トップに戻る 2024年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
最初に向かったのは前回周囲に草が茂り、近づくことのできなかったオビィの墓(比丘尼石・道祖神)。以前の説明によれば、この石には切りつけたような痕があり、それにまつわる不思議な話が残っているとのこと。今回はすぐ側まで行く事ができたので眺めてみると、確かに切りつけられたような痕が残っていた。どんな不思議な話が残っているのか分からないが、比丘尼の伝説とすれば人魚の肉を食べて不老不死となった八百比丘尼が有名である。オビィと言われた比丘尼を巡る争いにより、丸っこい石に傷跡が残るような事件が起きても不思議では無いような気がする。
オビィの墓を過ごし更に進むと海岸越しに遠岳山を見晴らす展望地に出る。相変わらず美しい山容の山とエメラルドに輝く海を眺める。いつまで眺めていても見飽きない、素晴らしい風景である。周囲には石積みの高い塀の「グロ」が続き、その奧に平坦な郭跡らしき広場を見つける。いったい何のためにこんなしっかりした石積みが築かれたのだろうか。
右に広場が現れるとその先に恵比寿神社の案内が現れる。この案内に従い、ロープの渡された坂を下って海岸へ下りる。海岸の先には遠岳山を眺め、透明度の高い海を見ながら恵比寿神社へ向かう。足下に注意しながら岩場を進み、最後に階段を登れば恵比寿神社に着く。
恵比寿神社から鋪装道まで引き返し、少し歩いていると「元寇防塁跡(説)、十六武蔵医師発見地へ」の案内を見つけるが、方向が分からず探索はしなかった。高い石組みの所まで行くと、話し声が聞こえたのでグロが作られた理由を聞くと、やはり元寇の防塁跡では無く、夏みかん等を守るための風よけのためだった。
背の高いグロを眺め、「展望絶景、白地蔵、溶岩流跡、石切場跡」などの案内に従い北の海岸へ向かう。水仙の咲く展望地からは日本海の先に相島、遠岳山が素晴らしい。今回は海岸には下りず、白地蔵を眺めて引き返した。
背の高いグロを眺めながら鋪装道を進むと中央にアーチ型の石門のあるグロに着いた。夏場には雑草の茂るグロだったが、今回は雑草の無いとてもスッキリしたグロを眺めることができた。石門を潜り中に入ると奧へ続く道があり、そのまま作業道まで進むことができた。
風よけのグロの中はかつて耕作地として利用されていたのだろう。石門前を進み最後に向かったのは三角点で、すぐに三等三角点の置かれた鵜山山頂に立ち、鋪装道を辿り、駐車地まで戻った。これで鵜山登山は無事終了である。
当日の昼食は道の駅阿武町の「はじまりの」レストランかしま」で海鮮丼を摂り、奈古の大覚寺では尼子義久の墓所を見学、山陰の雄 尼子義久は毛利氏の軍門に降り、安芸長田の円明寺に幽閉。許されて一族が奈古に来たのは、関ヶ原敗戦後、慶長年間に入ってからであり、義久は慶長15年(1610)に没している。
萩市内では、士分の者を収容する上牢の野山獄と庶民を収容する下牢の岩倉獄を見学、更に毛利輝元が萩城の築城時に宿舎にした常念寺へ移動。常念寺の表門は、もともと京都の聚楽第(じゅらくだい)の裏門として建てられたものを輝元が豊臣秀吉から拝領し、1633(寛永10)年に寄進、移築したものであり、国の重要文化財に指定されている。
尼子義久公墓所
重要文化財常念寺の表門
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