トップに戻る 2021年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
→0:20→ 鑪山(202m) →0:15→ 鞍部 →0:15→ 花の里
この飯浦地区へ来るきっかけは津和野藩の砲台跡の調査のためで、2019年10月にこの地を訪問して人形の形をした岩を眺望する「人形岩眺望所」、津和野城主が飯浦を視察の時駕籠を止めて景色を眺め休憩したという「駕籠立」などを確認した後、戦役に備えた砲台址の旧台場の案内を見つけた。この案内に寄れば、「小高い丸型の山には、古代から大陸や朝鮮半島と接する石見・長門の防備のために、底干浦と呼ばれた飯浦の地にも砲台が置かれた」とある。
この案内写真の場所を見つけるため海岸に降りると、建物の横の小山であることがわかった。残念ながら当日は土地の所有者と連絡が取れなかったため、台場址へ登ることはできなかったが、場所の確認をすることができた。 当時の文書「飯浦御武器蔵御道具覚」には長銃、大銃、湊砲、木砲、薬箱胴乱、銃薬、玉子、口薬入、口薬、大縄等が台場に置かれていたことが残されており、津和野藩にはこの地をはじめとして合計13の砲台が築かれていた。また、船見番には火縄銃3挺、草胴乱、口薬入、木綿火縄各3、遠眼鏡、三ツ道具、掲挑燈、小丸挑灯が各1つずつ置かれていたとある。
この地に来るまで、台場址はこの小山の西にそびえる円錐形の山と思っていた。この円錐形の山の手前で「花の里」の所有者の方にお尋ねすると、円錐形の山はこの方が愚公山と名付けられた山で、山頂まで登山道が整備してある事を教えて頂いた。そこで、この愚公山へ登ってみる。
愚公山へ向かうには萩市側から田万川トンネルを潜り益田市に入る。トンネルを出て最初の左の分岐に入り、そのまま細い道を進むと突然という感じで前方に平坦な耕作地が広がる。この平坦地が「花の里」でその前方に円錐形の山がそびえている。土地の所有者に駐車の許可を頂き登山を開始。
550m地点では眼下を見下ろす展望地が用意されていた。更に進み竹林を抜けた400m地点では益田沖の日本海を眺めることができた。やがて山頂まで200m地点で作業道歩きが終わり、いよいよ山道に入る。
この先には補助のロープが渡され樹林の間を進むと砲台山と鑪山の鞍部へ着く。鞍部からは北へ進むと150mで砲台山、西へ進むと300mで鑪山、北西へ900m進むとさばつぼと案内されていた。さばつぼとは釣り場のことかも知れない。
ここではまず山頂に向かって北へ進む。樹林の間にしとっかり補助のロープが続き、急登だが大した苦労は無い。山頂まで続くロープに従い進むとすぐに傾斜が緩やかになり、平坦な山頂に着いた。山頂周囲は伐採されており西に日本海を眺めることができた。
平坦な山頂を東へわずかに進むと飯浦漁港から益田まで続く海岸線を眺めることができた。山頂周囲を確認すると、石組みに適当な大きさの石が多く転がっており、見張り場のために使用されたものかも知れない。
山頂で昼食を摂った後鞍部まで引き返し次はタタラ山の案内に従い西へ続く坂へ向かう。ロープの渡された道を進むと進行方向にウラジロが繁り始めた。しばらくはウラジロの間を進むが。やがて進路はウラジロを避けて左側へ続き、急登を辿れば黄色のプラスチック杭の立つ標高200m地点へ着いた。
鑪山から元来た道を引き返し、標高200m地点から鑪崎へ向かって県境尾根を下る道を探したがこの道は樹林を分けて進むしか無い。時間的に鑪崎まで往復するには遅い時間なので、花の里まで引き返すことにした。元来た道を引き返し、花の里で山の持ち主の方に御礼を述べて愚公山を後にした。
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