三笠山(みかさやま)島根県安来市広瀬町 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012年5月13日 登山口駐車場 →0:30→ 三角点 →0:20→ 三笠山最高点 →0:20→ 三角点 →0:20→ 登山口 全歩行時間 1時間30分 山口県の山(山と渓谷社)の著者、中島先生と久しぶりに島根県の山へ。本日は既に展望広がる車山、尼子氏の居城の月山富田城を見下ろす勝山へ登っている。これから本日最後に目指すのは、山中幸盛(鹿助・鹿之助)ゆかりの山、三笠山である。 尼子氏が勢力を失って行く中で、尼子家再興のため孤軍奮闘した山中幸盛。「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話は有名であり、その三日月は三笠山へ懸かったと伝えられている。
さて、この三笠山への登山口だが、やはり安来市在住のNさんより登山口と登山情報を頂いた。登山口は広瀬町総合運動公園の駐車場である。駐車場を出発、北西方向へ進み、駐車場の端を左折して嘉羅久利神社へ参拝。登山の無事を祈願し、左に運動公園を見ながら南西方面へ緩やかな坂を進む。
やがて左に体育館が見えてくるが、かまわず未舗装道を進むと、少し高度が上がり左に野球場が見えてくる。更に道なりに進むと右に墓地を過ごし、この先より赤いテープが巻いてあることに気づく。なお、このテープは「松江の日帰り登山」のブログ開設者、Tさんがつけられたものである。
植林帯の下、低い笹の目立つ場所に入るが、傾斜は緩やかなので快適に進むことができる。間もなく右に歴史ある苔むした石組みを眺める。いったい何時の時代に築かれたものだろうか。とても気になる石組みである。さて、この先から自然林の中に入り、新しくつけられた道に入る。
自然林の下なので気持ちの良い道だが、坂の傾斜は急である。このあたり、手当たり次第に木々をつかみながら、慎重かつ大胆に高度を稼ぐ。樹林の要所には赤いテープが巻いてあり、見えにくい所には私たちもテープを追加しながら登山道整備のお手伝いをする。
やがて傾斜の緩む場所に着き、進路は少し左へ変わる。しかしながら傾斜の緩むのは一瞬で、すぐに急斜面に向かうことになる。しばらく辛抱しながら高度を稼ぐと、突然三角点が現れる。尾根のピークではなく尾根の手前に四等三角点が置かれていた。当然周囲に展望を望むことはできず、更に先へ進む。
三角点付近の風景 三角点から少し進むと、進路は左(西)へ変わり、平坦な尾根が続く。このピークが中三笠と呼ばれる場所のようだ。大きな木の下に黄色いプラスチック杭とシルバーの杭の埋められた場所である。この先で岩の積まれた場所を過ごし、再び黄色のプラ杭とシルバーの杭を過ごせば、この先から一旦高度を下げる。
鞍部に下り、登り返して小ピークを過ごし、更に次のピークに立てば、前方に一際高いピークが見えてきた。従って現在立っている小ピークが本三笠と思われる。本三笠を出発、一旦鞍部に下り最後の坂に取り付く。そしてこの坂を慎重に登れば間もなく標高約270mの下三笠山へ到着した。
平坦な山頂からは展望を望むことはできず、西へ向かって笹原が続いている。少し西へ向かってびっくり、こんな所まで林道または作業道が続いていた。従ってこの林道を通れば祖父谷または川平方面から車道歩きにより三笠山へ向かうことができそうだ。下三笠の山頂に立ち、この林道側から記念撮影。夕陽差す下三笠もなかなか味わいのある風景である。
下三笠山を出発、下山は元来た道を引き返す。登る際に急だった斜面は下りも障害となり、よりいっそうの緊張感と警戒感を持って下れば、あっという間に野球場の上まで帰り着いた。その後は右にフェンスを眺めながらのんびり下り、無事駐車場へ到着。本日予定の三山へ無事登ることができた。
三笠山の山頂風景 飯梨川から眺める三笠山と勝山 午後6時前に広瀬町総合運動場を出発、奥出雲へ向かって進み、夕食は亀嵩駅のかまあげそばを頂いた。疲れた身体には暖かいそばが一番のごちそうである。なお、山口県への帰着時間は当然午後10時を過ぎていた。
麓から眺める三笠山 山頂 飯梨川と三笠山 前の山 勝山(勝山城・滝山城) を見る 次の山 坪背山(壷背山) を見る 登山口周辺の地図はこちら 島根県安来市広瀬町 三笠山 登山口付近のMAP |