城山蓋井島(しろやま)・大山(おおやま)山口県下関市

トップに戻る                登った山のリストを見る         山名アイウエオ順

2010年2月7日

蓋井島漁港 →0:05→ ハイキングコース入口 →0:10→ 蓋井島灯台

 →0:10→ 城山(金比羅山) →0:15→ 山道入口(ヒゼンマユミ案内)

 →0:10→ 牧場跡の石組 →0:30→ 247m手前の鞍部 →0:05→ 247mピーク

 →0:15→ 252mピーク →0:20→ 三角点峰 →0:20→ 牧場跡の石組

 →0:15→ エミュー放牧地 →0:05→ 四の山

 →0:15→ 三の山・一の山・二の山 →0:10→ 蓋井島漁港

全歩行時間 3時間 5分

 一泊二日で下関市の蓋井島へ。集合場所の吉見港に着くと、参加メンバーは全員集合、今回の参加者は13名である。連絡船の蓋井丸に乗り込み、午後4時半に出航。海から眺める竜王山鬼ヶ城はとても美しい。穏やかな湾内から外海に出るとやはり船が揺れる。すぐ左に加茂島が現れ、その先には北九州の景色が広がっている。

連絡船の蓋井丸に乗り込む 海から眺める竜王山
加茂島 蓋井島

 間もなく西に目指す蓋井島が現れた。これから向かう稜線を地図で確認しながら眺める。これはとても楽しい作業である。やがて美しい山容の乞月山が近くなり、約40分の船旅は終了。蓋井島に着くと港の側には店があった。

乞月山 店の横を進む

 店の手前の案内板を眺めると、重要有形民族文化財の蓋井島「山ノ神」の森と山口県指定天然記念物蓋井島のヒゼンマユミ群落について書かれていた。明日はこのヒゼンマユミの群落を通り、時間が許せば蓋井島「山ノ神」の森へも立ち寄ることになっている。店の右横から細い迷路のような路地に入り、途中で左折するとすぐに目指す民宿上野へ到着。庭から眺める乞月山がとても美しい。

民宿上野へ到着 庭から眺める乞月山

 北九州側に見えているのは以前縦走した風師山、戸ノ上山、足立山と思われる。午後5時半前に豪華海鮮料理が用意され、すぐに宴が始まった。さすが蓋井島、刺身がとても美味しく、サザエの壺焼きも絶品。煮付けにふきのとうとイモの天ぷら、出てくる料理の全てが美味しい。二次会では、酒の肴に蓋井島産のアジの干物を焼いて食べたらとても美味しく、あっという間に12時前。これは大変、すぐに就寝。

風師山、戸ノ上山、足立山へ続く稜線 刺身がとても美味しい

次の日

 快適な目覚めの朝を迎えた。朝食は生卵に太刀魚の塩焼き、絶品は何と言ってもカジメ。これがとても美味しく、朝から山盛り2杯もご飯を頂く。昼食用に作って頂いたサザエ飯のお弁当を持って民宿を出発。民宿の庭からも城山に立つ金比羅大権現の鳥居が見えた。

城山へ向かう 右にお地蔵様を過ごす

 民宿から西へ進み、少し下りると車道に合流。そのまま道なりに進むと右にお地蔵様を過ごす。正面には倒れかけた「やまどりの散歩道 ハイキングコース全長1500m」の案内を見る。ハイキングコースに入ると石段の整備された道となり、とても歩きやすい。自然林の下で木漏れ日を浴びながら歩くのはとても贅沢な気がする。

やまどりの散歩道を進む

 灯台用地の石柱を眺めながら緩やかな坂を登ると、左手には灯台が見えてきた。登山道はこの先緩やかに左カーブを描き、間もなく灯台の手前に到着した。灯台前には鉄条網が張られており、灯台用地の中に入ることはできなかった。この灯台は本州最西端に位置しており、昭和26年に、灯台としては日本で初めて風力発電装置を開発導入、自然エネルギー利用の先駆けとなったそうだ。

ハイキングコース 蓋井島灯台

 灯台を出発、来た道を少し戻って分岐を左折、少し進むと金比羅社の鳥居が立っている。鳥居を潜ると左方向に展望が広がり、眼下に広がる青い海には多くの漁船が浮かんでいる。更に遠くを見晴らせば、博多方面が見えているようだ。広い登山道を登るとすぐに城山へ到着。眼下を見下ろせばのどかな蓋井島を一望。東には鬼ヶ城竜王山が美しく、感動的な展望に声を失う。

灯台から左の道に入る 鳥居を潜り城山へ

城山山頂の金比羅社に参拝

 金比羅社に参拝、更に奥へ向かえば風力発電施設の基礎も残っているようだ。北にはこれから向かう大山のピークがとても高く見える。しばらく展望を眺めた後、城山から下山を開始。先程の鳥居の場所で左折し、広い道を下りて行く。

乞月山と蓋井島の集落

城山山頂から眺める展望(動画)

