白鹿山(しらがやま)島根県松江市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トップに戻る 2013年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順 2013年1月13日 登山口 →0:13→ 山頂 →0:10→ 登山口 全歩行時間 0時間23分 松江市の古浦地区にそびえる経塚山へ登った後、同じく松江市にそびえる白鹿山へ向かう。登山の起点は松江市法吉町の常福寺とする。寺の前には白鹿城跡・真山城跡の案内図が立っており、この標識に従って北へ進むと、左に白鹿城白鹿谷登山口と説明板が見えてくる。
そのまま舗装路を突き当たりまで行くと、真山城跡登山口と白鹿山・西ノ谷登山口の案内が立っている。この分岐を左折し、約750m進むと白鹿山の西ノ谷登山口が見えてくる。なお、ソフトビジネスパークからこの地点へ向かうには、真山の登山記を参考にすると良い。 また、西法吉町の法吉団地を登山の起点とすれば、最奥から西へ続く林道に入る。後は道なりに西方面へ進み、峠を越えれば右側に駐車地のある登山口に着く。
登山口の案内によれば、白鹿山は白髪山とも書かれ、標高154m、尼子十旗の筆頭で、永禄年間は尼子晴久の義兄松田左近誠保が城主だった。永禄5年(1562)毛利元就が出雲に侵攻し、尼子の本拠地富田城攻略に先立って白鹿城を包囲した。 毛利軍が石見銀山の坑夫を動員して井戸の水源の切断を計れば、尼子軍が城内から坑道を掘り、地中で迎撃した逸話は有名である。なお、白鹿城は籠城一年で兵糧水を断たれて落城した。
さて登山口を出発、手製階段をわずかに登れば尾根道に着く。すぐに一合目の案内が立ち、山頂まではわずか324mである。すぐに登山道は左右に分岐、左側の道は樹林の下に続く尾根道で、気持ちの良い自然林の下を進み、道なりに右へ進路を採れば山腹につけられた道と合わさる。 左の尾根道は、自然林の下を進む 右側の山腹につけられた道を採れば、明るい道が続く。右に松江市街の展望を木の間越しながら望み、晴れた日ならば宍道湖も眺めることができそうだ。3合目の「山頂まで252m」の案内を通過、この先で樹林の中に入れば五合目へ到着、山頂までは残り180mである。
すぐに分岐へ着き、進路を左へ採れば本丸跡・頂上、直進すれば小白城鹿城・うぐいす台方面へと続く。本丸跡へ向かって分岐を左折、ロープの渡された自然の階段を登れば大井戸跡のある広場に出る。
この付近が7合目で、山頂までは残り108m。坂をもう少し登ると再び左右の分岐が立ち、左は本丸跡・月見御殿跡、右は山頂である。まずは左の本丸跡へ向かう。広く平坦な月見御殿跡を通り、一段高い場所に着けば本丸跡へ到着。本丸跡からは毛利軍の陣取った真山を眺めることができる。
本丸跡を出発、次は山頂を目指す。先ほどの分岐を通過、一段高い場所へ登り、東へ向かえば広い郭跡の中央部に白鹿神社が祀られている。この付近が白鹿山の頂上で、一の床として案内されている。
白鹿山山頂風景 もう少し東へ進むと白鹿谷登山口へ続く道が下っている。東方面の展望は木の間越しであり、はっきりと確認することはできなかった。
下山は元来た道を引き返す。白鹿山は西ノ谷登山口を採れば、短時間で山頂へ着き、時間があれば真山からの縦走も楽しめそうだ。私は前回(2007年9月)真山からの周回を予定していたが、当時は降雨のため断念。今回5年ぶりの念願を果たすことができた。
時刻は午後4時、天気は曇りなので本日の登山はこの白鹿山で終了とし、帰りに恒例の出雲そばを頂くことにする。有名な神代そばへ行ってみると、幸運にもまだ開いていた。そこで釜揚げそばを注文し、トッピングに辛味大根を入れると、これは大変美味しい。出雲そばを頂いて元気を取り戻し、山口県まで一気に引き返すことができた。 白鹿山 白鹿山山頂 前の山 経塚山 を見る 次の山 伊佐城山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 島根県松江市 白鹿山 登山口付近のMAP |