トップに戻る 2019年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
→0:45→ 水月寺奥の院 →0:17→ 山頂 →0:05→ 西の展望地
→0:05→ 山頂 →0:14→ 水月寺奥の院 →0:17→ 夫婦杉(66番分岐)
→0:07→ 尾根出合(66番石仏) →0:18→ 88番石仏
→0:20→ 登山道入口 →0:15→ 駐車場
日豊本線の踏切を通過、この先要所に置かれている案内に従い進むと駐車場に着いた。ここで登山準備をしていると4名程度の登山者がやってきた。登山口を出発、舗装道を進む。曇天で霞み気味の天気だが、登山途中に天候が回復することを願いながら進む。
やがて登山口に着き、案内板を確認すると、津波戸山登山道(津波戸山水月寺奥の院参拝道)及津波戸山弘法大師八十八ヶ所霊場巡拝道案内図が掲示され。参拝順路等が書かれていた。ただし、平成9年3月の掲示板なので少し見にくくなっていた。
さて、登山道に入る。大分県の保安林の案内を過ごすと足下には岩が増えてくる。周囲に人工的な植林が目立ち、石垣が見えてくると最初のチェックポイントの海蔵寺跡で、ここにも八十八ヶ所の参拝順路が案内されていた。更に大きな板には津波戸山、津波戸山山水寺月跡、水月寺奥の院と硯石水、銅経筒、津波戸山海蔵寺跡、津波戸山弘法大師八十八ヶ所などが説明されていた。
登山道を進む前に海蔵寺跡を散策しておく。歴史ある石段を辿り、広い境内に入る。低い石組みが残っているのが寺院跡だろう。しばらく周囲を散策した後、石組みを眺めながら入口まで戻った。
さて、登山を続ける。すぐに石積み堰堤の前を通過するが、この堰堤はなかなか見事な作りである。堰堤の右側から回り込むように高度を上げ、上側から堰堤を眺める。やはり見事だ。堰堤によりできた池を眺めながら更に先へ進む。
山腹につけられた道は狭くなっており、スリップしないよう慎重に進む。右側の岩の迫る箇所には補助の鎖が渡してあり、鎖を伝いながら進めば安全だ。大岩の点在する谷を進むと2番の石仏を通過、この先で3番の案内が置かれ、左上へ進むよう示されていた。
案内に従い進めば、大岩の上に3番の石仏が祀られており、その前を目印に従い進むとやがて鎖が現れた。鎖の強度を確認し安心、これなら鎖が切れることはなさそうだ。鎖を補助に一段上に立てば、頭上が開けて対岸に岩峰が開けた。この岩峰にも石仏が祀られているように見えるので、たぶん下山に使う道なのだろう。
周囲に明るい展望を楽しんだ後、岩のゴツゴツ凸凹した道を進む。明るい場所で7番石仏を過ごし、目印のテープなどを追いながら岩の道を辿る。「左京の橋」の案内を見つけたので向かってみると、向かいの岩へ渡るための石橋が置かれていた。左京の橋は不安定そうなので、渡る自信は無く引き返した。
少し高度を上げて左京の橋を眺めると、やはり怖い橋である。ピークから一旦高度を下げるが、鎖が渡されているので安心だ。鎖を補助に後ろ向きに高度を下げる。足で器用に足場を探し、安定した場所を確認したら一歩下る。ただし、岩のえぐれている箇所ではなかなか安定した足場が見つからず苦労した。
一旦樹林の中に入り16番石仏を通過、鎖を伝って高度を下げていると針の耳の案内が置かれていた。ここで鎖は狭い岩の間へ向かっており、鎖に導かれて岩の間を抜け出た。更に高度を下げれば岩屋があり、岩屋の横にも石仏が置かれていた。
谷に下りると25番石仏の前を通過、この先には26番への案内が置かれていた。ここでガイドには「針の耳を下ると大きな大師像があり」と書かれていたが大師像が見つからない。しばらく周辺散策をして大師像を探したがやっぱり見つからない。もう大師像はあきらめて26番石仏へ向かうことにした。
