吉田城山(よしだじょうやま)山口県下関市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012年4月15日 貞恒バス停 →0:05→ 秋葉社 →0:10→ 55番鉄塔 →0:03→ 林道出会い →0:20→ 吉田城山 →0:17→ 林道出会い →0:05→ 貞恒バス停 全歩行時間 1時間 0分 山口県下関市の山、菊川町の六部山へ登った後、次は下関市吉田の城山へ向かう。吉田へ向かう途中、小日本の菊川盆地から美しい山容の高畑山を眺め、以前登った山頂の風景を思い出す。
「道の駅きくがわ」前の上岡枝交差点を左折し、吉田へ向かって進む。しばらく進み、木屋川を挟んで西にそびえる白山を眺める。この山も懐かしい山である。途中で奇兵隊陣屋跡など以前観光した施設の前を過ごす。
さて、吉田城山への行程だが、高杉晋作の東行庵または吉田小学校を起点とすれば、県道260号を北へ進み、信号のある交差点を右折、県道33号を西へ2km程度進む。ここで貞恒バス停を確認し、この付近で農作業をされている方の了解を得て適当な場所に駐車する。
農家の方へ城山へ向かうことを伝えると、「竹はかなり切っているはずだが、どこから登るのか?」と聞かれたので、「秋葉社より登る」と答えると、怪訝な顔をされ、「巡視路を歩くのだろう?」と言われたので「その通り」と答えた。
ここで私は大きな間違いを犯していたのだが、それは家に帰ってから分かったことである。さて、貞恒バス停から300m程度北東へ進むと、左に秋葉社へ向かう階段が続いている。秋葉社へ参拝し、登山の無事を祈願して秋葉社の後から巡視路へ入る。 ところが、これは大きな間違いである。金光康資さんのガイドには、「山頂には『一旦県道に降り、』秋葉社を回り込み社殿裏から中電標柱を確認して巡視路へ取り付く」と書いてある。私は『一旦県道に降り』の部分を飛ばして読んでいたため、こんな間違いをしてしまった。
さて、間違いに気づかない私は、そのまま竹林帯の下を進む。少し暗いなと感じながら奥へ奥へと進む。なんかいつもの巡視路と違うなと思いながら進んでいると、秋葉社から2分程度進んだところで中電巡視路特有のプラスチック階段が現れた。そのまま階段を登ればようやく明るい場所に着き、一安心。
時刻は午後4時半を過ぎている。帰りの時刻は5時半から6時、薄暗い場所はいやだなあ等と考えながら巡視路を進む。再び竹林帯の前につけられたプラスチック階段を登ると55番鉄塔の下に着く。鉄塔からの展望は向かいの山が見える程度で、大展望とは言い難い。山頂からの展望に望みを掛けて更に巡視路を進む。
再び竹林帯の中に入り、ここで進路は西へ向く。倒れた竹の目立つ道を少し下ると、なんと林道がここまで上がってきている。先ほど会った人が話していた「竹」とはこのことだったのだ。従って、この道を採れば簡単にここまで進入できると言うことである。これで、下山時に暗い竹林の下を通らずに済みそうだと安堵する。
さて、竹林帯を更に進み、途中で中電標柱(←54・55→)過ごし、少し坂を登ると明確な作業道に出た。この分岐を右に採り、少し進むと右上に54番鉄塔が遠くに見えてくる。この先の分岐は左上を採り、更に次の分岐は左右どちらを採っても同じ場所に出るが、右の方が少し歩きやすい。
少しヤブ加減なので慎重に進む。前方が行き止まり状態となれば、右に下りて更に上へ向かうことになる。この時左方向を注意してみると、古い墓地を見つけることができる。
さて、更に巡視路を進むと、T字路へ着き、ここで中電標柱(←54・55→)を見る。このT字路は左折し、道なりに進むと間もなく大岩の目立つ場所に着く。大岩を迂回して右方向へ続く道を進むとここで中電標柱(54→・53→)を見る。
吉田城山の山頂風景 この位置から左上の高所へ向かえば、すぐに吉田城山の山頂へ到着する。岩の目立つ平坦な山頂には「吉田城址」の案内が立ち、三等三角点が置かれている。周囲を見回せば、東方面が開けており、明るい山頂なのでとても心落ち着く場所である。
本日はこの山が最後となってしまいそうなので、のんびり山頂にてくつろぐ。時計を見れば午後5時20分を過ぎている。山頂を出発、元来た道を引き返す。と、言っても竹林帯を抜ければ作業道へ到着。この先は何の心配もない明るい道を下る。
そして着いたところは、なんと貞恒バス停の横だった。それこそ今なら簡単に吉田城山の山頂に着くことができるようだ。 山頂手前の大岩 平坦な山頂 吉田城山 前の山 六部山 を見る 次の山 鷹子山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 山口県下関市菊川町 吉田城山 登山口付近のMAP |