太華山(たいかざん)大島半島縦走 山口県周南市

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2005年 1月 8日(土曜日)の登山記を見る

2010年 1月10日(日曜日)

登山口 →0:25→ 車道出会 →0:18→ 水天神の広場 →0:07→ 山頂

 →0:10→ 無線中継所 →0:15→ 牧ヶ岳 →0:35→ 水谷山 →0:10→ 獅子岩

 →0:25→ 車道出会 →1:20→ 県道出会 →0:40→ 登山口

全歩行時間 4時間25分

 2010年の初登山は周南市の太華山。今回は山口県百名山の著者、中島先生にご案内して頂いた。年末年始を棒に振った原因の風邪もようやく収まり、長丁場の歩行にもなんとかついて行けそうである。周南市の櫛ヶ浜へ向かい、登山口の徳山総合支援学校前に到着、同校付近の駐車場に車を置き、登山を開始する。

 記録を調べると、5年前の平成17年、最初の登山も同じ太華山であり、当時は山口県百名山を目標に登っていたことを思い出した。本日は太華山へ登り、その後はゆっくり大島半島を縦走する計画である。

登山口を出発 道案内の石柱

 登山口を出発、整備された階段を登る。登山の起点より山頂までは1980m。この案内は丁塚と共に山頂まで続いており、とても励みになる。鳥居を潜り、背後を振り返れば鳥居と八朔の先に町並みが広がり、なかなか良い景色が続いている。間もなく残り1900mの案内を通過、コンクリートの道が続いている。

鳥居をくぐる 背後には櫛ヶ浜の町並みが広がる

 中国電力の鉄塔を左に過ごし、山頂まで残り1700mの所で徳山観音・徳山不動への分岐に着く。ここで背後を振り返れば、昨年の忘年登山、右田ヶ岳で初めてお会いした山口市のTさんが登ってきていた。お互いにこんな偶然にびっくり、この先一緒に歩くことになった。この分岐から少し進めば大島不動尊仮安置所跡を過ごす。

徳山観音・徳山不動への分岐 大島不動尊仮安置所跡

 「太華山上に奉祀されていた不動尊像は、昭和18年(1943)太平洋戦争の最中、徳山地区を守るため、太華山山頂に高射砲陣地を設置したので、山麓のこの地に安置替えされた。昭和24年(1949)不動尊は、山頂に復元された。これを後世に伝えるため、大島不動尊奉賛会、小踏愛山会により、昭和59年(1989)碑を建立し、仮安置所跡として保存されることになった。」と説明されている。

擬木の階段が続く 車道に着く

 仮安置所を出発、少し進めば木の間越しに徳山コンビナートが見え隠れし始めた。整備された擬木の階段を進み、道案内の残り1100mの石柱を過ごす。擬木の階段はやがてコンクリート階段へ変わり、間もなく車道と合流する。車道を少し進めば残り1000mを過ごし、左手より山道に入る。この先の赤い橋は健在で、橋を渡れば左上にお地蔵様を見つける。残り800m石柱を過ごせば、足下は岩の目立つ道に変わる。頭上を樹林に覆われ、展望はないものの、とても良い雰囲気の道が続いている。

赤い橋を渡る 岩の目立つ道
石組みの場所 お地蔵様

気もするが、本日は水量が少ないようだ。もう少し進めばお地蔵様が安置され、登山道は折り返すように左上に向かう。間もなく右に2体のお地蔵様が鎮座し、この先の右の修験窟には大日如来と不動明王が祀られている。

お地蔵様を過ごす 修験窟の大日如来と不動明王

 更にもう少し進めば前半のハイライト、水天宮、滝不動の祀られている場所に到着。ここには金龍大神・水天宮など多くの神様が祀られている。それぞれの神様に参拝後、この上に祀られている秋葉大権現にお参りし、いよいよ山頂を目指す。

水天宮 滝不動

新しい年に新しい注連縄

水天宮の広場(動画)

 コンクリート階段を登り、残り100mを過ごせばトイレの立つ駐車場に着き、更に階段を登れば、途中に鳥居の置かれた跡を過ごす。更に階段を登り、右に建物を過ごせば広く平らな太華山の山頂に到着。ベンチの置かれた山頂からは徳山コンビナートが一望、少々霞み気味の展望だがとても美しい景色を眺めることができた。山頂の二等三角点を確認、石鎚神社、大島不動尊、脇侍、蔵王権現と懐かしい風景に再会。

往時を偲ぶ鳥居の跡 ベンチの置かれた広い山頂

徳山コンビナートの展望(動画)

 大島不動尊は、徳山毛利七代藩主就馴が富田に隠居後の寛政12年(1800)武運長久を祈願して建立、西方四熊ヶ岳、北方金峯山の各権現と太華山の不動尊が三方より徳山藩を守護していると伝えられている。(説明板より)

