広瀬富田城 史跡富田城跡全体地形模型

 さて、飯梨川を右手に見て道の駅を出発、安来市立歴史資料館を左手に見ながら進むとその先には「史跡富田城跡全体地形模型」が設置されている。月山と富田城の地形を確認した後、左手の分岐に向かう。周囲には富田城入口(御子守口)や月山・太鼓壇の標識が立っているので入口を間違えることはない。舗装路を進んで行くと、左に石段が見えてくるので、滑りやすい石段に向かい、少し登るとすぐに広い太鼓壇(千畳平)に到着した。(この石段はとても滑りやすいので特に注意)

左の階段に向かう 滑りやすい石段

 太鼓壇の説明板には次のように記されている。

 太鼓壇は尼子経久の頃、この丘に太鼓をつるした建物を建て、時刻を知らせたり、又攻め太鼓として士気を鼓舞した。太鼓のあった壇というのでかく言うのである。出張った石垣の所は、「櫓跡」で、昔はこの辺りに数ヶ所の櫓があり、厳重に城を守っていたのである。

太鼓壇公園

 正面には現在休業中の茶屋が立ち、その横には樹齢400年以上と大変に歴史を感じさせる椎の木が立っている。この椎の木は7年にわたる尼子・毛利の攻防戦を黙って眺めていたようで、説明板には次のように記されている。

 この椎の木は樹齢4百年以上のもので、尼子毛利攻防時代からのものと言われています。尼子氏は永禄年間籠城7年を戦い抜き、遂に兵糧攻めによって毛利に降参しましたが、当時の山城には多くの椎の木を植え、その実は食糧の足しにしたといわれています。この椎の木も当時の名残をとどめる唯一の古木で、昭和の始頃までは、毛利の射た鏃が残っていたと言い伝えられています。この千畳敷(尼子の勢揃い場)はこの木が残っているために「椎の木平」とも言われ、長い歴史を無言のうちに見て来たこの椎の木は、ここを訪れる人たちに限りない愛着を感じさせています。

椎の木

 千畳平周辺には美しい花が咲いており、ゆっくりと周囲の花を観賞しながら進んで行くと、正面に尼子神社を眺める。早速に尼子神社に参拝し、緩やかな坂を登って行くと、三日月に向かって祈っている山中鹿之助の像を見る。この周囲が太鼓壇のようだ。

尼子神社 山中鹿之助像

 太鼓壇から更に左手の道に向かうと、戦没者慰霊塔の立つ書院跡に着く。真夏のこの時期には書院跡から先に夏草が茂っており、少し草を踏みしめながら進むことになるが、踏み後は確かなので迷うことはない。更に進むと花ノ壇に到着、この周囲にはその昔、花が植えられていたそうだ。

奥書院に立つ戦没者慰霊塔 花ノ壇への道は夏草が茂っている

 花ノ壇に着いて初めて正面に月山の姿が見えてきた。少し霞んでいるがはっきりと山頂方面を確認することができた。花ノ壇の先には2棟の建物があり、建物を抜けた先には山中御殿への標識が立っている。

花ノ壇 花ノ壇から眺める月山

 階段を上るとその先は広く平坦な山中御殿だ。正面には月山、周囲にはとても広い山中御殿跡、御殿跡の広さにはびっくりしてしまった。

山中御殿跡から眺める月山

 山中御殿跡に立つ富田城の説明板には次のように記載されている。

 富田城は能義郡広瀬町富田に位置し、飯梨川右岸の月山(海抜197m)を中心にして築かれた複郭式の山城である。城郭は内郭、外郭から構成され、塩谷口、お子守口、菅谷口の三つの入口がある。周囲は断崖絶壁が多く、防衛上、軍政統治上も欠くことの出来ない立地条件を具備しており、中国地方における中世城郭の代表的な城跡として重要視されている。

 伝承に寄れば、保元、平治の頃平氏の部将によって築城されたと云われる。文治元年(1185年)佐々木義晴が出雲の守護として入城以来、それ以後塩治、佐々木、山名、京極、尼子、毛利、堀尾の各氏が歴代城主として交代しているが最も栄耀栄華をきわめたのは陰陽十一ケ国を領有した尼子の時期である。慶長16年(1611年)堀尾吉晴の歿するまで427年に及ぶ軍政上の一大拠点であった。

広く平坦な山中御殿

 しばらく山中御殿を散策した後、いよいよ七曲がりと呼ばれる坂に向かうことにする。山頂への入口は、山中御殿の入口付近(月山軍用道)と山中御殿の端の二ヶ所あるのだが、御殿散策のついでに奥の登山口から山頂に向かうことにした。少し進むと月山軍用道からの道と合流し、少し手前には「堀尾家お家騒動」の張本人堀尾河内守とその一子掃部(かもん)の霊を祀った親子観音が立っている。

本丸への石段 親子観音

 親子観音に参拝しいよいよ七曲がりに向かう。進行方向を眺めると、とても急な斜面が続いており、足下は滑りやすい石段なので滑らないように慎重に登って行く。途中の左手には年中枯れることのない山吹井戸があり、籠城には欠かせない水場を過ごす。なお、山吹井戸とは、山の中から吹き出す井戸と言うことからこの名称がついているそうだ。

