田床山(たどこやま)山口県萩市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トップに戻る 2015年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順 2015年11月2 2日松陰神社 →0:12→ 玉木文之進旧宅 →0:06→ 登山道入口(吉田松陰像) →0:32→ 鉄の手すり →0:13→ 遊歩道入口 →0:08→ 山頂 →0:18→ 鉄の手すり →0:25→ 登山道入口 →0:16→ 松陰神社 全歩行時間 2時間10分 今年(2015年)「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」で萩市の5資産(松下村塾、萩城下町、大板山たたら製鉄遺跡、恵比須ヶ鼻造船所跡、萩反射炉)がUNESUCOの世界遺産リストに登録された。そこで今回は、歴史ある萩の町を見下ろす展望地の田床山へ登る事にした。
この山は旧版の山口県の山に記載されていた山で、前回登山は平成16年3月28日、なんと11年以上も前の事である。登山口は前回同様松陰神社だが、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台にもなったこともあり、大勢の観光客が松下村塾や松陰神社の見学に訪れていた。
さて、松陰神社の入口から右側へ移動し、伊藤博文旧宅・別邸、吉田松陰誕生地の案内に従い東へ向かう。松陰門下の四天王と言われた吉田稔麿の誕生地を左に過ごし、次の分岐では、右側に伊藤博文旧宅・別邸を見るが、こちらは帰りに立ち寄ることにする。 そのまま舗装道を進んでいると、東光寺、吉田松陰誕生地、玉木文之進旧宅等の案内が随所に置かれている。右に片山東熊別邸跡を過ごし、更に進むと前方に藁葺き屋根の玉木文之進旧宅が見えてくる。この手前の分岐を左折、吉田松陰誕生地の石柱を確認して、南方向へ進む。 坂道を登れば吉田松陰誕生地駐車場が左に用意されており、この先には正面に吉田松陰と金子重輔の像、右に吉田松陰誕生地、左に墓所が配置されている。正面に続く道の右側に「田床山登山歩道入口」の案内を確認して登山道に入る。最初は舗装されている道だが、最奥の民家を過ごすと樹林の中に入る。
落ち葉の堆積した道を進むと、すぐに手すりの施された擬木階段を下り、舗装道に出る。舗装道を左折し、少し坂を下れば右上に折り返すように手すりの施された擬木の階段が続いている。
この階段を登ればすぐに平坦な道となり、この先で階段を登れば、進路は左側へ続く。左右にシダの茂る箇所もあるが、歩行に支障は無い。やがて左右の分岐が現れ、右が田床山登山道、左は高杉晋作草庵への道である。草庵へ向かってみると、団子岩の案内が有り、丸っこい岩を鑑賞するが、その先はシダに覆われて通行できる状態では無かった。 分岐まで引き返し、登山歩道を進む。足下は苔むしており、スリップしやすい道なので慎重に歩を進める。左右にシダが茂ったり、少し草のかぶる箇所もあるが、着実に高度は上がっている。足下の崩落した地点もあるので慎重に難所を通過していると、樹間越しに萩大島や日本海の展望が広がる。
通過し、檜の植林帯を通過する。再び周囲を自然林が覆い、少し進むと再度植林帯の中に入る。前方に擬木階段が現れると終点は近い。そのまま階段を進み、進路が左へ向く地点で、そのまま植林帯を直進すれば近道となる。
但し、ルートを見つけられない場合は、そのまま擬木階段を登り、明るい尾根道へ出ると良い。尾根道を右折し、坂を下れば、先程の近道の場所へ合流する。ここで、進路を南へ採り、右にコンクリート舗装の遊歩道が見えてくれば、分岐を右折する。ただし、このコンクリート歩道は苔むして滑り易いので慎重に登らなければ、スリップする恐れがある。
ここまで来れば、遊歩道を道なりに進み、車道を横切り左折する。前方にそびえるNHKのアンテナへ方面へ坂を登れば、展望の東屋の設置された田床山山頂へ到着する。山頂からは、眼下に松本川と橋本川により作られた三角州が一望、日本海に浮かぶ多島美も素晴らしい。 山頂から萩市内の展望(クリックで拡大)
双眼鏡で眺めれば、指月城、碁盤の目のように区分けされた萩城下町、登山口の松下村塾など萩市内の主な観光地を詳細に眺めることができる。東屋に腰掛けて小休止を摂り、萩市内を俯瞰する。
下山は元来た道を引き返して吉田松陰誕生地へ下り、吉田松陰誕生地と紅葉、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞の墓所を確認して坂を下る。松蔭神社手前で伊藤博文旧宅、別邸を見学、登山口の松陰神社へ到着した。
松下村塾
松陰神社
伊藤博文旧宅
吉田松陰生誕地
登山道入口
萩城下町
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