大島不動尊と脇侍 石鎚神社
蔵王権現 南の展望地へ

 山頂広場を出発、南へ続く道を進み、笠戸島や下松市内を見下ろす展望地に到着、ここで昼食を摂る。ゆっくり昼食を摂った後、二階の展望所に上がり、眼下に広がる展望を楽しむ。本日は風が無く、眼下に広がる瀬戸内海はとても穏やかである。ところがエンジン音が遠くから聞こえてくるので、一体何なのか周囲を見まわすと、徳山ボートの開催日だった。正に太華山の麓の徳山ボートを山頂から見学することができた。

眼下に広がる展望

広い山頂公園 徳山ボート

 南の広場を出発、いよいよ大島半島縦走に入る。整備された階段を下れば途中でベンチの置かれた休憩所を過ごす。フカフカな落ち葉の絨毯を踏みしめ、坂を下れば、南の広場から5分で車道と出会う。車道を横切り、更に坂を下ればこの先で再び車道に出会う。車道を少し進み、日本テレコムの太華山無線中継所の地点から左の道に入る。

大島半島縦走路の入口 落ち葉の縦走路
車道を横切る 更に坂を下る
再び車道に出る 無線中継所の地点から左の道へ入る

 整備された階段を登り、気持ちの良い縦走路を快適に進めば、車道を別れて15分で四等三角点の牧ヶ岳285.3mに到着。但し山頂からの展望はない。ピークから下れば鞍部の交差点へ到着。進行方向へ向かって右は奈切りへ、左は大楠へ分岐している。我々は当然進行方向の庄ノ浦へ向けて進む。

整備された縦走路 四等三角点の牧ヶ岳285.3m
鞍部の交差点 坂を登れば平坦路が続く

 急な階段を登り、背後を振り返れば今まで歩いてきた稜線が一望、歩いてきた方向をしばらく眺める。この先右に共同アンテナを過ごし、樹林のトンネルの美しい場所を通過。周囲はまるで日本庭園のように美しい。間もなく岩の目立つ展望地に到着、岩の上に立てば、再び歩いてきた稜線を目で追うことができた。また、眼下に広がる静かな海はとても美しく、何時まで眺めていても見飽きない展望が広がっている。

自然林のトンネル 展望の岩

歩いてきた稜線

眼下に広がる展望

 展望の岩の先でヤドリギを見つけた。こんなに簡単にヤドリギを見つけるとは思わなかったが、沢山のヤドリギを眺めることができた。しばらく平坦な縦走路を進む。この道は足に負荷の掛からない素晴らしい道である。緩やかなアップダウンを繰り返しながら縦走路を進めば、周囲には日本庭園のような景色が広がる。

ヤドリギ 日本庭園のような風景

快適な縦走路が続く

 やがて苔むした階段を登れば標高280.3mの水谷山の山頂に到着。この山には四等三角点が置かれていた。ただし、三角点付近からの展望を望む事は出来ない。この先で大きな炭焼き跡のような場所を続けて二つ過ごす。この大きさにはびっくり、これは旧日本軍の遺構かも知れない。

四等三角点の水谷山280.3m 大きな炭焼き跡のような場所

 ピークを過ぎれば緩やかに高度が下がる。間もなく左にベンチの置かれた休憩所を通過、眼下には穏やかな海が見えている。もう少し下れば獅子岩の案内が立ち、左に向かえば大きな岩が待っていた。獅子岩の上に立ち、眼下に広がる展望を眺める。この獅子岩は大島半島縦走のハイライトである。

獅子岩からの展望

 笠戸島、その手前に聳える沖山、八合山が美しく、湾内には養殖場らしき囲いを眺めることができる。瀬戸内海の穏やかな海を眺めながら三人で記念撮影、危なっかしい岩の上なのだが、童心に戻ったような楽しい一時である。

獅子岩

獅子岩から眼下に広がる展望(動画)

 展望の獅子岩を出発、後は坂道を下るだけ。途中で富士大権現の鳥居と社を眺め、更に下山を続ける。間もなく前方が開け、畑の中につけられた道を進めば、竹林帯を通過。車道出合には太華山登山口の案内が立っていた。

ベンチの置かれた休憩所 富士大権現
眼下に展望が開けた 車道に到着
登山口の標識 タンクを眺めながら進む

 このまま車道を道なりに右へ進む。これからは登山口まで舗装路歩きとなる。すぐに通行止めの看板が現れるが、歩行は大丈夫。平坦な舗装路を歩けば、左に石油の備蓄施設らしき場所を過ごす。途中で道路の崩落場所をいくつか過ごし、車道出合から1時間20分で県道に合流。更に40分で徳山総合支援学校入口の登山口に到着、一周回りの大島半島縦走は無事終了した。