七曲がりの急な坂を見下ろす 山吹井戸

 しばらく急な階段を辛抱するとようやく三の丸に到着、更に石段を登って行くと鳥居の立つ場所に到着した。手前には三角点が立っており、三角点にタッチした後、更に先を進む。

三の丸から石段を登る 鳥居の手前に三角点が立つ

 すぐに階段道を登ると、素晴らしい展望の二の丸跡に到着した。二の丸跡には休憩舎も建っており、ゆっくりと休憩できるようになっている。眼下には飯梨川が美しく、町並みはまるで箱庭のように美しい。但し反対側に見えるはずの京羅木山は霞のため全然確認することができない。

二の丸跡に到着

 二の丸には毛利軍と尼子軍が対峙した際の、部将の配置図と周囲の展望図が掲示してあり、毛利軍・尼子軍の戦況については次のように説明してある。

 出雲に攻め込んだ毛利元就は永禄7年より富田城を包囲し、糧道を遮断し城下の田畑を焼き払ったので、城は完全に孤立しました。元就は富田城の西北にそびえる星上山に陣を進め、菅谷口、御子守口、塩谷口の三方から総攻撃(三面攻撃)を開始しましたが、尼子軍も堅固な城地を背に果敢に応戦しました。なかでも山中鹿助と品川大輔の壮絶な一騎打ちは有名です。いったんは引き上げた元就でしたが、徹底的な兵糧攻めに戦術を転換し、尼子氏を窮地に追い込みました。それでもなお山中鹿助らの強硬派に支えられ城を持ちこたえましたが、永禄9年11月21日、遂に尼子はここに滅亡しました。

二の丸から眼下の展望

 しばらく周囲の展望を眺めた後、いよいよ本丸に向かって出発することにした。二の丸標識から少し戻り、左手に下りて行くとすぐに階段道が現れ、階段を少し登ると本丸跡に到着、本丸跡は行きつめたところにあるので別名甲の丸とも言われているそうだ。

本丸より二の丸を振り返る 本丸跡に到着

 本丸跡に掲示してある月山眺望図・月山略史年表を眺め、知識を仕入れた後、奥に向かって進む。左手には山中幸盛の塔を過ごし、木の下を進んで行くと灯籠を過ごし、本丸跡の端に立つ勝日高守神社に到着した。

山中幸盛の塔 勝日高守神社に向かう

 この神社は大国主命を祀っているそうで、同時に月山197mの山頂でもある。石段を登り、左右に狛犬を過ごすと神社に到着、沢山のお願いをするのだが、山中鹿之助とは違って、艱難辛苦がこないことを一心にお祈りした。山頂からは周囲に展望は無いのだが、とても落ち着く場所である。

勝日高守神社

 山頂にてしばらく涼んだ後、下山を開始する。下山に際しては特に滑りやすい石段に注意しながら下りて行き、山中御殿からは再び美しい月山の姿を眺める。山中御殿からの下山場所にはこの地方の特産品である柿がたわわに実っていた。これから秋に向かって更に大きな実になることだろう。

七曲がりを下る 山中御殿の柿の木

 花ノ壇・戦没者慰霊塔・山中鹿之助の象を過ごし、千畳平から下りて行く。ここまで滑りやすい石段を慎重に下りてきたため、転倒せずに無事下りてきたのだが、舗装路まで残り数メーターのところで豪快に転倒、やはり最後に油断してしまったようだ。幸いにして大事に至らず無事舗装路まで下り立つことができた。

千畳平を過ごす 転倒した石段

 左手に巌倉寺の標識を見たのでお参りして帰ることにした。巌倉寺に向かって進み、まずは巌倉寺にお参りし、その先にある小那姫の墓に向かって石段を登っていると、今度は豪快に滑ってしまい尻餅をつくことになってしまった。やはり石段はよく滑る。

巌倉寺の山門 巌倉寺

 小那姫の墓を過ぎて富田城最後の城主であり、松江開府の祖でもある堀尾吉晴公の墓所にお参りし、その先の山中鹿之助幸盛公供養塔(慶長7年(1602年)堀尾吉晴公のご内儀(妻)によって建てられたもの)に手を合わせて、階段道を引き返す。

堀尾吉晴公の墓所 山中鹿之助幸盛公供養塔

 間もなく舗装路まで下り立ち、飯梨川を眺めながら登山口の道の駅まで到着、朝の散歩は無事終了した。麓から眺める月山はとても美しい山である。

飯梨川 広瀬温泉月山の湯「憩いの家」

 道の駅を出発し、たっぷりとかいた汗を流すため、近くの広瀬温泉月山の湯「憩いの家」に向かう。開業時間より前に着いたのだが、わざわざ「お風呂に入れるよ」と教えて頂いたので、早めに汗を流すことができた。この温泉、硫黄のにおいがとても体に効きそうで、しかも弱アルカリ温泉であるため、少しではあるが大好きなヌルヌル感を楽しむことができた。入湯料は300円であり、月山散策の後に是非ともこの温泉を楽しんで頂きたい。

散歩途中に見た花

道の駅と月山

椎の木

山中鹿之助

山中御殿

勝日高守神社

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歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 島根県安来市広瀬町月山 登山口付近のMAP

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