観音岳(かんのんだけ) 山口県周南市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003年7月20日 観音岳 59回目 70座目 山口県の100山では35番目 ガイド本 中島篤巳著 山口県の山(発行所 山と渓谷社) 登山口 楞厳寺 登山開始 11:59 山頂到着 12:55 下山開始 13:10 下山終了 14:03 登山時間 0:56 山頂滞在時間 0:15 下山時間 0:53 所要時間数 2:04
昼前から家を出発し、徳山市の湯野温泉郷付近の観音岳に向かった。国道2号を西に向かって走り、徳山西インターを過ぎ、戸田の交差点を右折して県道47号に入る。湯野温泉郷を過ぎると湯野観音岳ハイキングコースの大きな看板が立っており、その横には登山口の楞厳寺の看板が掛かっている。看板に従って左折し、楞厳寺より登山を開始する。
楞厳寺の入口には観音岳ハイキングコース・八十八カ所御大師霊場分霊場等出発点の説明版がかけてあり、階段を登ってまずは楞厳寺に参拝し登山の無事を祈願する。楞厳寺の境内の左側の観音岳登山道入口の看板をくぐり登山道に入る。
整備された登山道を進むと所々に石仏が置かれており、ゆっくりと坂を登って行く。登山開始から15分でに右手に20番鶴林寺石仏を見て、その先には21番大竜寺の石仏を見るあたりは展望地となっており湯野の温泉郷を見渡すことができた。ようやくの展望地で休憩を取り次からの登りに備える。
更に10分程度歩くと頂上まで35分の標識がかけてあった。少し進むと再び湯野の温泉郷をかいま見る場所を通り過ぎ、そのまま一旦坂を下り始めた。目の前に観音岳が段々近づいて来ているのが分かる。5分程度進むと延命水(霊水)に到着した。
一旦坂を下り登り返す 延命水 一口10年・二口20年 一口10年・二口20年と書いてあるので二口頂いた。水が冷たくて気持ちが良い。これであと20年は大丈夫ということになった。延命水で一息ついて先に向かうが、更に進んで行くと急な坂が続き段々息が切れてくる。周囲は木々に覆われて展望が無くなり大きな石を見る。
真っ直ぐに登って行くと子安観音に到着した。ここからは金峰山方面の展望が開けている。いよいよ山頂に向かって出発すると子安観音から5分で観音岳山頂に到着した。
山頂には木製の展望台が設置してあり、ここから大津島方面の展望が開けている。先ほどまではよく晴れていた空に、だんだん雲が増えてきており、展望もきかなくなってきている。
山頂には観音岳の歴史などが書かれた説明版が湯野観音岳協賛会により設置してあったのでここに全文を掲載する。 観音岳(408メートル) 嘉永6年(1853年)3月13日、当牧村の地神祭の日、村の若者数人がうさぎ狩りに登った際、松田好松という人物が、偶然、この山頂で、半分土に埋もれた黄金の子安観世音菩薩を発見。 当時、この山頂付近一帯は、毛利家の家臣、堅田家のものであったが、翌嘉永7年(1854年)3月13日黄金仏の敷田として、黄金仏ともども、楞厳寺に奉納された。このことが観音岳と呼ばれる所以である。以来、この黄金仏は、同寺の寺宝として今日に至り、満12年に一度の開帳供養が行われている。昭和62年(1987年)、山口県有形重要文化財に指定される。 尚、文久2年(1862年)当寺十五世貫之和尚は、この黄金の仏像の功徳を万人に与えんがため、その代像として、山頂近くの展望のきく岩場に子安観音像をまつると同時に、四国八十八カ所の分霊場をこの山道一帯に勧請した。以来、観音岳は、霊験あらたかな夫婦円満、子宝、子安の庶民信仰の山として定着。 昭和53年(1978年)湯野観音岳ハイキングコースに指定され、今日に至る。 山頂からの展望は素晴らしく、地元の湯野温泉郷を眼下に一望し、金峰山、四熊ヶ岳、千石岳、遠くは瀬戸内海の彼方に九州国東半島をも望む。 平成2年(1990年)6月1日、国土地理院、二万五千分の一の地図にその山名を記載さる。 平成2年11月3日 湯野観音岳協賛会 雲行きも心配になってきたので、頂上の観音仏に参拝をして下山を開始する。下山の際には男岩・女岩を見ながらゆっくりと降りて行く。山頂から20分程度降りたところで突然の雷雨となりずぶ濡れとなる。
前が見えないほどの雨の中で、しばらく木の下に行き雨宿りをする。雨は通り雨のようですぐに小降りとなったが道は滑りやすくなってしまったので降りるのに神経を使う。
「下山道38番〜88番札所 これより1km30分の道標」に従い登山道とは別の道を通って降りて行き、岩に彫られた磨崖仏を見ながら登山口の楞厳寺戻った。
展望地から湯野温泉郷
大岩
子安観音
観音岳山頂
山頂から大津島方面の展望
男岩と女岩 前の山 安蔵寺山U を見る 次の山 大山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 湯野観音岳 登山口付近のMAP |