トップに戻る 2022年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
→0:10→ 山頂 →0:05→ 油庫跡 →0:10→ 中間地点
→0:05→ ヤマアジサイ自生地 →0:10→ 登山口
登山口の大道理に向かうには、周南市中心部から国道315号を北上、徳山カントリーへの入口を右に過ごし、向道第1、第2トンネルを潜った先で新南陽への案内に従い分岐を左折する。この分岐から約1km進むと右に大高神山への案内標識が見えてくる。駐車地は、この登山口付近または少し先の右側路肩に駐車スペースが用意されている。
当日は登山口付近が工事であり、登山口先の路肩へ駐車し登山を開始。なお、登山口の右にはNTT電柱大通理一36が立っている。登山口には大高神山の標高647m、と頂上まで約50分とある。ただし、その左には熊出没注意と警告されているので、熊除けが必要である。
山道に入れば周囲に植林帯が続き、登山道はよく踏まれており歩きやすい。すぐに直進と右への分岐が現れ、右は合格コースと案内されていた。合格コースは「100歩ぐらいまわりみちスベラナイ」とある。私は登山時に合格コース、下山時に真っ直ぐのコースをとった。
落ち葉の堆積した道を進むとすぐに直進コースと合流、この先には熊除けのための大きな鈴が置かれていた。案内には「カンカンカン! くまさんコンニチワ これからのぼるよ」とある。道なりに進むと大きく左に進路が変わり、起点には小石が積まれていた。
道の左右に白い雪を眺めながら進んでいると、残り500mの案内を通過、前方が開けてくると、左にレンガ造りの建物が見えてきた。これが油庫跡でその右には発電所の基礎のコンクリートが残っていた。更に進むと左側に入れないよう線が渡してあった。これは地下タンク跡で中央部には穴が空いていた。
地下タンク跡からわずかに高度を上げると右に分岐が現れる。案内には兵舎跡・宿舎跡とあり、道なりに進むと左に施設跡のコンクリートが残っていた。兵舎跡、宿舎跡の先には流し台のような施設があり、その先には浴室跡、更に先には弾薬庫跡、水槽跡の案内も置かれていた。この一帯は平坦なので多くの施設が設置されていたのだろう。
登山道に戻り植林帯の中を折り返しながら高度を上げれば足下に置かれた山頂まで300m、100mの案内を通過、間もなく坂道の先にレンガ造りの建物が見えてきた。これが砲台指揮所跡である。前回登山は夏場だったため、指揮所跡の屋根には植物が茂り緑が鮮やかだったが、今回は茶色の冬枯れ状態である。なお、指揮所跡の中には登山日誌箱が置かれていた。
指揮所跡から北へ向かって高度を上げると探照灯跡があり、この先には三等三角点その奧には高射機関砲跡のコンクリート基礎が残っており、この大高神山登山では旧日本軍の遺構を沢山見学することができた。
山頂で昼食の後、南東に烏帽子岳を眺めた後、北へ続く道へ入ると、中央が掘られたような場所に着いた。この中央には聴音機跡のコンクリート基礎が残っていた。聴音機跡からは北西に樹間越しながら千石岳を眺めることができた。ただし、冬枯れの状態での樹間越しなので、青葉の繁る時期には見えないかも知れない。
指揮所跡まで引き返し、今度は道なりに南東方面へ進むと広い展望地に出る。展望地からは四熊岳、法師ヶ岳、大津島、黒神島など胸の空く展望が広がっている。昨年周南市大島半島の八合山から眺めた日本精蝋の煙突もしっかり眺めることができた。
太華山から笠戸島まで続く展望を眺め、指揮所跡まで引き返し、登山記録を書いて下山を開始。18年ぶりの大高神山登山は、まるで社会科見学のように旧日本軍の遺構を丹念に眺めた。当日は山口県岩国市、和木町にコロナ禍のため蔓延防止重点措置が取られており、単独登山。山頂付近で岩国から来られた夫婦1組と出会ったのみだった。しばらくは登山者となるべく出会わない山を選んでの状態が続く。
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