四ツ山城址(よつやまじょうあと)島根県益田市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011年4月3日 登山口 →0:10→ 四ツ山の歴史案内板 →0:08→ 一の岳→ 0:05→ 二の岳 →0:07→ 三の岳 →0:07→ 四の岳 →0:22→ 井戸 →0:13→ 登山口 全歩行時間 1時間12分 島根県益田市の山歩き、今回は美都町仙道の四ツ山城址へ向かう。益田市の中心街から国道191号を西へ進み、新峠橋を渡り、久々茂トンネル・笹倉トンネルを抜け、笹倉北橋を渡る。この先の分岐を右折すれば懐かしの日晩山だが、そのまま国道を道なりに進む。やがて美都町の仙道地区に入ると四ツ山城址への案内が立っている。
案内に従い、益田川に架かる錦橋を渡ると、正面に東仙道小学校が迫ってくる。このT字路を案内に従い左折すれば、進行方向に三角形の美しい四ツ山城址の一の岳が見えて来る。左側の広い場所へ車を置き、四ツ山城址へ向かう。
益田川沿いに西へ向かうと四ツ山城への案内が立ち、分岐を右折すると、民家の手前左に登山道が分岐し、城址まで400mの案内が置かれている。偽木の階段を進むと、平坦な遊歩道に変わり、この先で堰堤が現れる。
少しの階段を登り、植林帯の中を進むと、足下には春の花ミヤマカタバミが咲いていた。可憐な花だが、とても懐かしい花である。やがて横木の階段が現れ、少しの坂を登れば舗装道へ到着した(この場所には益田川に架かる蛍橋を左折し、県道309号に入り、四ツ山城址北登り口の案内に従い、分岐を左折すれば着くことができる)。
入り口に立つ「四ツ山城の歴史」の案内板には、次のように紹介されている。 四つ山城の歴史四つ山城は、寄り添うように並んだ、標高220m余の同形、同高の四つの山を以て一つの郭とする山城である。 それぞれの山は急峻で、東の一の岳を主城として、西に二の岳、三の岳、四の岳と各自に砦が築かれている要害堅固な城であった。 この城は、鎌倉時代中期、益田氏によって築かれたが、その後、その支族である三隅氏との骨肉相食む争いの中で、その領有は度々変わった。しかし、いずれに属する時も、この四つ山城は、両国の橋頭堡となる重要な城であった。 時は流れて元亀元年8月29日、当時、三隅領として高城、茶臼山城とともに三隅三城の名を誇った四つ山城は、毛利方、熊谷伊豆守、大友豊後守、佐々田十郎盛時等の率いる4500の大軍の猛攻を受け、城主須懸備中守忠高は、防戦むなしく500の将兵と共に城を枕に討死した。 その時の合戦に、忠高の家来・加藤氏広と佐々田十郎盛時との一騎打ちの勝負の物語は、今も里人に語り継がれている。
落ち葉の残る階段を登れば、すぐに直進方向と左方向の分岐に着き、左は一の岳へ、直進方向は井戸を経由して一・二・三・四の岳へと案内されている。一周回りの行程を採るため、この分岐は左の一の岳を目指す。
一の岳へは石段と手摺りが整備され、四ツ山城址見学者のため、安全に配慮されているようだ。遊歩道の途中には竪堀り跡、堀り切り跡等の場所が案内され、遙か昔の遺跡を見学しながら高度を上げる。
やがて傾斜が緩やかとなり、平坦な二の丸跡へ着く。なんと右にはかわやまで用意されていた。もう一段高い場所に向かえば、広く平坦な一の岳の山頂広場に到着、山頂にはお地蔵様が祀られ、南端には四等三角点も置かれている。 広く平坦な山頂広場 眼下に広がる展望 比礼振山と琵琶石岳 四ツ山城跡一の岳から眺める展望(動画) 広い山頂からは東方面に展望が開け、眼下には益田川と登山口付近の上仙道小学校と仙道郷の町並みが美しい。西には霊峰比礼振山、少し右手に三角錐の琵琶石山と秀峰が続く。但し、これ以外は樹林に覆われ、四ツ山の残り、二・三・四の岳は木の間越しとなっている。
一の岳から急な坂を南西方向へ下る。この方面にも横木の階段が整備されており、難なく下りることができる。鞍部まで下ると分岐が現れ、南西(左)方面へ向かえば二・三・四の岳方面、西(右)方向へ向かえば少し下って井戸を経由する周回ルートとなり、一周回りで元来た登山口まで戻ることができる。家族連れなど、一般のハイキングの場合はこの周回コースがおすすめである。
さて、これから先がいよいよ四ツ山城址散策、南西方面へ向かって急な斜面へ取り付く。足下に配置された地積調査用の杭を目印に急登を踏ん張る。すぐに二の丸跡の案内が木に掛けてあり、その先は広く平坦な二の岳、但し二の岳の表示はどこにもない。周囲は木々に覆われ展望はないが、急峻な坂は攻めにくく、城を置くには最適の場所だったものと思われる。
二の岳から三の岳へは西へ向かって急な坂を下る。こんな急な坂を下るにはとても苦労するのだが、下り斜面には補助のロープが渡されているのでとても助かる。ロープを補助に急斜面を一気に下れば、あっていう間に鞍部へ到着。振り返ればいかに急な斜面であったかを実感する。とてもロープの補助がなければ、苦労するアップダウンである。
鞍部から三の岳へ向かって斜面を登る。この斜面も傾斜がきついが、補助のロープが渡されているので、少しは楽に登ることができる。急な斜面の先は三の岳、眼下には益田川とスポーツ施設付近の橋を木の間越しに眺めることができる。
また、三の岳の山頂付近には岩が多く、歴史ある城址は、とてもよい雰囲気である。自然に配置された岩を観賞した後、いよいよ最後の四の岳へ向かう。やはり急な斜面が待っており、ロープの補助が無ければ、とてもアップダウンに苦労する。なんとか鞍部に下りて登り返す。なお、この鞍部付近は竹林帯となっている。
最後の坂を登れば四の岳、これで四ツ山の山頂を全て踏んだことになる。四の岳の山頂は、周囲を自然林に覆われ、全く展望はない。ただ、山頂に配置された岩が美しく、この岩を眺めるだけでも、四の岳へ来た価値がある。また、四の岳から南方面へ下山道が整備されれば、一周回りの登山コースとなりそうだ。 四の岳の山頂と岩 明るい山頂にて小休止の後、元来た道を引き返す。一の岳と二の岳の鞍部まで戻り、井戸の案内に従い、西へ向かって進路を採る。少し坂を下れば、すぐに井戸に到着、美味しい水を楽しみにしていたが、井戸水をくみ上げるバケツには穴が開いていた。
井戸の場所からは一周回りの最終行程、北へ向かう遊歩道を進めば、登山時に分岐した場所へ到着した。この先は整備された道を引き返し、登山口の東仙道小学校前に到着、無事四ツ山城址の登山は終了した。
東仙道小学校前から益田川沿いを東へ進み、蛍橋の場所から県道309号に入り、益田方面への案内に従い、北西方向へ進むと、途中に四つ山の展望地があるのでしばらく眺める。この展望地からは、先ほど歩いた稜線が一望で、この方向から眺める四つ山はとても美しい山容をしている。 南側から眺める四ツ山 東から眺める四ツ山城址一の岳 四ツ山城址一の岳山頂 一の岳から眺める展望 比礼振山と琵琶石岳 四ツ山展望地より 前の山 韮草山 を見る 次の山 独松山・高盛山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 島根県益田市 四ツ山城址 登山口付近のMAP |