トップに戻る 2023年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
→0:30→ 月輪寺 →0:40→ 月輪寺登山道入口 →0:40→ 清滝バス停
登山準備の後、ほとんど最後尾で出発。バス停の先から鋪装道が左右に分岐し、左は急な坂を下り町中を通るコース、右は駐車場を経由して緩やかな坂を下るコースとなっていた。ここでは左の道をとる。すぐに清滝川の側に着き朱色の渡猿橋を渡る。橋のたもとには与謝野晶子の碑文があり、「ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里、水の清滝 夜の開けやすき」と詠まれている。
渡猿橋の上からは周囲に紅葉が美しい。そのまま道なりに進むと朱の鳥居の立つ登山口へ到着、いよいよという感じで愛宕山への登山が始まる。なお、右にはトイレと駐車場があり、この方面からは清滝川に架かる金鈴橋を渡ってこの地に着く。
愛宕神社へ4.2kmの案内を眺めて鳥居を潜る。周囲には紅葉が美しい。大きな案内には「伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さんへは月参り」とあり、一の鳥居から50丁で山頂・愛宕神社へ着くそうだ。右に道案内の石仏と三丁の案内を過ごす。この先山頂まで道案内の石仏が祀られている。
コンクリート舗装の道はやがて石段道に変わり、坂の傾斜がきつくなる。折り返すところには水場があり、清水を頂くことができる。清水の場所から少し上がり、折り返しの左側の平坦地は嵯峨小学校清滝分教場跡であり、明治15年に創立されたものである。
分教場跡に祀られた祠を過ごし更に坂を登る。植林の下に続く道を辿れば金山姫神、天照皇大御神、素戔嗚尊などが祀られた17丁の火燧権現跡に着く。かつては山頂の愛宕神社と同様に火の神火産霊命が祀られていたそうだ。案内には愛宕神社まで約3.7kmと書かれている。
横木の階段を辿り慎重に高度を上げると18丁の壺割坂に着く。昔、宇治のお茶を山上に貯蔵して江戸幕府(将軍)に献上ていたが、あるときそのお茶壺を割ってしまったことにより、この坂が壺割坂となったと案内されている。神社まで3500mの案内を過ごせば、この付近から坂の傾斜がきつくなり、坂がの傾斜が緩むと平坦な20丁の一文字屋跡に着く。
参拝者の中には幼児も多く、大人と一緒に元気に歩いている。頭上には紅葉が広がり当日は20丁目付近で美しい紅葉を眺めることができた。嵯峨消防分団の10/40の案内を過ごせば23丁を通過、坂の傾斜のきつさは変わらない。登山中に眺めているのは道案内の石仏、丁塚、嵯峨消防分団の案内と時折現れる見事な紅葉で、やがて愛宕神社表参道の丁石の案内を過ごす。案内によれば、丁石には板碑型と地蔵型の2種類があるようだ
30丁の休憩所付近から山頂まで60分から80分を要すると案内されている。頭上が開け、周囲が明るくなると南に展望が開けてきた。しかしながら少々霞気味の展望なので見えている場所を確認することはできなかった。消防団の20/40付近からしばらく平坦な道が続き、快適な道に歩が進む。
32丁、33丁と丁石を過ごし少し坂の傾斜を感じ始めるとカワラケ投げの案内が置かれていた。山頂までの残りの距離は約1.6kmとあり、着実に距離が縮まっている。消防団の30/40の案内を通過、少しの坂を登れば水尾分れに到着、この地点には休憩用の小屋が建っている。
分岐を右折し水尾山稜参道の石碑を過ごす。43丁を通過、神社まで1000mの案内を見れば前方に建物が見えてきた。この場所はハナ売場で、かつては愛宕さんの火伏の神花樒の売り場だった。周囲に紅葉、眼下に展望を眺め43丁を過ごす。次いで44丁のガンバリ坂を踏ん張り、しばらく歩いていると黒門が見えてきた。黒門は京口惣門とも呼ばれ、白雲寺の京都側の惣門で、ここから境内に入る。
