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護国神社 →0:10→ 展望地 →0:10→ 室積灯台 →0:35→ 駐車場
登山口は普賢寺で、普賢寺横の室積公園駐車場に車を置いて登山を開始した。村尾稲荷社横に建つ杵崎神社の石鳥居を潜り右折、そのまま道なりに西へ進むと、一際大きな杵崎神社の石鳥居が建っていた。
鳥居を潜り、石段に取り付き尾根へ向かって高度を上げる。すぐに杵崎神社の祀られた平坦な場所に着き、神社へ参拝し沢山のお願いをした。神社先から海は見えるが本日は霞んだ展望であり、遠くまで見晴らす事はできなかった。
神社を出発しコンクリート鋪装の遊歩道を歩いて東へ向かう。つづら折れの道を折り返しながら進み一気に高度を上げる。途中でコンクリート製のベンチを過ごし、丁字路を左折すれば峨眉山の山頂に着いた。
山頂には三等三角点が置かれ、その背後には秩父宮殿下の御登山記念碑が立っている。更に後ろには釈迦如来が祀られており、釈迦三尊と石碑に彫られていた。ただし山頂周囲は樹林に覆われており、展望を得ることはできない。
遊歩道の周囲にはショッキングピンクのミツバツツジが咲きとても美しい。遊歩道の樹間越しに瀬戸内海を垣間見るが霞気味の展望であり、国東半島は見えない。やがて護国神社と下山道の分岐に着くが、引き続き遊歩道を辿り護国神社方面向かう。
分岐からわずかに高度を上げればコンクリート製のベンチに前に着き、この分岐を右折しわずかに高度を上げれば、62m標高点に日和山跡(推定)の石柱が置かれていた。日和山跡を出発し坂を下れば左側に光峨眉山護国神社の社殿が現れた。
そこで護国神社へ参拝し、護国神社の桜を観賞した。護国神社は明治3年(1870)山口藩元遊撃隊によって創建された。当初は京都蛤御門の変、四境戦争、維新の大業に散った来島又兵衛ほか80柱の霊を祀っていたが、今日では太平洋戦争までの郷土出身の戦没者も合祀されている。
護国神社へ参拝後、遊歩道を下り鋪装道へ下る分岐を通過し、更に高度を下げると広場に出た。広場から南にはクサフグの産卵を見学するための道が海岸へ続いていた。 ここでは海岸に下らず東屋の右側を進み展望所へ向かう。石鳥居を潜り、毛利敬親卿の石碑を正面に眺めて左の道を進む。
そのまま進路を北にとり室積台場を見学、この台場は江戸時代末期、異国船の来航に備え、長州藩が海岸防衛のために築造した砲台場である。台場を過ごし更に北へ向かうと象鼻ヶ岬の先端に山口県初の洋式灯台が建っている。北に大峰山、千坊山の山脈を眺めて海岸沿いを反時計回りに進む。
左に現れたのは満開の桜咲く大師堂で、弘法大師が大同元年(806)唐から帰朝の際、象鼻ヶ岬の突端のこの地に立ち寄り、当山において七日七夜に及ぶ護摩供養の後、浄水で自像を刻み、更に1個の自然石に厨子を彫られ安置されたと伝えられる霊場である。立派な大師堂に参拝し、室積八十八ヶ所霊場の石仏を眺めながら登山口の普賢寺へ向かう。
途中で周防橋立の案内を過ごし、満開の桜を眺めながら進んでいると左に山口大学教育学部付属光小・中学校を過ごす。そのまま道なりに進めば登山口の普賢寺に到着、一周回りの登山は無事に終了した。丁度お昼になったので普賢寺から東に突き出た波止へ進み、ベンチの置かれた場所でおむすびとカップヌードルの昼食を摂る。この組み合わせが一番美味しく、とても豪華である。
象鼻ヶ岬
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