石城山5峯を周回と神護石見学 山口県光市

トップに戻る           2024年に登った山リストへ戻る        山名アイウエオ順

2002年 6月 2日(日曜日)の登山記を読む

2008年 1月 2日(水曜日)の登山記を見る

2024年2月18日
伊賀口登山口 →0:25→ 祠(三鍛冶屋分岐) →0:10→ 石城神社 →0:05→
鶴ヶ峯 →0:05→ 南水門 →0:08→ 大峯 →0:07→ 星ヶ峯 →0:10→
高日神社(高日峯) →0:15→ 東水門 →0:15→ 北水門 →0:08→
西水門 →0:10→ 月の峯(築山) →0:07→ 第二奇兵隊陣屋跡 →0:05→
祠 →0:15→ 三鍛冶屋登山口 →0:10→ 伊賀口登山口
全歩行時間 2時間35分
登山行程図(地図をクリックすると拡大)

石城山県立自然公園史跡案内図(写真をクリックで拡大)

 う神護石で有名な光市の石城山へ登る。石城山には以前2回登っているが、この山域には5つの峯(鶴ヶ峯・星ヶ峯・大峯・高日峯・月の峯「築山」)があり、今日は全ての山頂に立つことを予定する。登山口は伊賀口登山口で、登山口手前に数台分の駐車スペースが用意されている。登山口を出発し土のうなどで歩きやすくされた道を辿る。途中で白い梅の花を観賞、季節は確実に春に向かっている。
駐車スペースのある伊賀口登山口 登山口を出発
倒竹を避けて進む 開けた場所から石城山を眺める
右から三鍛冶屋からの道が合流 分岐等の左に建つ祠

 すぐに周囲を竹林が覆い、倒竹を避けながら高度を上げる。進路が少し右を向けば植林の下を進み、再び竹林の中を進むことになる。山腹に続く道を辿り頭上が開けてくれば、前方に石城山が見えてくる。左の小山にはヤマザクラなどが植えられているようだ。すぐに三鍛冶屋登山口からの道が右側から合流し、分岐の左側には祠が祀られていたので参拝する。

第二奇兵隊士首置松跡 山頂まで400mの案内
石城神社へ向かって右道をとる 神護寺跡の第二奇兵隊本陣跡

 分岐を出発し自然林の下に続く道を辿っていると前方に「第二奇兵隊士首置松跡」の案内が立っていた。ここで左の分岐に入り、「石城山県立自然公園登山道、山頂まで400m」の案内に従い進むと、西水門へ250mの案内を過ごす。西水門には左下へ続く道をとるのだが、本日は反時計回りに進んで石城神社に参拝するため右道をとる。すると左下に広場が現れ、奧には千手観音菩薩が置かれていた。この場所は神護寺跡で幕末から明治維新にかけて第二奇兵隊の本陣として利用されていたところである。

「第二奇兵隊志士を懐う」の碑 石城神社の鳥居を潜る
石城神社へ参拝 神護寺仁王門(随身門)
大師堂 平生方面の展望

 右に岸信介氏の詠まれた七言絶句の「第二奇兵隊志士を懐う」の碑を過ごし、石城神社本殿へ参拝する。本殿へ参拝後、車道へ向かって進み、神護寺仁王門(随身門)を潜る。この先の右側に広場があり、眼下に平生、田布施方面の展望を眺めることができた。広場から振り向けば朱の大師堂が後に建っていた。

鶴ヶ峰へ向かう アンテナの建つ方へ進む
奇兵隊火薬庫跡の石碑 鶴ヶ峰山頂
 ここで本日最初の山頂の鶴ヶ峰へ向かうため進路を北西にとり、広い作業道を進みアンテナの建つ場所を目指す。向かって右側に奇兵隊火薬庫跡の石碑を見つけたら、この左横に立つアンテナの下が鶴ヶ峯である。
鋪装道を下る ガードレールの切れた場所を右折
コンクリート施設の手前から下る 南水門

 鋪装道まで引き返し、次は南水門を見学する。そのまま鋪装道を下り、カーブミラーの手前を右折、この入口には「神護石南水門約70m」と案内されている。入口から南へ進み、すぐ左に続く坂を下ると石が転がっていた。この場所が南水門である。

鋪装道から東水門へ向かう 「宇和奈利社」の後方の頂が大峯
磐山神社 磐山神社の奧側から大峯に向かった

 再び先ほどの分岐まで引き返し、今度は東へ続く道に入る。左に祠を過ごし、東水門600mの案内に従い進む。前方に左上へ続く階段が現れたので登ってみると「宇和奈利社」が祀られており、祭神は木花咲耶姫命であった。この社の右側には磐山神社が祀られており、宇和奈利社の後の小高い場所が本日2つ目の山頂の「大峯」である。この場所には左右どちらからも登ることができた。