黒門を潜り、振り返ったときの紅葉は見事である。石段を登って社務所を左に過ごすが、右には多くの登山者がベンチに腰掛けて休憩していた。神社へ続く階段に向かって進んでいると、左に片倉小十郎奉納絵馬の由来の案内を見つけた。この案内の右に立つ石碑が片山流剣術始祖片山伯耆守藤原久安師悟道之碑である。石碑をしっかり眺めていよいよ愛宕山・愛宕神社へ向かう。
社務所前を直進し、まず愛宕神社本殿へ参拝、次に左へ移動して奥へ進み、火の神である加具土命を祀った「若宮社」に参拝したが、無事にこの地に到着できたのが一番の幸せである。
社務所で御朱印帳を頂き神社を出発。石段を下り登山者休憩所に下りて昼食を摂った後、下山は月輪寺を経由することにした。休憩地から愛宕神社へ向かって進み、階段手前の灯篭付近から右へ向かって道が続いている。
この道に入り北東へ続く平坦道を進むと電柱横に「上山者の皆さんへ」の案内が立っている。この地点から右下へ向かう道が月輪寺へ向かう縦走路である。なお、この道を直進すれば889.8mの三角点に向かうことができる。さて、坂を下れば少しの間東へ展望が開けるが、やはり当日は霞気味の展望であった。
すぐにワイルドな大岩が現れ、この間を通って下山を続ける。不測の事態が起きた場合の目印として電柱には「愛宕神社・月輪参道コース」36/36から始まる標識が掛けてある。この電柱は愛宕神社から月輪寺を経由して登山口まで続いており、下山時の目印を兼ねている。
天然記念物のシャクナゲの先に本堂が建っており、本堂横には法然上人像が置かれていた。案内に寄れば、月輪寺は天台宗の寺で、天応元年(781)慶俊僧都(けいしゅんそうず)の開基と伝え、寺名は地中から掘り出された宝鏡の背面に刻まれていた「人天満月輪」の明によっているのとこと。平安時代末期には公卿の九条兼実がこの地に隠棲し、法然上人と親鸞聖人が兼実を訪れた際、三人がそれぞれ刻んだと言われる自身の像が三祖像として残っている。本堂前の時雨桜は別れを惜しんだ親鸞上人の手植えによるものと言われる。
歴史ある月輪寺を出発、寺の先からは樹間越しに京都市内を眺めることができた。ほんのり色づいた子宝モミジを眺め坂を下る。途中には月輪寺までに要する時間や携帯電話の電波の届くところ等の案内があり、登山時に助かりそうだ。月輪寺への丁石を眺め、更に下ると身助地蔵尊に着く。この付近から月輪寺まで30分と案内されていた。
植林の下を下り、「しぐれの桜」の石柱を過ごせば01/36の地点を通過、急な坂の先が月輪寺の参道登山口である。登山口には月輪寺まで2km約1時間、愛宕山山頂まで1時間40分、空也の滝への案内などが置かれていた。登山口を出発、出発地の清滝バス停を目指す。空也の滝へ向かおうとしたが、滝までの距離が長そうなので向かうのはやめた。
鋪装道を歩いていると両足が吊りそうになった。今日はとても暑い日で沢山の汗をかいたため身体が塩分不足になったようだ。スポーツドリンクを1リッター追加し、飲みながら進む。大杉谷への案内を過ごし、しばらく先で高雄への分岐に着いた。この場所は月輪寺から2.6km、清滝へ0.7km地点である。この先で外国人が3人歩いてきて空也の滝への道を聞いてきたので教えた。
渡月橋の周囲は三連休の中日なのでとても多くの人でごった返していた。渡月橋は一方通行のようで逆走ができないようになっていた。渡月橋から愛宕山を眺めることができたので今後はすぐに愛宕山が分かるようになった。桂川と渡月橋を眺めた後、阪急嵐山駅へ着き、地下鉄を経由して京都駅に帰り着いた。
渡月橋の先にそびえる愛宕山
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