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平郡行きのフェリー「へぐり」に乗船し8時半に柳井港を出港、周防大島や室津半島、上関、八島などの風景を楽しみながら平郡西港に上陸したのは9時半過ぎ。港で東港へ向かう「へぐり」を見送り平見山城跡へ向かう。港から海沿いを南へ進むと松葉川に架かる西浦橋の前の交差点に着く。ここで進路を北東にとり、松葉川沿いを進むと、道の左側に平見山城跡の案内板が立っていた。そこでしっかり案内板を眺め、登山前に城跡の情報を仕入れておいた。
案内板の先には右へ向かって進むよう、平見山への案内が掲示されていたので右折、松葉川を渡り鋪装道を進む。すぐに山道に入り、左右に草の目立つ坂に向かう。本日は登山靴では無く、普通のスニーカー程度だったので足下が不安定であり、慎重に高度を上げる。
足下には可憐な水仙が咲いており、春が近いことを感じさせる。足下に岩が目立ち始めると右に作業小屋を過ごす。要所に案内が置かれているので道に迷う心配は無い。山腹に続く道を辿っていると涸れ沢のような場所に着き、石垣の右側を進む。この先で右に折り返し、わずかに高度を上げると頭上にシュロの木が大きい。
海蔵院跡から城跡まではわずかな距離で、西に向かって進み、わずかに高度を上げれば広く平坦な平見山城跡に着いた。中央付近に山頂標識が置かれ、平見山城跡の情報を得るためのQRコードが掲示されていた。山頂からの展望は樹間越しだが、わずかに坂を南側と西側に下りてみると西港の先に瀬戸内海が美しく、この場所が監視するのに最適な場所と言うことがよくわかる。
それぞれの展望を眺めて平見山城跡地を出発、登山口まで引き返した。本日の登山予定は平見山城跡のみなので、これから先は周辺散策。平郡島の名所旧跡を訪ねる。最初に向かったのは昨年11月に長深山へ向かう際に気になった「円寿寺の魚類供養塔」で、当日は時間が無かったため、眺めることができなかったものである。
次に向かったのは重道八幡宮で、前回は鳥居の写真のみを撮っている。今回は石段を登り本殿に参拝し、瀬戸内海の美しい展望を眺めることができた。また、神社の狛犬は平郡島から北海道岩見沢へ移民した人々が奉献されたそうだ。
重道八幡宮から少し北へ移動すると消防機庫の横に大師堂があり、その奧に石風呂、石風呂の横には負上之石があり、かつて力自慢をした石と言われている。
県道155号西浦東浦線を道なりに進む。やがて蛇の池へ向かう分岐に着き左折、一旦坂を下り登り返す。次第に道は荒れてくるが、なんとか進むことができた。周囲が明るくなれば、海岸線に着き、道なりに南西に進むと朱に塗られた社殿の赤石神社に着いた。神社の周囲には赤い石が置かれていた。
赤石神社を過ごし、更に道なりに進むと海の側に蛇の池神社が建ち、広い蛇の池を眺める。池の浦の潟に棲んでいた大蛇がこの池に移り棲んだという伝説の池である。海のすぐ側なのにもかかわらず、淡水なので灌漑用水などに利用されているそうだ。蛇の池散策を終え、県道まで戻り東浦へ向かう。
県道から瀬戸内海を眺めながら進み、右に建物が見えたので立ち寄ると、この神社は大久保大明神だった。海にそびえる集塊岩を眺め更に進んでいると駆逐艦梨の慰霊碑に着いた。梨艦ノ記によれば、「昭和20年3月神戸川崎造船所で竣工し本土防衛にその機能を発揮した 然るに同年7月28日長深山沖の海戦で敵機延べ150機の攻撃を受け奮戦するも遂に爆沈その栄光の幕を閉じた ここに海底深く眠る御霊を祭ると共に恒久の平和を念じて建立す」とある。慰霊碑から見える長深山沖の会戦地を眺め、御霊に黙祷を捧げた。
慰霊碑を出発、東浦に着くと最初に見えてきたのが恵比寿様の石祠、海岸線を更に進むと右上に昨年登った岩山の大嶽が見えてきた。そこで前回しっかりお参りのできなかった海童神社へ参拝、北海道開拓団の岩見沢の有志から寄贈された狛犬を見学した。狛犬の後には寄贈者の氏名の刻まれた石碑が置かれていた。
最後に平郡東の氏神様の早田八幡宮に参拝、民宿の夕凪さんで平郡名産のひじきを購入し東港に到着、無事にフェリーに乗り込み落ち着くことができた。しっかり周回をすることができたモトコンポに感謝である。フェリーの中でおむすびを食べ、カップヌードルも食べ、最後に珈琲を飲んで本日の予定は全て終了した。
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