トップに戻る 2023年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
→0:12→ 作業道出合 →0:25→ 光照寺 →0:10→ 駐車地
その横には「安寧山に安置されている石仏群を守り修復する事業」と書かれており、いつか機会があればこの山に登ろうと思いながら今日の日を迎えた。さて、駐車地兼出発地は光市大和塩田郵便局から西へ約400m進んだ地点で、左側の広くなったところへ駐車し出発した。
白い手摺りに従って坂を登れば安寧山の磨崖仏への案内が置かれていた。建物には宗通寺とあり、建物内には記帳表が置かれているようだ。登山口の案内には安寧山の由来についても書かれており、神話に安寧天皇が石城山から蹴鞠をした際に北側の山に沓が脱げた山とあるそうだ。
安寧山の磨崖仏は、石城山(神護寺)と十王堂、宗通寺と北側に一線で結ばれている。現在の霊場は、元々は安寧山の周辺にあったものが、江戸時代末期から明治初期に現在の場所に移されたとのこと。従ってそれぞれの石仏群は八十八番札所まで不規則に並んでいるそうだ。
さて、いよいよ八十八ヶ所巡礼コースへ向かう。右に臼を過ごし、順路の案内に従い奥へ進む。きれいに整備された巡拝路なので何も問題は無く歩ける。最初の説明通り、八十八ヶ所の順番は不規則である。急傾斜に祀られた石仏はしっかり固定されており、巡拝路整備のご苦労が偲ばれる。
明るい日差しの下で面白いほど一気に高度が上がる。すぐに巡拝路のピークに着き、八十八ヶ所巡りはこのピークから南へ下っていた。この場所からは巡拝路を外れて北へ続くコースに入る。入口には「安寧山磨崖仏南ルート」の案内が置かれていた。
途中で塩田小学校の児童が命名した「不思木」の木を過ごし、この先から進路は北東に変わる。急な坂には虎ロープが渡され、とても歩きやすくなっていた。当日は霞みがちの展望だが、呉麓山は確認することができた。登山道途中には磨崖仏の案内も置かれ、道を間違えていないという確認をすることができる。
樹林の下には案内のピンクテープが続き、この配慮もありがたい。やがて「あと少し」の案内を過ごせば虎ロープの張られた急登に取り付き、この坂を登りきれば石城山、呉麓山、琴石山、三ヶ岳、柳井火力発電所などを見晴らす展望地に出る。この付近は2021年の前回登山でも樹間越しの展望はあったが、今回は樹木が切り開かれてスッキリした展望に変貌していた。
案内のテープに従い樹林の間を下ればすぐに下の段に着き、山頂下の水平道に着いた。ここまでくれば磨崖仏までは約10m、わずかに坂を下れば大日如来の磨崖仏に再会した。西日の差し始めた磨崖仏はとてもはっきりしており、神々しいという雰囲気がした。文化三年寅年(1806年)と刻まれた磨崖仏に参拝、お彼岸を前に大日如来に参拝できたことがとても嬉しい。
さて、下山は前回同様北に進み、垰から反時計回りで下りることにした。磨崖仏の前を出発、水平道を北へ進み山頂との分岐を右折し北へ進む。なお、山頂との分岐にも立派な案内が置かれてした。この先で急な下り坂に出会うが、補助のロープに助けられ、この下にも案内が置かれていた。
歩きやすい尾根道の途中で2本の巨木を過ごし、補助のロープに助けられて峠の作業道に下り立った。垰にも立派な案内が置かれ、磨崖仏まで約15分と掲示されていた。下山側には下山ルートとして「約1km15分」と案内されていた。
広い作業道を辿り下山を始める。途中には天皇皇后両陛下お手蒔きのすぎ(左側)とひのき(右側)が植えられていた。日付は平成27年3月なので平成天皇によるものと思われる。作業道ではこれ以外特別なものは無く、途中の分岐のあるところに案内が置かれていた程度である。やがて足下が鋪装道に変わり 磨崖仏入口への案内を過ごせば民家が見えてきた。
この先で梅の花を眺め、小倉山光照寺の先で今回の登山道整備などをされた方と出会い、お話をさせて頂いた。間もなく県道まで下り分岐を左折すれば駐車地に帰り着いた。とても楽しい周回ができたので今回も満足の登山をすることができた。
磨崖仏
前の山 松舟山 を見る
次の山 十種ヶ峰 山麓駐車場コース を見る