 NTT西日本蓋井島無線中継局のアンテナを左に過ごすと同時に、足下はコンクリート舗装の道に変わる。もう少し坂道を下ると、左に分岐が見えてくる。この方面には「ヒゼンマユミ群生地」と案内されているので左折、舗装路を離れて山道に入る。歩きやすい道を進むと進行方面には大山のピークが現れ、右には響灘が美しい。

鳥居の分岐から左に下りる 「ヒゼンマユミの群生地」の案内に従い左折
大山南ピーク 響灘の先には角島

 間もなく「ヒゼンマユミ群生地」の案内に従い右折、周囲にはヒゼンマユミが群生しているようだ。もう少し進むとやはり手製の案内で 「大山・泉水鼻方面」ただし道は途中まで と書かれていた。そのまま道なりに進むと石垣で周囲を覆われた場所に到着。ここは牧場跡と思われる。

案内に従い右の分岐へ入る 次の案内は「大山・泉水鼻方面」

 石垣の切れた場所には、左右に木が置かれており、門のように見えた。この先からは先頭部隊が踏み跡を確認しながら進む。古い目印は途中で途切れる箇所もあるが、概ね続いている。冬枯れのこの時期は、このようなヤブ山へ登るベストシーズン、大ヤブを覚悟して完全武装の用意をしてきたが、意外にも踏み跡と目印が続いており、地図上の破線を辿りながらほとんど緩やかな坂道を進む。

牧場跡の石垣 石垣の切れた門のような場所

 地図上の破線を辿る

竹藪の下を抜ける 地図上の破線の終了点付近に残る遺構

 山腹につけられた作業道のような道を進んでいると、倒木の邪魔な箇所は、歩きやすいように切られている。周囲に展望は無いものの、自然林の雰囲気がとても良いので楽しく歩くことができる。やがて地図上の破線の終了点付近へ来ると周囲に石垣やコンクリートの遺構が見えてきた。この辺りから旧日本軍(陸軍)の遺構が増えてくる。

247mピーク手前の鞍部 247mピーク最初の遺構

 すぐに247mピーク手前の鞍部に到着、鞍部から247mピークを目指す。少しの傾斜を踏ん張り、岩の多い場所を通過、着いた場所にはコンクリートで囲まれた遺構が残っており、もう少し北へ向かうと、鉄筋コンクリート造りのとてもしっかりした二階建ての遺構が現れた。

二階建ての遺構

砲台の台座 沢山の遺構を見学

蓋井島の大山に残る旧日本軍の遺構(動画)

 遺構の一階を通り、北の端まで行くと、砲台の台座が残っていた。この周辺を散策し、沢山の遺構を見学、再び鞍部まで戻り待望の昼食を摂る。民宿で用意して頂いたサザエ飯がとても美味しく、まるで遠足気分である。丁度12時に鞍部を出発、次は南へ向かって尾根道へ。

遺構を眺めながら鞍部へ 鞍部にて昼食

 すぐに高い石垣が現れ、石垣の左側を登ると、広い遺構に到着。更に尾根を進むと最初のピークに到着、ここには大きな円形の遺構が残っている。中には砲台の台座跡が残っており、ここにも砲台が据えられていたようだ。

尾根道を南へ向かう 高い石垣の横を進む
最初のピークに残る円形の遺構 台座跡

 このピークを過ごすと尾根道は少し右へと振れ、ほとんど平坦な道を少しずつ高度を上げる。左右を石垣に囲まれた尾根道を進むとやがて252mピークに到着。このピークは遺構に囲まれた場所である。

左右を石垣に囲まれた尾根道 252mピーク付近

このような遺構が多い

 ピークを通過し、一旦下る。登山道は尾根を少し左に外しながら進み、すぐに右方向へ軌道修正。尾根に再合流する場所には、大きな岩を見ることができた。周囲に展望は無いが、晴れているので木漏れ日がとても美しい。ただし、このような場所に単独で来ると、周囲を観察する余裕はないと思う。

尾根道は続く 大岩を眺める

 やがて鞍部に着き、再び緩やかな尾根道を登り返す。周囲を見回せば大木が多く、再び旧日本軍の遺構が現れた。今度は折れた疑似砲台、物資の不足した日本では、本物の砲台を作る資源が無くなったためなのだろう。折れた疑似砲台を過ごし、ピークを越えて少し下りたところで、往事の姿をそのまま残した疑似砲台を見ることができた。この砲台を海から眺めると本物に見えるのかも知れない。

折れた擬似砲台 往事の姿を残した擬似砲台
遠くから見ると本物に見える 二等三角点(点名 蓋井島)

 もう少し尾根道を南へ進むと標高230.4mの三角点(点名 蓋井島)へ到着、三角点付近は木々に囲まれており展望はない。三角点から少し下りると、すぐに折れた疑似砲台を過ごす。もう少し下り、岩の目立つ場所から左への急な下り坂へ向かう。

三角点先の折れた擬似砲台 下山を開始する

 木の間越しには港の防波堤が見えており、最初は南へ向かって下り始める。まもなく右に陸軍の標柱を過ごし、なおも急な坂を下る。但し、周囲の木々などをつかみながらの下山なので、大した苦労ではない。途中では大岩を眺め、変化のある下り坂はとても楽しい。

