田床山と桜咲く萩市内観光(たどこやま)山口県萩市

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2004年3月28日の初回登山を見る

2015年11月22日の田床山登山を見る

2017年3月25日 田床山登山を見る

2016年4月2日

東萩駅 →0:20→ 松陰神社 →0:12→ 玉木文之進旧宅 →0:06→ 登山道入口(吉田松陰像)

 →0:32→ 鉄の手すり →0:13→ 遊歩道入口 →0:08→ 山頂 →0:18→ 鉄の手すり

 →0:25→ 登山道入口 →0:16→ 松陰神社 →0:20→ 東萩駅

全歩行時間 2時間50分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)


 昨年11月に登った萩市の田床山、今回は春の装いの萩市内を散策しながら山頂を目指す。今回の登山の起点はJR東萩駅で、駅前から南西に位置する松本川方面へ向かって進み、舗装道を南下する。ここで右側に石碑を見つけたので立ち寄ってみた。

登山起点はJR東萩駅 駅前から舗装道を南下

 これは香川津二孝子の碑で、十代萩藩主毛利斉煕のころ、萩城下郊外の椿東分に長七というかごかき人足が住んでおり、その子供に権蔵・利吉という兄弟がいた。文化12年(1815)、母は末の妹を生んでから病床に伏すようになった。そこで兄弟二人は、新堀の金比羅社(現在の円政寺境内)まで30町(約3.3km)道程を、病気平癒祈願のため毎日通うことになった。

香川津二孝子の碑 対岸に桜

 しかし、その満願の日(12月11日)二人は折からの風雪をついて参拝したが、帰途松本川の川岸で倒れてしまった。翌文化13年(1816)明倫館学頭山県大華は藩主斉煕の命を受け、「紀二孝子事」(右側の石碑)という文を作って、香川津の医徳寺境内に孝子の石碑を建立したとのことである。なお、左には香川津二孝子絶命之處と刻まれた石碑も置かれていた。

観月橋手前を左折(クリックで別角度) 菜の花と桜越しに田床山(クリックで拡大)

 石碑の先から右に松本川を眺めながらのんびり歩道を進む。対岸に桜を眺め、道なりに進むと観月橋に着く。この橋の手前から進路を左(東)へ採り、月見川沿いを進む。川沿いには菜の花と桜が美しく、華やかな景色を眺めながら松下村塾へ。途中には菜の花と桜の先にそびえる田床山を眺める。なんとも素晴らしい構図である。

桜越しに田床山(クリックで拡大) 明治維新胎動の地の石碑

 まもなく観月第1踏切を通過、前方に見える桜が近くなれば松下村塾も近くなる。桜越しの華やかな田床山を眺めた後、松下村塾の入口へ到着、登山の前に松陰神社の見学をしておく。大鳥居を潜り、明治維新胎動の地の大きな石碑を眺め、次に松陰が両親に宛てた別れの書簡「永訣の書」の中で詠まれた「親思う こころにまさる 親ごころ きょうの音づれ 何ときくらん」の石板を眺める。

松下村塾(クリックで拡大) 松陰神社

 この先には有名な松下村塾が建っており、いつもなら大勢の観光客で賑わう場所だが、早い時間なので、閑散としている。歴史ある建物を眺めた後、奥へ進み松陰神社へ参拝。こうしてみると、松陰神社付近に数本の桜を見る程度で、松下村塾の施設内にはあまり桜が植えられていないことに気づく。

松下村塾を出発 伊藤博文別邸から眺める田床山

 さて、松下村塾を出発、田床山へ向かう。松下村塾から少し南へ移動し、吉田松陰誕生地、玉木文之進旧宅などの案内に従い、舗装道を東へ進む。左に吉田稔丸誕生地の石柱をみて、少し進むと右への分岐があり、右折すれば初代内閣総理大臣伊藤博文別邸へ着く。別邸の手前からは桜越しに田床山を眺めることができる。

玉木文之進旧宅 沿道には桜が満開

 元の道に引き返して道なりに進み、片山東熊別邸跡を過ごせば、分岐の左に松下村塾発祥の地、玉木文之進旧宅へ着く。田床山へはこの分岐を右折し、道なりに桜の咲く坂を登る。

眼下に指月山(クリックで拡大) 吉田松陰、金子重輔像

 間もなく正面に吉田松陰、金子重輔の大きな銅像が現れ、右に吉田松陰誕生地、左に墓所と案内されている。背後を振り返れば、桜の先に指月山が特徴的な山容を見せている。この桜に囲まれた風景は、この時期にしか見ることのできない貴重なものである。

