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→0:13 →赤レンガの建物 →0:07→ 深浦道入口 →0:25→ 深浦公民館
やがて民家が途切れて左に広い空地が見えてくれば、この空地手前から南へ向かう道に入る。ここには大浦道の案内が立っているので目印となる。金光康資さんの「防長山野への誘い第4集」には、昔大浦の子供が、小中学校9年間この道を毎日通学していたことが書かれており、歩き易いことを予想する。
さて、この案内に従い登山を開始、背後には尻高山が大きい。沢沿いに少し進むと足下に小さな岩が多くなり、足下が不安定になっている。これは石垣が崩壊した事によるものだろう。
更に奥へ向かうと左側に作業小屋が建っており、小屋を過ごすと進路は谷から離れて左側へ導かれる。少し坂を登れば丁字路に出合うので右折する。なお、右方向にも道が続いており、この道をとれば小学校まで行けるのかも知れない。いずれにしても後日歩いてみる予定である。
さて、竹林につけられた道はやがて土塁状の道に変わり、道の側には古い猫車が置かれていた。この付近には石垣も組まれており、その奥には住居跡なのか作業小屋跡なのか生活の跡が多く残されている。
いくつか住居跡を過ごすが、この付近には平坦地が多いことに気づいた。元は耕作地だったのだろう。歩きやすい道は更に続き、途中には登山道整備ために竹を切った跡も残されていた。傾斜が緩やかで快適な道を辿れば、突然尻高山、笠戸湾、太華山を見晴らす展望地に出た。
久しぶりの展望を眺めた後、更にシダの刈られた広い道を進むと、間もなく西のガラン越えから続くスカイ4号に出会った。この地点が大浦越えで、南は大浦地区へ続いている。この交差点を左折し、高壺山を目指す。
この大浦越えから坂の傾斜が増し、岩の目立つ場所を通過する。左右をシダや樹林に囲まれた道だが、防火帯として切り開かれた道なので、とても広く快適である。やがて火振岬を見晴らす展望地へ到着、眼下には瀬戸内海と岬が一望、反対側には樹間越しながら太華山と笠戸湾が見えている。
久しぶりの展望に満足して更に東へ進む。尾根を吹き抜ける風は心地よく、頭上に大きなヤマモモの木を過ごし、ロープの渡された急登を乗り切れば広く平坦な高壺山の山頂である。
三角点の置かれた山頂から南西方面へ向かって下りると、兵舎跡や貯水槽等の旧海軍遺構が残っており、むき出しの赤レンガが経過した年月を物語っているようだ。山頂まで引き返し、更に砲台山へ向かって出発する。
途中でむき出しのコンクリート遺構や波形の石杭などを眺めて坂を下ると丁字路へ着き、右は砲台山方面、左は深浦へ続く深浦道と案内されている。今回の下山は深浦道をとる予定だが、下山の前に砲台山の軍事遺構を確認するため、進路を西にとる。
右にコンクリートの遺構を過ごし、平坦な道を進む。やがて道の下に遺構を眺め、この上につけられた道を通過すると、すぐに赤レンガ造りの建物前に着いた。赤レンガが崩落する危険があるため、建物内への立入を制限するため、建物周囲には立入禁止のテープが渡されている。
建物周囲から遺構を眺め、少し坂を下った所から瀬戸内海の展望を確認するが、周囲の樹林の背が高くなったため、展望は限定的になっていた。再度赤レンガ造りの建物を眺めた後、元来た道を引き返し、深浦道へ向かう。
深浦道はしっかり道としての機能を残しており、迷いそうな箇所は無い。ただし、ツル状の植物が足下に多いため、慎重に歩を進めないと足をとられて躓きそうになることが起こりやすい。
途中で作業道を横切り、そのまま下に続く道へ入る。この付近には目印のテープが配置してあり、ここでも迷う恐れは少ない。すぐに竹林を過ぎ、明確な道を快調に下る。やがて進路は折り返すように左下へ続き、そのまま下っていたらあぜ道へ出た。
問題はここからで、あぜ道を西へ進むと、草の繁る場所を通過し、すぐにコンクリート舗装の道に出た。この先を道なりに進むと、何のことは無い、観音道の入口を通過して出発点の深浦公民館へ着いた。これで一周回りの登山は無事終了である。
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