トップに戻る 2023年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
→1:10→ 大嶽 →0:30→ 海童神社 →0:20→ 平郡東港
本日は平郡島歴史講演会が平郡西集会所で開催されるため通常より多くの乗船者だったようだ。平郡島出身者の北海道岩見沢への移住者について、貴重な講演が予定されている。この講演はオンデマンドで配信されるため、本日夕刻に聴講する予定である。さて、平郡島での登山について概略を説明しておこう。
目的の山は周防100山百景に掲載の山は長深山のみだが、これ以外に最高峰468mの深山、282mの大滝山、しま山百選の271mの大嶽などがある。ただし、大きな問題がある。フェリーのへぐりが平郡東を出港するのは14時丁度。平郡西に9時30分に着いて、4時間30分で平郡東へ到着しなければ、島内泊を余儀なくされる。
そこで私は最高峰の深山へ11時45分までに着かなければ、平郡西へ引き返すことにして港を出発した。港から海沿いを南へ進むと松葉川に架かる西浦橋を渡る。この橋には今日一日よく眺める「長深山登山道」の案内が掛けてあった。そのまま進むと左の円寿寺前に「平郡の魚類供養塔」の案内を見る。明治9年(1772)に佐伯屋吉右衛門が施主となって建立されたものと説明されている。
民家の間を抜けて高度を上げると最奥の民家先で正面に石垣が現れる。この分岐を左折し石垣の間から山道に入る。背後には瀬戸内海が見えているが、この先からしばらく展望を得ることはできない。いきなり背の高い草が行く手を阻むが、草を左右に分けて進めば大丈夫。更に奥へ進むと、石垣により多くの耕作地が作られていた。この状況は山頂近くまで続く。平坦地の少ない島で多くの収穫を得るための智恵であろう。
見事なほどの石垣を眺めながら明確な道を進むと堰堤を過ごす。少し先から進路は一旦北へ向き、やがて東へ向かう。作業小屋の横を進み、りっぱな石組みの段々畑の間を進む。途中で「鶴甫石組み段々畑の展望地」の案内を見つけるが、樹間越しの展望だった。標高170m前後の場所だが、この付近にもイノシシ除けのワイヤーメッシュが設置されていた。
「これより先の登山道にはフユノハナワラビが生息している」と案内があり、すぐ先にフユノハナワラビと思われる植物を見つけた。この植物のある付近で進路は少し右へ向き、坂の傾斜のきついところには補助のロープが渡されていた。
NTTの反射板を過ごせば、石組みの目立つ場所を通過する。登山道の標識を確認しながら緩やかになった傾斜に変わった道を辿っていると、反射板から20分で広く平坦な長深山の山頂に到着した。山頂には大きめの二等三角点が置かれていた。
長深山を予定より6分遅れの11時6分に出発、相変わらず石組みの多い道を辿る。目印テープは引き続き多く巻かれており、地図で進行方向を確認しながら快調に飛ばす。439mピークから一旦高度を下げるが、この付近で目印を見失い、少々藪気味の道を中央突破、鞍部からわずかに高度を上げて尾根へ着くと、再び目印続く道に戻った。
尾根道を辿っていると周囲に集塊岩が目立ち始め、進路をそれまで向かっていた南から東へ方向転換。集塊岩の並ぶピークに着けば、この場所が平郡島の最高峰468mの深山である。見事な自然の造形美の集塊岩をゆっくり眺めていたいものだが、深山到着時間は11時40分、到着予定時間を5分過ぎていた。
深山の周囲は樹林に覆われ展望を望むことはできない。出発予定時間の11時45分ぴったりに深山を出発、多少焦り気味に坂を下る。深山から先は目印テープを見失いがちになるので慎重に進路を確認する必要がある。補助ロープの渡された坂もあるため、滑らないことが第一でもある。
やがて石垣により護られたかつての作業道跡に出会い、しばらくこの作業道跡に沿って進む。この作業道跡は左に下るので、作業道跡から離れて尾根沿いを東へ向かう。そのうち進路は南東に変わり、わずかに高度が上がれば周囲に集塊岩が目立ち始める。
大滝山から南へ進むとレンガが足下に散乱していた。この先にはコンクリートの基礎部分があり、旧日本軍の施設の跡かも知れない。この付近から途切れがちな目印テープを探すことをあきらめ、271mの場所を目指していると、青色のテープが現れた。
この目印に従い北東へ向かうと「大嶽登山」の案内を見つけた。これで少し安心し、集塊岩の間を通って高度を上げると大嶽271mの山頂標識が見えた。この岩上に登ると眼下に平郡東の展望が広がっていた。
これりはすごい、写真では眺めたことがあるがあるものの、実際に眺めると感動する。青空の下に広がる瀬戸内海、周防大島の嵩山、白木山、沖家室島、東には四国松山市が見えている。時を忘れて展望を眺めていたが、大嶽到着時間は13時7分、到着予定時刻を12分過ぎていた。
13時10分に予定より5分遅れで大嶽を出発、さあ一気に坂を下り平郡東に停泊しているフェリーのへぐりへ向かう。下山道には目印テープが明確に続き、道を外す心配は無い。ただし、坂が急なので滑らないように注意を要す。急坂には補助のロープが渡され、これを伝って急いで下る。
更に坂を下れば平郡東の港が見えてきた。フェリーのへぐりはかなり遠くに停泊している。これは急がないと出港時間に遅れるかも知れない。道の辻に祀られたお地蔵様に手を合わせ、急ぎ足で海沿いの道路へ着き石鳥居を見て右折、港へ向かって鋪装道を進む。
振り返れば大嶽の岩の山頂部が顔を出している。道沿いに民宿大野屋、平郡郵便局、平郡東小学校、羽根酒店を過ごし、ようやく港へ着いた。到着時間は15時52分、すぐに帰路の乗船券を1570円で購入し緊張感から解放された。それにしても危なかった。何か一つでもアクシデントがあれば平郡泊となっていた。
フェリーへぐりは定刻14時に東港を出発、盛鼻を巻いて南へ進み、三島の前から西へ向き、長崎鼻の前を通って平郡西へ着く。その間に海上から深山と長深山を眺めるが、やはり標高が高いという感じを受けた。島を取り巻く断崖は険しくて美しい。
弊郡西からは本日の平郡島歴史講演会を聴講した参加者が多く乗船し、へぐりが賑やかになった。明日は平郡東小学校で講演会が開催される予定だ。平郡西を出港したフェリーへぐりから眺める長深山が美しく、いつまで眺めていても見飽きることは無かった。
へぐりは櫛崎の先から進路を北にとる。へぐりから東に見える堤防の先には伝説の残る蛇の池があり、池の水は見えないが、淡水とのことである。柳井港に向かうへぐりから周防大島(屋代島)にそびえる山脈を眺める。馬の背から南畠山を通り頂海山へ縦走したことも楽しい思い出である。やがて北に琴石山が近くなり、柳井港へ帰り着いた。慌ただしい一日だったが記憶に残る登山をすることができた。
大嶽
長深山と深山
前の山 愛宕山(愛宕神社) を見る
次の山 大黒山・竜ヶ岳・毘沙門岩・大梅山 8の字周回 を見る