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→0:30→ 丸ヶ岳分岐 →0:20→ 丸ヶ岳 →0:25→ 車道出合 →0:27→ 駐車地
凌雲寺跡見学者駐車場を出発、右に史跡大内氏遺跡の凌雲寺跡・大内義興墓の案内を見るが、この史跡は帰りに立ち寄る。庚申塚などを眺めながら進むと「東鳳翩山登山口」の案内が立っていた。この先で右へコンクリート製の電柱を横にした橋が架けられており、この橋を渡る。
そのまま道なりに進み、右に農地を過ごせば前方に石鳥居が建っていた。鳥居の先から山道に入り、石段を登って左右に灯篭を過ごす。奧に祀られた石祠の中には八咫烏が祀られていた。
祠を過ごし北へ進む。進路上には目印のピンクテープが続き、安心して進むことができる。なお、このコースは宇部山岳会により最近切り開かれたコースとのこと。自然林の下、尾根を辿るコースなので涼しい風が吹き、少し肌寒く感じるほどだ。
足下にギンリョウソウを眺め、倒木などを迂回していると、障子ヶ峠、大かめかわ山への分岐に着いた。木に打ちつけられた小さな案内は、下山時に見えるよう配置されているため、登山時には見過ごしかねない。分岐の足下には十條と書かれたブリキの案内が木に食い込んでいた。これは十條製紙(日本製紙)の所有林の境界標と思われる。この先の尾根に見られる黄色のプラスチック杭には十條製紙と彫られていた。
さて、分岐を出発、尾根を道なりに北へ進むと程なく丸ヶ岳への分岐へ着いた。丸ヶ岳へは下山時に向かうため、東鳳翩山へ向かって北へ進む。登山道は537m標高点の右側を進み、この付近では植林の下に道が続いていた。坂の傾斜は次第にきつくなり、日頃の運動不足を痛感する。最近は雨続きで山歩きが少なくなっており、いきなり歩き始めると身体への負担も大きいようだ。
一旦小ピークに立ち、進路を少し左に変えてわずか坂を下れば、新緑の目立つ場所を通過、進路が北へ向くと次第に傾斜がきつくなる。もう山頂までわずかな距離になったところで石段らしきものに出会う。石段を登った先で進路は左に変わるが。この付近は人工的に広くなっているように見えた。
最後に急斜面を登り切れば、休憩用ベンチの置かれた東鳳翩山の山頂に到着、私にとっては4回目の山頂到着である。生憎の曇天だが、時として霧が晴れて山口市街や大平山、瀬戸内海、きららドームなどを眺めることができた。東鳳翩山に登って山頂からの展望をしっかり眺めたのは今回が初めてかも知れない。
東鳳翩山へ続くコースに比べると、倒木など迂回する回数が増えている。また、進路上に立つ木々を避けながら進むため、注意は必要だが目印のテープはしっかり続き、道に迷う心配は無さそうだ。
しばらく高度を下げていたが、やがて鞍部に着き登り返す。左に植林を眺めながら高度を上げれば、すぐに丸ヶ岳の山頂に着いた。山頂には三角点ほどの大きな石杭が立てかけてあり、山頂標識も置かれていた。ただし、周囲の木々の背が高く展望は望めない。
下山は当初西へ下る正規の登山道をとる予定だったが、南へ良い道が続いていたため南側から下ることにした。すぐに植林帯に出たので進路を西へとり、急な斜面を下り始める。凄い斜面なので一気に高度が下がり、滑り落ちないよう注意が必要である。また、途中で引き返すことは無理なほどの急斜面なのでとにかく下るしか無い。
右の植林と自然林との間へ進み、木々を掴みながらブレーキを掛け、やがて山仕事の道らしき所へ下り立った。この付近から道とは言えない山腹を南へ移動し、古いコンクリート施設跡の残る沢の横に着いた。この付近にはタイヤなども残っており、いったい何に使われていたのか不思議な場所である。
コンクリート施設を横切り、沢沿いを下り、適当な所から沢を横切る。この先は植林の下を辿り、すぐに鋪装道に出た。この付近は当初予定していた下山道の途中である。すぐに分岐に着き、振り返れば東鳳翩山の地蔵峠まで3km地点であった。
この先からは何も心配のいらない鋪装道歩き。途中に春の花を観賞しながら凌雲寺跡まで下った。最後に史跡大内氏遺跡、凌雲寺跡、大内義興墓見学。急な石段を登り案内板を眺め、大内義興氏墓の石塔を見学。更に奧へ進むと南へ向かって平坦な広場が続いており、緩やかな傾斜の坂を下って行くと、東西に石垣が続いていた。
この石垣は惣門の遺構と伝えられており、大内氏の隆盛を今に伝えているものである。大内氏遺構の見学を終えて引き返していると本日登った東鳳翩山と丸ヶ岳がとても高くそびえていた。
総門跡
サイハイラン
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