岩に渡された鎖を伝い、高度を上げて右上へ向かう。ここで頭上が開け26番石仏に出会う。凸凹した岩上を進み27番石仏を左に見て鎖を補助に水平方向へ移動する。対岸には麓の駐車場で登山準備をしていた登山者が迫ってきており、これから針の耳へ向かう所のようだ。
鎖を伝い一気に高度を上げて30番石仏前を過ごし、31番石仏を通過する。更に36番石仏まで明るい岩場を通過、39番まで数えたら32番に戻った。この先には31番石仏が祀られていたが、ここでバランスを崩し奈落の底へ落ちそうになった。反射的にしゃがんで目の前の岩をつかんで事なきを得たが、今回の登山中一番の危機だった。
さて、岩場から鎖を伝って長い下りに取りかかり、無事に下りきれば45番石仏に出会う。不安定な岩の点在する道を辿れば47番石仏を通過、41番石仏の先から奥の院までは100mと案内されていた。ところがこの道はとても急な斜面で補助の鎖を伝いながら少しずつ高度を上げる。
足下不安定な道を苦労しながら進むと、水月寺奥の院、登山者休憩所に着いた。この手前には座禅石と名付けられた大石があり、休憩所の横には仁聞の硯石水と言われる清水が湧き出していた。一口飲んでみるとなかなか美味しい。
「養老年間に仁門菩薩が法華経28巻を写経した時、水が無くなり筆軸で岸壁を突いたら、たちまちに清水が湧き出した伝えられる。往古より現在に至るまで変わること無くこんこんと涌きだしているこの清水で習字をすると文字が上達すると言われるそうだ。なお、仁門菩薩は法華経を写経読経して一刀三礼の千手千眼観世音菩薩を彫像したという」と案内されていた。
さて、座禅石の横から続く急登に取り付き、鎖を伝って登れば尾根へ着いた。ここで左折し道なりに進むと、展望台の案内があり、案内の方へ向かうと眼下に素晴らしい展望が広がっていた。残念ながらpm2.5が濃く、遠くまで見晴らすことはできなかった。
展望をあきらめて山頂へ向かい、三等三角点の置かれた平坦な山頂で記念撮影。更に西にも展望地があると言うことなので向かってみたが、展望は霞んでいた。
山頂を通過し展望岩まで戻ると後続の登山者と出会った。そこで疑問に思っていた針の耳から下った先に大師像があったかを聞くと、見なかったとのことだった。更に下山を続け、清水を飲んで小休止、道なりに下り、41番石仏前を通過、谷に沿って下れば45番石仏の前に着いた。この石仏は先程の登山時に岩上から下った地点となる。
岩と岩の狭い間を抜ければ、大きな大師像が祀られていた。なお、この大師像は大正7年に安置されたと説明してある。ようやく大師像に出会えたので一安心。元の谷まで戻って下山を続け、夫婦杉が見えてくればこの先で左上へ続く案内の「66番へ」を見つける。
ロープを補助に急登に取り付けば、すぐに鎖が現れる。左右が岩に変われば、右上方向へ鎖が続き、鎖を補助に登って行く。頭上が開ければ67番石仏を過ごし、岩尾根へ出れば66番石仏に着いた。これから尾根伝いに下って行くのだが、安心感もあり周囲に広がる展望を素晴らしく感じる。
先程まで立っていた津波戸山の展望地や登山時に歩いた岩尾根などを眺めながら尾根を下る。その間にも74番石仏を通過、一旦尾根から下りて再び登り返す。更に尾根を下り最後に88番石仏を見れば、下り方向への案内に従い尾根から離れる。
補助の鎖を辿り一気に高度を下げると、登山時に歩いた道に着いた。これからは元来た道を引き返すだけ。途中で海蔵寺跡の境内を再度眺め、登山口まで帰り着いた。津波戸山は岩場と鎖のアスレチックであった。
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