弥彦山(やひこやま)新潟県弥彦村 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トップに戻る 2016年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順 2016年8月14日 弥彦神社 →1:00→ 五合目の鳥居 →0:45→ 九合目 →0:20→ 山頂 →0:20→ ロープウエイ山頂駅・・・ロープウエイ山麓駅 →0:10→ 弥彦神社 全歩行時間 2時間35分 長い東北・甲信越遠征の最終日は新潟県弥彦村にそびえる弥彦山へ。この山は新潟県でも有名な越後国一宮、弥彦神社が登山口である。早い時間に駐車場へ着いたので、割と良い場所に車を置いて登山を開始。まずは弥彦神社へ参拝した。 登山口は越後一の宮 弥彦神社
神社から山頂方面を眺め、山頂を確認した上で神社を出発。神社左から登山道へ向かうと、間もなく左側に「弥彦山万葉の道」の案内があり、更に進むと「中部北陸自然歩道」のコース案内が掲示されていた。この先から石鳥居をくぐり登山道へ向かう。
「弥彦山登山道」の案内を確認して階段を上れば、右に建つ施設の下には水場が置かれていた。冷たい水を頂き、樹林の下に続く道へ向かう。階段状に整備された道なので歩きやすく、何と言っても登山者が多い。私のような大きなリュックを持つ人は一人もおらず、ほとんどの人が軽装で歩いている。
間もなく1合目を通過、この案内はとても励みになる。このほか山頂まで2.3km、弥彦神社より700mの案内もあり、この山が市民憩いの場であることがわかる。
木の根の張り出すワイルドな道を辿り、急な傾斜に息を切らす。昨日まで日本百名山へ登っていたことが嘘のように、この山では息が切れる。2合目を通過し、急な傾斜を乗り切れば3合目を通過、この付近まで来ると少しこの山道に慣れてきた。
山腹につけられた道をジグザグを描きながら高度を稼ぐ、樹間越しに展望は開けるが、本日は少々霞気味である。手製の木製階段が印象的な登山道を登っていると、やがて4合目を通過、少し開けた地点からはロープウエイの駅も視界に入る。
足下が岩場のような場所には鎖が配置してあり、岩場を過ごすと石鳥居の建つ5合目へ着く。足下は不安定な岩の道に変わるものの、補助の手すりが渡してあるので安心して登ることができる。
谷に架かる橋の先で6合目を過ごす。ここには休憩用のベンチが置かれてるので小休止を取るには丁度良い。樹林の下を折り返せば展望地へ到着、石柱には「里見の松」と掘られているが、松は見当たらない。この横には休憩所が建ち、樹間越しに展望が広がっている。
更に遊歩道を折り返せば7合目へ到着、ここには水場が用意されている。冷たくておいしい水を頂き、小川に架かる橋を渡る。わずかで8合目を通過、このあたりは遊歩道なので、ただ歩いているだけでも楽しい。 七合目の水場 ベンチの置かれた休憩所を通過すれば、前方にアンテナが見えてきた。東に燕市、三条市の展望を眺めながら遊歩道を折り返し、間もなくロープウエイ駅から続く9合目の尾根道と合流。西には日本海の展望が広がっているものの、霞気味である。
ここで進路を南へ採り、整備された階段を登る。頭上は自然林に覆われているため日差しが遮られ、尾根を吹く風が涼しい。登山道脇に咲くあじさいを眺めていれば、間もなくNHKのアンテナを過ごす。
前方には山頂付近に建つアンテナが見えており、目的地まではもうわずか。このアンテナやお守りなどの授与所を過ごし、御神廟の石鳥居をくぐれば弥彦山の山頂へ到着。山頂は広場になっており、中央部は一段高く土盛りがされ、この中は御神廟として祀られている。
