トップに戻る 2023年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
画聖雪舟の像などを眺めて日本三名塔の一つの五重塔へ向かう。五重塔の前には「長州はいい塔を持っている」と司馬遼太郎の「街道を行く」の一説が掲示されていた。さて、五重塔を眺めて北へ続く階段へ向かう。桜の木の植樹された道を進み少しずつ高度を上げると高台は山口市街を見晴らす展望地になっていた。
更に奥へ進むと害獣避けの柵が巡らされていた。ここで柵の中に入り樹林の中へ続く道を辿る。少しずつ坂の傾斜が増すが疎林なので見通しは良くヤブをこぐ事も無く高度を上げる。西北西へと進んでいた進路は途中で北へ向かい始める。やがて傾斜が緩めば最初の山頂、260mの大蔵山へ着いた。
足下には毛利家の石杭が立ち、この周囲は毛利家所有である事が分かる。周囲は樹林に覆われ展望を得ることはできない。平坦なピークの大蔵山を出発、一旦坂を下って登り返すが、この先からは緩やかな傾斜の尾根道歩きなので歩行も快適となり、足下の石杭には公爵毛利家と彫られたものが増えてきた。
古堂山を出発、西へ下り途中から北西へと進路が変わる。途中で倒木などを迂回しながら進んでいると、進路は北に変わりわずかなアップダウンの後左右の分岐へ着く。右は古城ヶ岳へ続く道で、左は五十鈴川の頭を経て高崎山・又は油ヶ峠へと続く道である。
少し高度を上げた後、坂を下ると作業道にような道に入り、左側の切れ落ちたところを過ごすと右上へ道が続いていた。ここで補助のロープを伝って一段上に着き、この先は木々を手がかりに高度を上げる。
急登が始まれば山頂は近い。一気に高度を上げると広く平坦な古城ヶ岳の山頂に着いた。山頂は広く平坦な郭跡で四等三角点が置かれていていた。山頂周囲は樹林の背が高く展望は望めない。山頂の端から下を覗くと郭跡を見ることができた。そのまま淵に沿って歩いていると大岩の南側に展望の広がる場所があったので下りてみた。
展望地からは限定的だが左に七ッ尾山、正面に周慶寺山、三才山、東山、その先に大平山、矢筈ヶ岳、右田ヶ岳等を眺めることができた。11時を過ぎたので展望地で昼食をとり、古城ヶ岳を出発した。先ほどの分岐まで引き返し進路を北西にとる。
周囲の樹林が少なくなり樹間越しながら西鳳翩山が見えてきた。快適な縦走路を辿り、坂の傾斜が増すところでは補助のロープに助けられ、この先で鋤尖山や西鳳翩山のアンテナもはっきり眺めることができた。
右へ分岐する道が現れたのでこの道を辿れば油峠へ着くのだろう。当日はそのまま南へ向かって縦走路を進み、苔むす大岩を過ごせば408mの平坦な高崎山の山頂に着いた。これでいよいよ次は最後の鴻ノ峰となる。
足下に大きな石、樹間越しに鋤尖山などを眺めながらに道なりに南へ向かって進む。アップダウンはあるが歩くのに邪魔な障害物は無いので安心して進むことができる。ところが山腹に続く道に入ると踏み跡が狭くなり、左下に滑り落ちそうな道に変わった。ドキドキしながらこの難所を通過したが、コースの中で高崎山の下の急傾斜が一番の難所で、この付近が2番目の難所のようだ。
ただし、もうこの先には大して危険なところは無いので大丈夫。再び樹林の中に入れば補助のロープが設置された斜面に取り付き、植林帯の中に下りる。足下にシダが増えてくれば前方の視界が開けて鴻ノ峰が近くなっている。鴻ノ峰の手前で一旦坂を下り、鞍部から登り返す。もう鴻ノ峰はこの坂の上にそびえている。
急な坂に取り付き自然林の中で一気に高度を上げる。ここでも急斜面には補助のロープが用意されているため安心して高度を上げることができる。やがて史跡境界の石杭を過ごし斜面を乗り切れば、着いたところは主郭北側の石垣の前だった。
すぐに主郭へ向かう正面入口に着き、石段を登れば広く平坦な鴻ノ峰の山頂に着いた。山頂からは東方面が開けており、山口市街や周慶寺山、三才山、東山、その奧に蕎麦ヶ岳、大平山、矢筈ヶ岳、右田ヶ岳などの名峰を眺める。曇り空なのが残念だが山口市街を眺めることができて満足である。
高嶺城跡の説明などを眺め,樹間越しに西鳳翩山を眺めて下山を開始した。休憩所からの展望を眺めたが、以前に比べると視界が狭くなっているように見えた。ここで2人の女性が上がってきたので展望地を出発、坂を下りアンテナ下に着き郭跡に入って四等三角点を確認、滑りやすい階段を注意しながら下って稲荷神社前に着いたが朱の鳥居は傾いていた。
以前と同様笠木の取れた鳥居を潜り、注連縄の渡された大岩の前に帰り着いた。山口大神宮の奥宮、多賀神社に参拝して山口大神宮を出発、県庁前を通って登山口の瑠璃光寺まで帰り、長い周回が無事終了した。
鴻ノ峰の展望地から山口市街の展望
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