四王司山勝山コース〜勝山周回(しおうじさん・かつやま)山口県下関市

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2004年 3月20日の四王司山往復登山を見る
2012年 1月 9日の四王司山・長府権現山・勝山・青山周回登山を見る
2015年12月29日の四王司山松小田コース・長府権現山周回登山を見る
2016年2月11日の四王司山勝山コース〜勝山周回登山を見る
2017年3月19日 四王司山 松小田コースを見る
2017年3月19日 四王司山 勝山コースを見る

2016年2月11日

勝山御殿登山口 →0:25→ 鉄塔広場 →0:17→ 四王司神社 →0:03→ 展望所

 →0:03→ 四王司神社 →0:10→ 岩山展望台 →0:12→ 鞍部 →0:27→ 勝山

 →0:13→ 勝山御殿への分岐 →0:20→ 登山口

全歩行時間 2時間10分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 山口県の山(山と渓谷社)の著者、中島先生のご案内により、下関市の四王司山と勝山の周回へ向かった。登山前に一足早い昼食を摂るため唐戸市場へ行き、「からと寿司」でフグと鯨ベーコンや竜田揚げなどをたっぷり頂いた。その後赤間神宮を見学し、四王司山と勝山の登山口である勝山御殿へ移動した。

下関市唐戸市場とからと寿司

安徳天皇を祀る赤間神宮の水天門と平家一門の墓(七盛塚)

 本日の行程は、勝山御殿から鉄塔下を通って四王司神社へ参拝、その後は展望地を往復して勝山方面へ向かう。途中で岩山展望台を確認し、鞍部から勝山へ登り、大王寺方面へ下山をして勝山御殿まで戻る一周回りのコースである。

勝山御殿駐車場 整備された勝山御殿跡から平畑山を望む
四王司山登山口へ向かう 勝山コース登山口

 さて、勝山御殿跡を散策して四王司山登山口に入る。案内には山頂まで1590m、50分と書かれている。舗装道から登山道に入れば、背後には青山がなだらかな山容を見せている。足下は真砂土の白さが印象的で、整備された階段状の歩道を進む。左右の幅は1m程度あるので、開放感あふれる登山道、周囲は自然林に覆われ、快適に高度を上げることができる。

真砂土の登山道 樹間越しの勝山

 また、樹間越しの北方面には、勝山が特徴的な山容を見せており、何れ向かう予定の山は、急斜面であることが見て取れる。間もなく四王司神社の鳥居を通過、この鳥居は文政6年(1823年)の創建である。

四王司神社の石鳥居 自然石の階段

 鳥居を通過後も真砂土の道は続き、階段状に配置された自然の石段を辿れば、進行方向の上に鉄塔広場が見えてくる。やがて高度を一稼ぎで、鉄塔下に着く。この地点は新四王司方面からの登山道との合流点で、山頂までは残り680m。広場から眼下を眺めれば、北西に勝山、その先には鋤先山に竜王山、南西に青山、南に霊鷲山と続く。

鉄塔広場から眺める風景(クリックで拡大)

 関門海峡を挟んだ先には九州の山々が広がるはずだが、本日は霞に包まれている。鉄塔下からの展望を満喫したので山頂へ向かって出発。少し急な斜面を進めば、一旦坂の傾斜は緩まり、快適な尾根道歩きを続けていると、すぐに8合目の案内を過ごす。

八合目を通過 毘沙門堂跡手前の石鳥居

 明るい自然林の下を進み、足下に石や岩が目立ち始めると坂の傾斜が増し、少しの坂を辛抱すれば、前方に石鳥居が見えてくる。また、鳥居の手前には四王司山の由来が次のように説明されていた。清和天皇の貞観9年(867年)新羅調伏のため、地勢高く賊境を見渡すこの山に、長門国司が四王院を建立し、朝廷から下された四天王像を祀ったと伝わっている。

山城・郭・毘沙門堂跡 四王司山三角点

 鳥居の先には山城・郭・毘沙門堂跡が残り、更に進んで右に折り返せば、三等三角点が置かれている。そのまま尾根の左端を通って北へ進めば四王司神社へ着くが、ここでは鳥居まで引き返し表参道を採る。右に厚東南殿之墓(厚東武村の墓)を過ごし、北へ進むとわずかで四王司神社へ着いた。

