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やがて美保神社前へ着くが、神社参拝は登山後とする。そのまま県道を終点まで進めば地蔵崎の広い駐車場に着く。地蔵崎は古くは美保之碕と呼ばれていたが、航海の安全祈願のため多くのお地蔵様が岸壁や波打ち際に奉納されるようになり、お地蔵様がある岬と言うことで地蔵崎と呼ばれるようになった。 灯台への取り付きには美保関灯台の案内があり、美保関灯台ビュッフエの案内があるものの、木曜日は定休日だった。灯台周辺を散策していると北には隠岐の島が見えると書かれていたが、本日は少し霞み気味ではっきり確認することはできなかった。そんな中でも日本海はとても美しい。
灯台の下にはこの美保関沖北東32キロ付近で今から95年前の昭和2年に起きた日本帝国海軍の駆逐艦と巡洋艦の衝突事故(美保関事件)の事が案内されていた。この事故は訓練中に起きたことから、海の八甲田事件とも言われる惨事で119人の乗組員が犠牲になっている。紺碧の日本海の海底130m付近には今なお駆逐艦「蕨」と共に兵士が眠っている。なお、昨年この船体は発見されている。灯台下から遊歩道を時計回りに一周して駐車場に戻り、馬着山登山を始める。
登山口は駐車場西側の遊歩道入口である。この馬着山登山は2回目であり、前回登山は2009年2月8日、O氏と大山登山の翌日に400座目の節目の登山として登っている。その後現在までに1188座登っており、あの日以降に登った山の方が多くなっている。当時は馬着山山頂からO氏のご好意によりそのまま五本松公園を経て縦走をさせて頂いたが、本日は単独登山なので往復となる。
登山口を出発し整備された遊歩道に入る。遊歩道横には「五本松公園地蔵崎線歩道案内図」が掲示され、これから先の行程と所要時間などが詳しく案内されていた。遊歩道を進むと、広く平坦な広場に出て進路は左(西)へ向く。横に立つ案内には山頂まで1450m、五本松公園までは2700mと掲示されている。
坂の傾斜を感じる階段歩きも進路が左に向けば斜度が緩む。すぐに109mピークを越えれば、右に樹間越しながら青い日本海が現れる。快適な尾根道を進めむとベンチの置かれた休憩所に到着、案内には山頂まで750m、五本松公園へ2000m、美保関灯台から1100mと書かれている。遊歩道に入ったところで美保関灯台から400mだったので、この場所が山頂までの中間点付近なのだろう。
腰掛けるのに丁度良い石を過ごし、平坦な尾根道を進むと青空の下に東屋が現れた。東屋の先からは眼下に境港水道、境港の街並み、寝仏に見える和久羅山、嵩山などの展望が広がっている。
東屋を出発し、右に日本海が見えてくれば、横木の階段歩きが始まり高度が上がる。頭上の樹林が切れて周囲が明るくなれば、西への展望が開けた。遠くに寝仏が現れ、前方の山の中腹には塔が見える。これは五本松公園に建つ平和祈念塔だろう。眼下に美保関漁港が明るく、境港の街並みなど真夏の風景が広がっている。ここにはベンチも置かれており、展望を眺めながら休憩するのに丁度良い。
もう山頂までは50m、五本松公園へ1300m、美保関灯台からは1800mの位置にある。さあ、山頂は間近、わずかに坂を登れば標高210mの馬着山山頂である。山頂先には以前と同様休憩用のベンチが置かれ、その先には紺碧の日本海が広がっている。真夏の登山はとても暑いけれども一番美しい風景を眺めるのはこの時期が一番である。苦労の末にたどり着いた山頂から眺める展望に満足して下山を開始した。
登山口まで引き帰し、次は美保神社散策で、祭神は大国主神の后の三穂津姫命と大国主神の子の事代主神(えびす様)どある。出雲神話・国譲りの段において、美保ヶ崎で漁をしていた事代主神は、大国主神より国の譲りの相談を受け、承知したと答えた後、自ら海中に青い柴垣を巡らせて籠もってしまったと伝わる。美保神社は全国のえびす様の総本宮で海上安全、大漁満足、商売繁盛、学業、歌舞音曲(音楽)の守護神として篤く信仰されている。
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