陸軍の石柱 急な斜面を下る

 下りる方向を緩やかに左へ軌道修正、東へ向かって下る。やがて坂の傾斜が緩やかになり、間もなく牧場跡の入口へ到着した。ここまで来ればもう安心、元来た道を引き返し、分岐まで戻る。途中で下りてきたピークを見晴らす場所に着き、しばらく眺める。なんと大山は大きく見えるものだ。

牧場跡の入口へ到着 下山道は右側の尾根

 コンクリート舗装の場所まで戻り左折、そのまま坂を下り、蓋井小学校へ向かって右折する。この角には「やまどりの散歩道」と「ヒゼンマユミ群生地」の案内が立っていた。右に作業小屋を過ごし、更に下ると左にはエミューが放し飼いにされている施設を過ごす。エミューはとても人なつっこいのか、我々を眺めながら寄ってきた。

舗装路まで戻り左折 T字路は右折
エミュー 四の森へ向かって右折

 次は 「山ノ神」の森 散策を始める。最近できた案内板には 蓋井島「山ノ神」の森 について次のように説明されている。

 蓋井島には「山ノ神」を祀る四つの森があり、四つの森はそれぞれ「一の山」「二の山」「三の山」「四の山」と呼ばれ、集落の後に広がる豊かな原生林に点在している。

 古来、この「山」と呼ばれる森は神聖な場所として、立入ることも枯枝を拾うことも、まして枝を切ることも堅く禁じられてきた。この「山」を中心に、六年に一度、島をあげて神事が執り行われ、その際にのみ山に入ることが許されている。それぞれの山には、「山ノ神」が鎮まる神籬(ひもろぎ)がある。この神籬は、切り取った枯れ枝や倒木を円錐状に積み上げた特徴的な姿をしている。

作業小屋の先を右折 四の森入口には案内の石柱が立つ

 この牧場先の分岐を右折、右に作業小屋を過ごした先の分岐を右折すると、重要有形民族文化財、蓋井島の「山ノ神」の森を案内する石柱が立っている。案内の石柱に従い、坂を登るとここは四の山、「四の山は 島の郡の 奥の院 参拝人を 救う神なり」と案内されていた。

門のような施設 四の山の神籬

 周囲にはいろいろな置物等があり、一体どういう意味で置かれているのか判らないが、とても賑やかな風景が広がっている。奥には案内にあったように、「山ノ神」が鎮まる神籬があり、内部にはカメが置かれていた。

いろいろな置物がある

 元の道に戻り、蓋井島簡易水道第二取水場を左に過ごし、現在全校生徒が1名の蓋井小学校の横を通り海岸線へ。海岸線に出て左折すると左に八幡宮を過ごす。八幡宮の先に水の溜められた施設を過ごし、更に海岸線を東へ向かう。この辺りから眺める海岸線の風景も美しい。

海岸線を左折 八幡宮を左に見る
海岸線を東へ進む 案内に従い左の分岐へ

 間もなく左の分岐に入り、少し進むと左側に一の山、右側に三の山が案内されている。それぞれ神籬に立ち寄った後、再び海岸線に戻り左折、少し進むと左に鳥居が立ち、鳥居をくぐった先には水の明神の案内、その先には社殿が建っていた。また、手前には蓋井島の由来及び神事の説明板が立っているので読んでみる。

一の山の神籬 三の山の神籬

 案内板には、「蓋井島の水の明神の場所に井戸があり、一つは水の池、一つは火の池といわれ、神宮皇后三韓征伐の時、水の在所を敵に見られないよう、又火の池の蓋をあけると大火事になるので、二つの池に蓋をしたことから、二井島、ふたおい島、蓋井島とも呼ばれるようになったという伝説がある。」と説明されていた。

鳥居を潜り二の山へ 水の明神

 右手には二の山が祀られており、これで四つの山をすべてを確認することができた。時刻は丁度午後2時、出航までの残り時間は1時間である。元の道に戻り、海岸線を引き返す。海岸線から進行方向を眺めると最初に登った城山、左の肩には白い灯台がちょこんと乗っている。

二の山の神籬 イヌマキの大木

海岸線から眺める城山

 民宿まで戻って荷物をまとめ、おみやげのカジメを分けて頂き、連絡船乗り場に向かう。乞月山がとても美しく、この山は蓋井島のシンボルのような目立つ山である。港に向かう途中の案内をもう一度確認すると、吉田松陰が嘉永2年(1849)7月に金比羅山の台場を視察していたと説明されていた。

港から眺める蓋井島の風景

 いよいよ蓋井丸に乗り込み、午後3時を迎え出航、最後にぐるり一周を眺める。城山から大山への周回登山はとても楽しく、一日はとても早く過ぎてしまった。背後に広がる蓋井島の風景を何時までも眺める。さらば、蓋井島よ。

民宿から港へ向かう 連絡船から蓋井島を振り返る

蓋井丸から振り返る蓋井島(動画)

 前の山 笠戸島縦走 を見る

 次の山 仙ノ山・山吹城跡(要害山) を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 山口県下関市 蓋井島 登山口付近のMAP

登山リスト(あいうえお順)に戻る

登った山のリストに戻る

トップに戻る