県道に着く 太華山の下山車道を過ごす

大島不動尊仮安置所跡

水天神

鳥居跡

蔵王権現

トンネル

縦走路

獅子岩より

 前の山 右田ヶ岳 を見る

 次の山 沖浦観音・砲台山〜高壺山周回 を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 山口県周南市 太華山 登山口付近のMAP

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2005年 1月 8日(土曜日)

太華山 119回目 139座目 山口県の100山では82番目

登山口 徳山総合支援学校前

ガイド本 中島篤巳著 山口県百名山(発行所 葦書房)

登山開始 15:13 山頂到着 15:55 下山開始 16:29 下山終了 17:15

登山時間 0:42  山頂滞在時間 0:34 下山時間 0:46

所要時間数 2:02

 05年の初登山として近くの太華山に行くことにした。瀬戸内側では最後の山となる。土曜日の午後から登山なので慌ただしい。昨年より登山用具を分散していたので集めるのに時間がかかり、家を出発したのは午後2時を過ぎていた。途中雨が降ってきたが登山口の徳山総合支援学校に着いたときには晴れてきた。駐車場に車を置き登山準備をしているとやはり太華山に登る人が準備を始めていた。

太華山全景 太華山登山道入口
ハイキングコース標識 石段を登る

 太華山ハイキングコース1980mの標識を左に見て石段を登ってゆく。鳥居を過ぎてコンクリートの道を行くと季節はずれの紅葉がきれいに残っている。昨年から暖かかったのでまだ残っているのだろうか。徳山観音の分岐を過ぎても道はコンクリートで舗装されており向かい側には大島不動尊の仮安置所跡が残されている。

冬の紅葉 徳山観音の分岐を過ぎる
大島不動尊の仮安置所跡 横木の階段道が続く

 丁塚を見ながら登って行き、整備された道が続くので気が楽だ。ただ舗装道と階段は足にはきつい。出発から25分で車道に一旦出て再度登山道に入る。ここからの徳山湾の景色が素晴らしい。遠くには若山・四熊ヶ岳がくっきりと浮かんでおり、徳山コンビナートの煙突から出る煙が雲のように見える。赤い橋を渡り木のトンネルを抜け、大岩の横を通り抜けると清水が流れている。

一旦車道に出る 階段を登り登山道に戻る
徳山湾の景色 赤い橋を渡る

 後ろからさっきの登山者が追いかけているような気がして先を急いだため汗をかいてしまった。ここで小休止となる。この先の角にはお地蔵様が鎮座しており、その次には2体のお地蔵様が鎮座し、その先には洞窟の中にも2体のお地蔵様が安置されている。

お地蔵様 洞窟の中にもお地蔵様

 その奥にはお不動様が祀られており滝不動という説明があった。ここには帰りにお参りすることにし、先を行くとすぐに駐車場に出て階段を上るとようやく頂上の空が見えた。

滝不動 山頂に向かう石段

 山頂には石鎚神社・大島不動尊・不動尊の脇侍と祀られていた。頂上からの展望は開けており、大津島方面は展望台からよく見えた。また大平山も確認することができた。

太華山山頂風景

大津島方面の展望

徳山方面の展望

石鎚神社 大島不動尊
洞窟には不動明王 太華山山頂三角点

西側には少し下がったところに広場があり、ここには佐藤栄作先生の顕彰碑と久原房之助先生の顕彰碑が並べて建立してあった。この先には下松方面の展望が開けており展望台からの眺めは絶景であり、下松の茶臼山が確認できた。以前登った山というのはだいたい分かるものだと感心した。

下松方面の展望

笠戸島方面

山頂のアンテナ 下の広場の展望台

 頂上は風が一段と強く寒くなってきたので下山を開始した。途中滝不動にお参りし、帰っていると後ろから徳山高専の野球部員が走りながら降りてきた。寒中ロードレースのように何人も登山道を走り抜けていった。

寒中ロードレース 若山・四熊ヶ岳方面

 徳山観音の分岐まで降りて観音様と不動様にお参りをした。両像とも日本の彫刻界の第一人者北村西望氏の作ということだった。この作者は長崎平和記念像の制作者でもあるそうだ。しっかりとお参りをして元の登山道に戻り登山口まで戻ったら5時を過ぎていた。少し薄暗くなっており、あらためて冬の夕暮れが早いことを実感した。

徳山観音 徳山不動

太華山

紅葉

滝不動

太華山山頂

大津島

徳山湾

下松湾

夕暮れの徳山湾

若山と四熊ヶ岳

 前の山 右田ヶ岳 を見る

 次の山 沖浦観音・砲台山〜高壺山周回 を見る

 前の山 若山 を見る

 次の山 成君寺山 を見る

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登山口周辺の地図はこちら 太華山 登山口付近のMAP

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