福山城趾(ふくやまじょうあと)岡山県総社市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012年3月3日 和霊神社 →0:15→ 福山城跡 →0:08→ 妙見展望台 →0:12→ 和霊神社 全歩行時間 35分 吉備の中山ハイキングの後、総社市の福山城跡へ。この福山は「福山合戦」の地として「太平記」に記されている有名な山である。後年室町幕府を開いた足利尊氏は、京都の戦いで敗れた後、一旦九州に逃れた。その後尊氏は、勢力を盛り返しながら再び都を目指し、軍を瀬戸内海と山陽道二手に分けて攻めのぼった。 後醍醐天皇方の新田義貞軍先鋒隊の大井田氏経は福山を占拠し、足利軍の東上を阻むため、この城へ立てこもった。尊氏の弟の足利直義率いる20万の軍と、福山を守る1500の軍との間に激しい攻防戦が行われ、その戦いは三日三晩続いたといわれる。大井田軍はよく奮戦したが、福山城は火をかけられて落城した。氏経は、わずかに残った将兵と共に足利軍の布陣を無事突破した。なお、この戦いの7日後、楠木正成が戦死した湊川の合戦が行われている。
このような歴史ある福山なので、史跡を散策しながらのんびり登りたいところである。ただし、この前に登った吉備中山に思わぬ時間を費やしてしまい、登山時間の余裕が無い。そこで、登山口を最短コースの和霊神社とする。山陽自動車道の倉敷インターを起点とすれば、同インターを下り、国道429号を左折、200m程度先の「水別・西坂台入口」交差点を左折する。
そのまま道なりに進むとY字路に着くので分岐を右折、更に進むと右に分岐が現れるので右折する。この先道なりに進むと、「日差山→福山」縦走コースの案内が木に掛けてある。これで登山口へ向かっていることを確認、更に舗装路を進む。
すぐ右側に福山への登山道を見つけるが、舗装路は先へ続いているのでそのまま進む。やがて広い和霊神社の駐車場へ到着、周囲には樹林を伐採する人たちがチェーンソーなどの整備をしていた。
さて、福山方面へは林道のような広い道が続いており、案内板には福山城跡へ650m、幸山城跡へ1150mと書かれている。「福山へは20分」と案内にあるのですぐに登山口を出発する。左右は気持ちの良い自然林であり、足下は広い道。これ以上はない快適な登山道を進む。
坂の傾斜は緩やかなのでどんどん距離を稼ぐ。縦走コースの案内に安心しながら進んでいると、右から広い道が合流した。この分岐を右折すると幸山へ800m、時間さえあれば、大した距離ではない。
左の道を採ればわずか150m先に猿田彦神社があるので、この神社へ向かう。石仏を眺めながら平坦な道を進むと、すぐに猿田彦神社へ到着。神社へ参拝し、周囲を眺めると左に石段が続いている。
この上には何が祀られているのだろうかと登ってみると、梵天神社が祀られていた。神社の横からは、横木で造られた階段が上へ向かって続いている。更に横の木には、縦走路案内も掛けてあるので安心して階段を登る。急な斜面につけられた階段なので一気に高度は上がる。階段途中には展望を眺めるためのベンチが置かれ、登山道はとても整備されている。
間もなく平坦な広場へ到着、この広場が福山城跡である。広い山頂広場には延元元年古戦場福山城趾、福山合戦忠霊之碑など多くの石碑が建ち、狛犬までも置かれている。また、山頂は北面と南面の二面あり、北面の方が少し高くなっている。 岡山市内方面の展望 周辺ではマツクイムシ被害の松の木の伐採作業が行われている。山頂からの展望は、東と西に向かって開けており、東には和霊山の先に岡山市街を眺めることができる。また、西には総社市清音の風景が広がり、急な階段が下へ向かって続いている。広い山頂をのんびり散策、四等三角点にて記念撮影の後、山頂を出発。岡山県十勝地、福山合戦六六○年記念碑などを眺めて広い道を下る。 広く平坦な山頂 アンテナの立つ場所の分岐付近に、「妙見展望台へ300m」の案内が置かれているので向かってみる。案内に従い坂を下ると、間もなく妙見展望台へ到着した。眼下には総社市内の田園風景がとても近く、美しい風景をしばらく眺める。展望台から少し戻り、下へ向かう道を探してみたが、樹林の伐採中で雑木が多いため元来た道を引き返す。 妙見展望台から眺める風景 そのまま林道まで戻って下山を続ける。途中で、「幸山まで800m」の案内に心を動かされるが、時刻が遅いのでそのまま坂を下り登山口まで戻った。 福山合戦記念碑 展望地 山頂南の平坦地 妙見展望台 前の山 吉備中山 を見る 次の山 奥滝山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 岡山県総社市 福山城跡 登山口付近のMAP |