トップに戻る 2021年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
→0:30→ 郷の若山 →0:10→ 展望地 →0:10→ 主尾根出合
→0:15→ 東の若山(丸山) →0:40→ アベマキの森 →0:10→ 地家室港
県道108号地家室白木港線を250m北上し、県道標識手前で左に分岐する道に入る。そのまま道なりに約200m進むと右上へ白い手摺りの施された道が続いている。この分岐に入り、すぐに左に折り返し、ミカン畑の横につけられた道を辿って高度を上げる。途中には石組が多く、生活の跡がしっかり残っている。
みかん園のためのモノレールが残っているが、周囲にみかん園はなく荒れており、当然最近モノレールが使われた形跡も無かった。やがて左に作業小屋、進行方向に作業小屋を見て、前方の作業小屋の手前から左上へ続く道を登る。
ここまでは農園の作業道のような道だったが、この先からは山道に変わり、岩の多い場所の先で左方向へ進むと、最初の「鼻城の若山」に着いた。標識には119mと掲示されており、 祠が4基祀られていた。
素焼きの駒犬、駒犬に乗った神様も祀られ、信仰の象徴のような気がした。正月4日にこの場所でお餅を食べる習慣があるそうで、周防大島には嵩山の登山口にある岩屋権現と同じように、お正月に餅を焼いて食べる風習があるのだろう。
この先から高度を下げると足下にギンリョウソウを見つけ、更に下ると2番目の「中の若山」へ着いた。標高は85mの中の若山には祠が3基祀られ、ニホンアワサンゴ、駒犬、木槌の石板、祠の上部、祠の壊れた残骸などが置かれていた。
中の若山から少し下ると、眼下に地家室の港が見えた。進路を北にとりそのまま進むと作業小屋を左、右と過ごし、この先で左上へ続く道に入る。すぐに折り返し平坦道を進み、やがて高度を下げれば県道地家室白木港線に下り立った。なお、この途中にスプリング式のイノシシの罠を見かけたので、歩行の際には十分注意が必要である。
県道を少し北へ進むと周防大島八十八ヶ所の82番札所の案内と地家室の石風呂の標識を見る。また、この地は南北朝時代の加室合戦戦跡地でもある。咲き始めの河津桜を観賞し、まず石風呂を眺める。その後82番札所海雲山に参拝してお地蔵様横から沢沿いを登る。
石段を辿り少し高度を上げると石風呂不動尊を過ごす。足下にスミレの花を眺め、そのまま更に高度を上げると再び県道に出る。正面に家室支71次5の電柱を確認して右側の白い手摺りのつけられた坂を登る。
坂を登った先の山口県の石杭のところで左折、ロープの渡された急登を踏ん張ると 右へ進路をとる、少し進むと竹林帯へ着き、イノシシの罠を眺めて尾根道を進む。大岩の目立つ場所を3つ過ごし3つ目の先から右下へ続く道に入る。
大岩が目立ってくれば西を見晴らす展望地へ着き、更に高度を上げれば南を見晴らす展望地に出た。当日は霞みが多く、佐多岬をはっきり確認することはできなかった。丸山や地家室の港を眺めながら昼食を摂った。
昼食後は尾根道を辿り、最後は急登を踏ん張って主尾根へ着いた。この先からは尾根道歩きと思っていたら、すぐ右下に続く巻道に入り、引き続き崩壊地に出合った。ここには補助のロープが渡されているが、足下が乾燥していればロープを使わなくても大丈夫である。
しばらく山腹につけられた道を辿り、補助のロープが現れたら、急な傾斜を下る。鞍部からわずかに登り返せば398mピークの丸山に着いた。丸山は四つ目の「東の若山」で、手前には左に3基、右に3基の祠が祀られ、奧には石造りの立派な祠が祀られていた。
祠の全面には白と彫られているのは白木山ではないかと地元の方よりお聞きした。祠の前には駒犬も配置され、本格的に祀られていたことがわかる。しばらく丸山、東の若山で祠などを眺めて下山を開始した。
下山は急な坂を一気に下る感じで、途中に炭焼き跡の石組を眺め、滑り落ちるように坂を下る。やがて斜度が緩むと右上に石組が目立ってきた。水平道を西へ進み、周囲にアベマキの木が増えてきた。
間もなく竹林を抜け出すと前方が伐採地に変わり、伐採地にはアベキマの木が植樹されていた。案内にはアワサンゴを育むアベマキの森と書かれていた。アベマキの木を植えるとアワサンゴが復活するのだろう。
アベマキの森にも若山で見た祠やサンゴ、鬼瓦のようなものが祀られており、ここでも若山参拝の体験ができるようになっていた。アベマキの森を出発、下の道に下りて左折、次の分岐を右折して墓地の中を通り、海岸線に下り立った。そのまま進路を西に採れば出発地の地家室の港に到着、一日中若山探訪を楽しむことができた。
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