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→0:50→ 石印寺コース登山口 →0:15→ 駐車地
民家横の「鬼ヶ城登山道入口」の案内板を目印に南へ約450m進むと、左手に「一の瀬第2配水場」の施設が見えてきます。この施設を通り過ぎ、さらに300mほど南下すると、左手に鋪装された広い駐車スペースが現れました。ここに車を停め、総勢7名での縦走が始まります。
駐車地の東側には池があり、そこから南東を望むと、まず眼前に標高252mの小高いピーク、すなわち一字一石塔が立つ場所が見えました。その奥には、堂々たる姿の鬼ヶ城がそびえ立っており、これから挑むルートを一望することができました。
歴史を語る一字一石塔を目指していよいよ7名の仲間たちと登山開始です。駐車場を出発し、県道244号線を南へ。最初の民家を左手に通り過ぎると、「下関・中国道・黒井」方面を示す案内板が前方に現れます。
道中、倒木が目立ち始めますが、仲間と声をかけ合いながら慎重に迂回。清々しい自然林の下を一列縦隊で進むにつれて、地形図が示す通り、坂の傾斜は次第に厳しくなっていきます。
容赦ない急登の連続に、短い休憩を挟みながらも着実に高度を上げていきます。そしてついに、平坦な標高252mの山頂に到達。そこには、途中から折れてしまっているものの、威厳を保った石塔が静かに佇んでいました。これこそが一字一石塔です。
石塔には「奉納大乘妙典一字一石塔」の文字と、明治16年5月に建立されたという歴史が刻まれており、しばし厳粛な気持ちに包まれました。この塔は、仏教経典の一字一字を小さな石に書き写して地中に埋めた「経塚」の上に建てられた、供養・祈願のための歴史的な遺構です。塔の周囲に並べられた丸い石が、当時の人々の篤い信仰心を現代に伝えてくれているようでした。
歴史を感じる小休止を終え、いよいよ鬼ヶ城への本格的な直登ルートへと進みます。一字一石塔からわずかに下り、すぐに登り返す鞍部(あんぶ)付近では、木々の幹に深い傷跡がいくつも見られました。「熊の引っ掻き傷かもしれない」と、自然の厳しさを肌で感じながら、緊張感を持って先を急ぎました。
急登の連続に体力を削られつつも、傾斜が緩む場所を見つけては小まめに休憩を取り、次なる急坂へ向かうエネルギーをチャージ。登山道の脇には、大地を掴むように根を張り巡らせた巨木が立ち、その圧倒的な生命力に勇気づけられました。
ふとした樹間越しには、雄大な響灘に浮かぶ島、そして北東にそびえる狩音山の姿が垣間見え、疲れを忘れさせてくれる至福の瞬間となりました。
延々と続く急登にも体が慣れ始めた頃、突如として巨大な岩が目の前に現れ、行く手を阻みます。巨岩を横目に高度を上げ、さらに大きな岩をよじ登って展望を期待しましたが、残念ながら木々の間に視界が遮られました。
最後の巨岩の上で一息入れた後、いよいよ山頂直下の岩場へと挑みます。岩をよじ登り、一気に高度を上げた瞬間、前方がパッと明るくなりました。目の前に遮るものがなくなり、頭上に青空が広がる。ついに鬼ヶ城の山頂に到着です。
登頂の達成感とともに、山頂でいただいたお菓子を囲んで談笑がスタート。この素晴らしい展望を「肴」に、皆で賑やかに昼食を広げ、至福のコーヒータイムを楽しみました。山頂での大休止は、登山の醍醐味の一つです。
名残惜しい山頂での大休止を終え、下山を開始します。岩場を慎重に下り、水平な道に出たところで再び響灘の雄大な景色を堪能しました。ここからは急な斜面を下り、「鬼小屋」の横を通過。そのまま道なりに北東へ進み、「石印寺(せきんじ)岐れ」で左折。今回は、北浦スカイライン沿いの狩音山へは立ち寄らず、石印寺コースを下ります。
今年3月にも歩いた懐かしい道を下り、無事に石印寺コースの登山口へと帰り着きました。今回は、更に車を停めた県道244号線沿いの駐車地まで戻らないといけないため、約200m北西へ歩き、左手の分岐から進路を西にとり、道なりに進んで県道へ向かいます。
朝の出発時に目印とした「一の瀬第2配水場」の施設を経て、無事に今回の駐車スペースへ帰り着くことができました。今回の縦走で改めて感じたのは、鬼ヶ城へ至る登山道は、まさに急登の連続であるということ。安全かつ確実に登頂するためには、焦らず、こまめに適度な休憩をとり、体力を回復させながら歩を進めることが、何よりも重要だと痛感しました。下関の歴史と絶景を肌で感じる、思い出深い一日となりました。
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