厚東南殿之墓(厚東武村の墓) 四王司神社(クリックで拡大)

 この神社は第14代仲哀天皇の熊襲平定、神功皇后三韓親征、清和天皇夷敵降伏国土安泰祈願など多くの祈願が行われている。また、この山は歴史的価値に富んだ古戦場でもあり、厚東勢と大内勢との戦など詳細な記録も残っている。また、神社横には井戸水を汲むための手押しポンプが置かれており、未だ現役のへポンプで水を汲むことができる。夏場に井戸水をくみ上げ、冷たい水で顔を洗えば、疲れもすぐに取れることだろう。

展望地へ向かう 長府権現山への分岐を過ごす

 四王司神社を出発、神社から北へ向かえば、右側の道が展望地へ続き、左の道は勝山への縦走路である。ここでは右の道を採り、展望地へ向かってみる。左に権現山への分岐を過ごし、更に南へ向かえば、石仏や八大竜王などに祀られた展望地へ着く。

山陽小野田方面と長府権現山(クリックで拡大) 四王司山のモニュメントと八大竜王(クリックで拡大)

 展望地から東には周防灘を挟んで山陽小野田の街並みが広がり、権現山の先には下関競艇場、更に右へ向かって長府の街並みが続いている。南には関門海峡を挟んで北九州まで望むことができるものの、本日は霞気味の展望である。展望地で小休止の後、勝山への縦走を始める。

四王司神社先を左折で勝山へ(クリックで拡大) 鉄塔巡視路を過ごす

 四王司神社まで引き返し、員光・勝山・田倉への案内に従い、北へ続く道に入る。しばらくは緩やかな傾斜の尾根道が続き、15番と16番の鉄塔分岐をそれぞれ過ごす。この先から坂を下れば、間もなく岩山展望所への案内を見つける。

坂を下る 岩山展望台の分岐

 案内に従い急な傾斜へ向かうことになるが、要所には補助のロープが渡してあるので慎重に登れば大丈夫。すぐに平坦な岩山展望所へ着く。展望所からは周囲360度のパノラマが広がっている。

急登には補助のロープがある 展望台は休憩に最適

青山、平畑山、勝山、老僧山、竜王山と鬼ヶ城(クリックで拡大)

 西には勝山が大きくそびえ、その奥には老僧山、更に右奥には鋤先山、竜王山、右には鬼ヶ城山と続く。勝山の左には端正な形の青山がそびえている。青山と勝山の間には響灘が広がっており、岩山展望台からは雄大な眺めを堪能することができる。四王司山での最後の展望に満足し、岩山展望台を出発する。

松と勝山の庭園風園地(クリックで拡大) 背後に岩山展望台

 少し進むと前方に青山がそびえ、松と勝山という庭園風園地が現れる。この展望地を過ごせば、間もなく急な下りが続くので慎重に歩を進め、やがて勝山との鞍部へ着く。ここで体力が尽きていれば丁字路を左折、大王寺前を通過して勝山御殿まで引き返すことができる。もし体力が残っていれば、勝山への縦走へトライすると良い。

急な坂を下る 勝山御殿と勝山登山口への分岐

それぞれ分岐を左折(クリックで拡大)

 我々は勝山へ向かって丁字路を右折、わずかに進むと勝山への案内が立っているので分岐を左折した。なお、案内によればこの地点から山頂までは700mである。20m程度進むと左右の分岐があり、左道を採る。前方には鉄塔が建ち、その先には青空がまぶしい。

鉄塔の先へ向かう 岩山展望台と四王司山

 鉄塔下からは背後に四王司山がそびえ、先程まで立っていた岩山展望台の岩峰をはっきり眺めることができる。鉄塔下から山頂までは40分と案内されており、左右にシダの目立つ岩場を登れば、すぐにひとやすみ展望台へ着く。

勝山へ40分の案内を通過 ロープの補助のある急登
急登が続く ひとやすみ展望台

 展望台からは北から東へ向かっての展望が広がり、周防灘から山陽小野田方面までを見晴らすことができる。また、四王司山はこの位置から眺めるのが一番で、その全容が一望である。

ひとやすみ展望台から眺める展望(クリックで拡大)

