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林道へ向かう起点を美和町生見の美和郵便局とすれば、県道2号岩国佐伯線を北へ進み、岩国生活バスの志谷停留所手前を左折して県道59号岩国錦線に入る。そのまま道なりに進み、途中で県道は左に折れて本郷へ向かうが、かまわず北上する。途中で牛ヶ多和西バス停を通過、更に北へ進むと牛ヶ多和東バス停へ着く。ここで東へ続く鋪装道に入れば、この作業道の終点が高森城址の登山口である。
登山口に置かれた案内を眺めて落ち葉の目立つ登山道に入る。入口には杖が置かれており、滑る道にはとても重宝する。左右に折り返しながらつづら折れの坂に取り付く。足下には大量の落葉が堆積しており、ずるずる滑りながら高度を上げる。周囲には落葉の疎林が続き、樹間越しに周囲の山々を眺める。
北には特徴的なレーダードームが山頂に置かれた羅漢山を見つけることができた。次第に高度が上がり、斜度が緩くなれば山頂は近い。大師堂が見えて来たので近寄ると大師堂の中には石仏が祀られていた。
大師堂を過ごして平坦な山頂に立てば、周囲に樹間越しの展望が広がっていた。前回と同様、落葉の時期でさえも城跡からの展望は限定的である。高森城跡の標識の白地がとてもまぶしかったが、今回はかなり朽ちていた。これが過ぎた年月を感じさせるものである。
山頂から眼下に民家を見下ろした後、下山を開始し、すぐに駐車地に帰り着いた。13年登った山頂はとても懐かしく、当時単独行で登った事を思い起こす。帰りに長角地区へ下る分岐を確認、当時の記憶が蘇る。今回はわずか10分の高森城跡登山だったが、充実した気分である。
その後は周辺散策で、前回登山の際に周回した生見八幡宮へ参拝、本郷地区へ向かい、曹洞宗東大寺に着く。ここには当村餓死三百人の墓があり、享保17年(1732)の享保の大飢饉の際にイナゴやウンカの被害により多くの村人が無くなったため、中世にこの墓が積まれたことが案内されていた。
高森城址 東から西を眺める
高森城址 南から北を眺める
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