20丁の丁塚と二十丁目地蔵尊を通過 若宮社
物部神社 五十猛神社

 大峰を出発し分岐を左折する。この分岐には東水門へ540mの案内が立ち、20丁の丁塚と二十丁目地蔵尊が祀られていた。分岐から東へわずかに進むと左に若宮社を過ごし、更に進むと物部神社と五十猛神社が祀られていた。3つ目の山頂に向かうには、この両社の間に続く道を北に下る。

物部神社と五十猛神社の間を下る 東屋の手前を右折
左上の斜面に取り付く 星ヶ峯山頂

 すぐに東屋が2棟建つ場所に着くので右へ進路をとる。そのまま北へ進むと北門250mの案内を過ごし、更に道なりに進むと左上へ続く坂を見つけたので登ってみると、この先が「星ヶ峯」だった。星ヶ峯は樹林の中であり、当然展望を得ることはできない。

五十猛神社まで戻り高日神社へ向かう 高日神社(高日峯)
琴石山と柳井市街、瀬戸内海の先に周防大島 風車の建つ大星山と平生の街並み
 先ほどの物部神社と五十猛神社まで引き返し、北東に続く道を辿る。やがてわずかに高度を上げれば本縦走の最高峰、高日神社の祀られた高日峯に着いた。この場所が石城山山頂である。山頂からは南東方面の展望が素晴らしく、平生湾の先に上関の展望が広がり、大星山、赤子山、周防大島に琴石山、三ヶ岳、田布施行者山、銭坪山、大将軍山などが素晴らしい。
柳井市街を眺めながら坂を下る
分岐を左折 三千巻納経五輪塔
鳥居を潜る 東水門へ向かう

 柳井市の市街地を見下ろしながら坂を下ると、すぐ丁字路に着くので左の道をとる。三千巻納経五輪塔と石仏を過ごし石鳥居を潜る。再び分岐に着くので東水門へ向かって左の道をとる。石組みの向かいには石城山神護石の説明板が建っており、崩壊防止のため石組みは鉄の網で覆われていた。

東水門
蓮華山 羅漢山

 左に石組みを眺めながら進むと東水門へ着く。歴史ある東水門の石組みを眺めて更に道なりに進む。北門へ350mの案内を通過、わずかに坂を登れば再び琴石山などの展望が広がっていた。この下には人枡があり、なんと言っても素晴らしかったのは羅漢山がよく見えた事である。以前琴石山からは確認したことがあるが、石城山からもしっかり眺めることができたのは思い出に残る出来事である。

夜泣き石 沓石
神護石 龍石

 展望地を過ごし坂を下る途中で夜泣き石(マチ石)を眺める。坂を下れば北門に到着、ここでは沓石を眺めることができた。北水門を出発、神護石を眺めながら進んでいると龍石が登山道の横にそびえていた。

北水門
西水門 西水門の先で平坦な場所に着く
平坦な場所から南東の斜面に取り付く 大石を過ごす

 坂を下り北水門に到着、足下はぬかるんでいた。北水門の石組み等を眺めて出発、すぐに西水門に着き、これで東西南北の水門を眺めることができた。西水門を過ごして少し坂を登れば広く平坦な場所に出る。この場所から南東に続く坂に取り付けば、四等三角点の置かれた月の峰(築山)に着いた。これて石城山5峰の全てに立つことができた。

四等三角点の置かれた月の峯(築山) 千手観音菩薩の置かれた第二奇兵隊本陣跡
三鍛冶屋へ向かって下山開始 分岐を左折し三鍛冶屋へ下る

 月ヶ峰の周囲は樹林の覆われて展望を得ることはできなかった。山頂から南へ向かって坂を下り、着いたところは千手観音菩薩の置かれた第二奇兵隊本陣跡だった。これで石城山登山は無事終了したので下山を開始する。下山は三鍛冶屋方面へ向かって祠の建つ分岐を左折した。

倒竹の場所を通過 明るい道を下る
鋪装道に出る 二本の石柱を過ごす
県道に下りて右折 石城山の案内に従い分岐を右折

 登山道に倒竹が目立ち始めたので竹を迂回しながら高度を下げる。倒竹の場所を過ごせば登山道は快適で、三鍛冶屋登山口を通過し県道に下り立った。そのまま道なりに鋪装道を辿り、伊賀口登山口まで引き返した。本日は久しぶりに石城山をしっかり眺めた気がした。石城山はやはり名山である。

石城神社
神護寺仁王門(随身門)
高日神社(高日峯)
琴石山、周防大島、赤子山
平生上関方面
東水門
羅漢山と蓮華山
神護石
龍石
北水門
西水門

月ヶ峰山頂

三鍛冶屋登山口の結界石標

 前の山 平見山城跡 を見る

 次の山 成君寺山 を見る

歩いた足跡  
登山口周辺の地図はこちら 山口県光市 石城山 登山口付近のMAP
登山リスト(あいうえお順)に戻る
2024年に登った山のリストへ戻る
トップに戻る