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この案内の所で分岐を右折し西へ進むと道ばたに「亀井茲矩公の墓」へ0.8kmの案内が置かれている。今から向かう明星ヶ鼻の山頂はこの墓所なのでこの案内に従い進めば登山口へ着く。
道なりに進むと進路は左に向き、左右の分の所で右側に「亀井茲矩公の墓」の案内が立っているが、進路は左が安全である。そのまま道なりに進み緩やかに右カープを描いて進路は北へ向く。この先の突き当たり付近に「亀井茲矩公の墓」の案内が立っており、この手前付近に車を置いて登山を開始する。
進路を東にとり突き当たったところに「亀井茲矩公の墓」は右折の案内が立っている。なお、正面奧には祠が置かれているので下山時に参拝すると良い。分岐を右折すれば左に亀井武蔵守茲矩公の説明板が掲示されているので登山前に亀井公について情報を仕入れておく。
内容を抜粋すれば亀井茲矩公は出雲国に生まれ山中鹿之助等と相結託し、尼子氏再興を約し山陰各地で毛利氏と戦い、豊臣秀吉の鳥取城攻めに参加、第二回鳥取城攻めの時鹿野城を守って功をあげ鹿野城主となる。関ヶ原の戦いの際には東軍につき因伯鎮撫となり四万三千石に加増されたが、それ以上に御朱印貿易により大きな利益を得たと言われる。
さて、この先の石鳥居を潜り山道に入る。立派な石段を登れば右に石垣が現れ、そのまま進むと広く平坦な明星ヶ鼻の山頂に着いた。山頂には四角の石垣の中央に亀井茲矩公の墓所が祀られていた。
山頂からは樹間越しながら南に展望が開け、のどかな農村風景が広がっていた。下山は往路を引き返し、途中で祠に参拝をして駐車地まで戻った。
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