広場を南へ回り込み、北を振り返れば鳥居が建ち、その奥が御神廟、天香語山命の額がかかっている。山頂からは南から西へ向けての展望が広がり、長岡市の海岸線とその西に広がる日本海を見晴らすことができた。
御祭神の天香山命は、和銅4年(711年)に神武天皇より越後地方の開拓の勅命を受け、日本海の荒波を舟で渡られ、越の国の野積浜(現在の寺泊町野積地区)に上陸された。そこで早速漁民に海水を焚いて潮を作ることや、網や釣り針を用いて魚を獲る術を教えられた。 弥彦に宮居を定められてから、越後を平定し、さらに住民に稲作をはじめ諸産業のご指導をされたと伝えられている。千年以上も昔から、彌彦神社は越後一の宮として「おやひこさま」の敬称で親しまれているそうだ。
山頂で記念撮影の後、下山を開始。9合目の分岐まで引き返し、そのまま尾根道を直進すれば、展望食堂の横を通過、この下には大型駐車場が整備されており、ここまで車に乗ったまま着くこともできる。
階段をわずかに下ればロープウエイ山頂駅へ到着、条件次第で佐渡島も見えるそうだが、本日は霞んでいるので見ることはできない。そのままロープウエイに乗り込み、山麓駅へ降り立った。 ロープウエイに乗り込み山麓駅へ 樹林の下を辿って再度弥彦神社へ参拝、神社境内を散策しながら駐車場へ着き、弥彦山登山を無事終了した。汗を流すために近くのさくらの湯へ移動、温泉に浸かりのんびり休憩した。
長岡へ向かう途中で酒呑童子神社を見つけた。むかし桓武天皇の第五子、桃園親王が越後に来り、その従者否瀬善次俊綱が砂小塚に住み城を築いた。 酒呑童子神社へ参拝 その数代後の俊兼の時、子供に恵まれなかったため、信州戸隠山の九頭竜権現に祈願したところ、妻が身ごもり16ヶ月目に子供が生まれ、外道丸と名付けられた。 外道丸は大きくなるにつれて乱暴になり、8歳の時に和納の楞厳寺にあずけられたが乱暴は止まらず、今度は分水町の国上寺に預けられた。その後、乱暴を心配した母親が亡くなったと聞いた外道丸は、ひたすら修行に励むようになった。 外道丸はまれに見る美男子だったため、近住近郷の娘達からの恋文が山のようにたまったが、目もくれず心から仏を礼拝する毎日だった。 ある日、返事の来ないことを悲観した一人の娘が淵に身を投じてしまった。これを聞いた外道丸は恋文の詰まったつづらを明けたとたん、紫の煙が立ち昇り、外道丸は気を失ってしまう。 しばらくして自分の顔の異変に気付き、鏡の井戸に顔をうつして見ると、悪鬼の形相に変わっていたという。仏道修行を捨てた外道丸は、国上山の中程にある断崖穴にこもり、数々の悪行をはたらき里人を悩ませた。 そして幾日か過ぎ古志郡、軽井沢の茨城童子を従え、その他多くの無頼の徒を集め、頸城郡賀風ヶ嶽・信州戸隠を経て、ついに丹波の大江山におもむき千丈嶽にこもったという。 ラーメン勝で中華そば 新潟ラーメンの最後は見附市まで移動、「ラーメン勝」の見附今町店を訪問。背脂たっぷりの中華そばを頂いた。この中華そばは太麺が特徴で、とろとろのチャーシューも美味しく頂いた。 長岡駅から東京へ移動 JR長岡駅から新幹線に乗り込み、東京から羽田空港へ移動。空港では今回遠征最後のラーメンと言うことで。「東京ラーメン天」を訪問、天ラーメンに明太子ご飯のセットを頂き、今回遠征の予定はすべて終了した。 東京天ラーメンで最後の食事 弥彦神社大鳥居 弥彦神社拝殿 弥彦山山頂の御神廟 酒呑童子神社 前の山 越後駒ヶ岳 を見る 次の山 蓼科山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 新潟県弥彦村 弥彦山 登山口付近のMAP |