 展望台を出発、左右にシダの目立つ道を進む。途中で右に曲輪跡を過ごし、緩やかな傾斜の尾根道歩きを続ける。まもなく「勝山城・急坂」の案内を過ごせば、勝山へ120m、標高300mの案内を過ごす。

山城・郭跡 勝山城へ向かう道

 少し上で「古城の井戸」の案内に従い右へ寄り道をすると、すぐに井戸跡へ着く。井戸と言っても深いものでは無く、落ち葉により井戸がふさがれているようだ。登山道に戻り、いよいよ勝山へ向かって急登へ立ち向かう。

古城の井戸へ向かう

勝山へは急登が続く

 急な坂には補助のロープが渡されており、慎重に高度を上げれば大丈夫。ロープを伝って高度を上げれば周囲に大岩が目立ち始める。やがて傾斜が緩めば山頂手前の広場へ着き、大きく右方向へ迂回すれば、山頂へ続く道へ着く。なお、石垣の案内に従い左方向へ向かえば、曲輪跡を維持するための歴史ある石垣を眺めることができる。

郭を支える石垣 勝山山頂

 さて、山頂へ向かって少しの坂を登れば、平坦な広場の右側が山頂である。山城・櫓跡の案内に従い展望地へ立てば、眼下には下関霊園、鉄塔の先には表山がそびえている。このあたりは2012年に下関市内の山々を登り歩いた際、それこそ根こそぎ登った山々で懐かしい。

勝山から眺める表山と四王司山(クリックで拡大)

 この勝山は、大永元年(1521年)から大内家の内藤興盛が九州に対する備えとして在城した。弘治3年(1557年)3月、毛利元就に追われた大内義長が山口を棄て、内藤隆盛とともに籠城した。毛利軍は攻略に手間どったため、矢文を放ち降伏を促した。投降の勧告を受けた隆世は、主君義長の助命を請うため、一身に責を負い自刃した。義長は直ちに下城し長府の長福寺(功山寺)に入ったが、毛利軍に攻められ自刃した。大内氏最期の山城。落城後、毛利元就が入江箸親を城番として置いたと言われている。

ふるさと展望台(クリックで拡大) 青山の先は北九州

 山頂からの展望を眺めた後、西のふるさと展望台へ向かってみる。東西に細長い山頂の西がふるさと展望台で、目の前には青山、響灘、老僧山がならび、その先には鋤先山に竜王山、鬼ヶ城と続いている。本日最後の展望はのふるさと展望台で、しっかり周囲の展望を満喫した後下山を開始する。

響灘 老僧山、竜王山と鬼ヶ城

 山城、曲輪跡を過ごし、下山は青山、大王寺方面へ続く急な坂を一気に下る。ただし、こちら側にも補助のロープが用意されているので、焦らずゆっくり下れば大丈夫。やがて大岩の前に出れば、この岩が天狗の岩屋で、この大岩の周囲はロッククライミングの練習場となっていた。

勝山御殿へ向かう 山城・郭跡を過ごす
勝山は登りも下りも急坂 天狗の岩屋(クリックで拡大)

 天狗の岩屋を出発、進路が右方向へ変われば坂の傾斜も緩やかとなり、間もなく大王寺への分岐が現れた。ここでは勝山展望所を確認するため、少し青山方面へ向かってみたが、勝山展望所は周囲の木々の背が高くなっており、勝山をすっきり見晴らすことはできなくなっていた。そこで途中から引き返し、大王寺へ向かって坂を下り始める。

勝山御殿へ向かって左折 緩やかな傾斜が続く

 坂の傾斜は大して感じることは無く、淡々と坂を下る。進路は赤テープなどの目印が続いているため、迷いそうな所はない。やがて周囲に沢の音が聞こえ始め、舗装路が見えてくれば未舗装の作業道へ出る。

作業道を左折で勝山御殿 大王寺前へ着く

 後は何も心配のいらない広い作業道を辿れば、登山口の勝山御殿の駐車場へ着いた。これで四王司山、勝山の周回登山は無事に終了した。

四王司神社

展望地から長府権現山と山陽小野田市方面

八大竜王

岩山展望台から老僧山、竜王山、鬼ヶ城

松と勝山

四王司山

表山

⑺ふるさと展望台

天狗の岩屋

 前の山 田原坂 を見る

 次の山 大師山・白滝山周回 を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 山口県下関市 四王司山  登山口付近のMAP

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