田床山登山歩道入口 階段を下りる

 さて、田床山登山歩道入口の案内を確認し、銅像を右に過ごしながら奥へ進む。左に民家を過ごし自然林の中に入るが、すぐに手摺りの施された階段を下る。そのまま進行方向側へ移動すれば、右上へ折り返すように登山道が続いている。

折り返すように右折(クリックで別角度) 擬木階段を登る

 先ほどと同様に手摺りのある擬木階段を登り、少し平坦な地点を過ごせば再び擬木階段に変わる。この先で進路は左へ向き、左右にシダが目立つものの歩行には支障が無い。道なりに階段を登ると左右の分岐が現れ、左へ向かえば「草庵入口」と案内する石柱が足下に置かれていた。

草庵入口 団子岩

 石柱の案内に従って入ってみると、奥には団子岩と刻まれた石柱が置かれていた。但し、この先からはシダの勢いが強く、ヤブ化しているようだ。元の位置まで引き返し、田床山を目指す。左右にシダを眺めながら緩やかな傾斜を感じながら進む。樹間越しながら北には街並みが見え始める。

明確な踏み跡を辿る ヤマザクラ

 この山にもイノシシは多いみたいで、足下にヌタ場を見る。時折現れる展望を眺めながら、明確なる踏み跡を辿る。一本道なので迷いようが無く、安心して進むことができる。周囲にこれといった花は見られないが、遠くにはヤマザクラが咲いているので華やかな雰囲気を感じる。

イノシシのヌタ場 遠くに大島

 間もなく左下の切れ落ちたところを通過するが、この付近は北方面を見晴らす展望地で、日本海には山頂部の平らな大島が東半分を見せている。展望を眺めた後登山を再開、この先で進路は緩やかに左カーブを描く。少し高度が上がったことにより、大島の平坦さが理解できた。

鉄製の手すり 足下に擬木階段

 やがて左側を植林帯が覆い、周囲に視界が消えると、少し古びた鉄製の手すりが現れる。この登山道には大きなアクセントが無いので、この鉄製の手すりは記憶に残るものである。左側に植林が現れ、進路が緩やかに右へカーブを描けば、足下に擬木の階段が現れる。

分岐を直進すると遊歩道に出る

 そのまま道なりに南へ向かって進み、進路が左へ向く起点で更に南へ向かって直進すれば、樹林のトンネルの先に明るい遊歩道が現れる。ここで少し坂を下り、右へ続く分岐に入る。頭上にはコブシの花がきれいだ。

分岐を右折(クリックでコブシの花) 田床山山頂

 道なりに整備された遊歩道を辿り、やがて現れる車道を横切る。ここで進路を左に採れば、ベンチと休憩舎の置かれた田床山の山頂へ到着する。眼下には萩市が一望で、市内の西を流れる橋本川、東を流れる松本川により構成された三角州の先には特徴的な山容の指月山が海にせり出している。

眼下に広がる展望(クリックで拡大)

 日本海には相島や大島等の島々が浮かび、世界一小さい火山と言われる笠山も海の中に浮かんでいるように見える。のどかな展望を眺めながら山頂で小休止。休憩舎から少し西へ向かうと三等三角点が置かれており、三角点を確認して東に建つアンテナ付近を散策した。

三角点 山頂下に建つセンターハウス

 そのまま帰るには少し早いので、少し下に建つセンターハウスの施設まで足を伸ばしてみた。展望を求めて向かってみたが、萩市内方面の展望を得ることはできなかった。再び山頂まで引き返し、ラーメンとおむすびの昼食を摂り、下山を開始する。下山は元来た道を引き返し、車道に下りたところで、そのまま車道を下ってみた。

吉田松蔭墓所と生誕地

 吉田松蔭墓所の案内に従い分岐を左折、高杉晋作、久坂玄瑞などの墓所へ参拝。更に吉田松陰誕生地を散策して帰路につく。松陰神社を通過、間もなく登山起点の東萩駅へ着いた。

菊ヶ浜(クリックで拡大) 萩城跡(クリックで拡大)

志都岐山神社

ミドリヨシノ

指月山(クリックで拡大) 遠くに田床山

 丁度お花見シーズンなので萩市内観光を兼ねて周辺散策を続ける。まず菊ヶ浜海水浴場から指月山、笠山、遠岳山、田床山を眺め、次に萩城跡へ。萩城跡には大勢のお花見客がおり、思い思いの場所でお花見を楽しんでいた。ソメイヨシノにミドリヨシノ等、きれいな桜を鑑賞、登山初年度の2004年、指月山登山の際に眺めたミドリヨシノを再確認することができた。確かにクールなミドリ色の桜である。

菜の花と田床山

松下村塾

田床山

指月山

萩市内

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歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 山口県萩市 田床山  登山口付近のMAP

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