常山(つねやま)岡山県玉野市

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2014年1月4日

JR常山駅 →0:05→ 直登道入口 →0:25→ 底無井戸

 →0:15→ 常山山頂 →0:30→ 常山駅

全歩行時間 1時間15分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 岡山県玉野市にそびえる十禅寺山の登山を終了し、次は岡山県南区と玉野市の境界にそびえる常山を目指す。常山の登山口はJR宇野線の常山駅で、駅前から南西方面へ進み、最初に有林堂を目指す。この有林堂は、常山城主戸川有林(秀安 慶長2年1597年没)の位牌を安置する霊廟であり、文化2年(1805年)、撫河・早島・帯江・妹尾知行の戸川四氏によって建立されたものである。

麓から眺める常山 JR常山駅前を出発
有林堂 戸川有林の墓所(クリックで拡大)

 この有林堂を見学後一つ上の段へ進むと、舗装道には常山城跡3.9kmと案内されている。道なりに南へ進むと、今度は右に階段が現れ、こちらが常山城跡への直登道となる。石段を登ると左には三地蔵が祀られていた。

常山城跡への直登道 イノシシ防護柵を通過

 正面へ向かうと、イノシシ防護柵が設置されているので鍵を開けて中に入り、しっかりと鍵を閉めておく。落ち葉の堆積した登山道を進むと、途中には八十八ヶ所めぐりのように多くの石仏を眺める。坂の傾斜がきつくなるとジグザグな道となり、途中の石仏の前では腰掛けて休憩するのに丁度良い岩を過ごす。

道案内の石仏と腰掛岩 底無井戸(写真をクリックで拡大)

 山腹崩壊危険地の案内を過ごすと、竹藪の中に石組みを見ることができた。更に進むと「底無井戸」に着く。入口の戸を開けて井戸を見ると、満々と水を湛えていた。この井戸は、常山城の水の手であり、一度も涸れたことがないと伝えられるそうだ。底無井戸を過ごせばすぐに舗装道に出て、そのまま舗装道を辿ると栂尾二の丸の広い駐車場に出る。

栂尾二の丸から栂尾丸へ(写真をクリック) 栂尾丸からの展望は木の間越し

 案内によれば、児島富士と呼ばれる常山の山頂一帯に常山城跡があり、城郭は山頂の本丸を中心に合計14の曲輪で構成される連郭式山城である。まずは北のアンテナ下の栂尾丸へ向かってみると、常山無線中継所の施設が立っており、石仏先から眼下を眺めるが、展望は木の間越しである。

南へ向かって石段を登る 石仏を過ごす

 次は南へ向かって石段を登り、青木丸を通って五輪塔と石仏の置かれた天神丸、トイレのある北三の丸、女軍の碑の立つ北二の丸へ着く。

 常山合戦の案内によると、常山城は常山女軍が戦った城として知られており、天正3年(1575年)6月7日、城主上野肥前守隆徳の守る常山城は、毛利・小早川隆景の大軍に包囲され、落城の時を迎えていた。本丸直下の二の丸付近に迫った敵将浦宗勝の軍勢に対し、城主隆徳の妻鶴姫以下34人の侍女達は最期の戦いを挑んだ。しかし、女性達は次第に討ち取られ、鶴姫は本丸に引き上げ自刃したと伝えられる。

女軍の碑の立つ北二の丸 山頂へ続く階段

 昭和12年(1937)城主一族と女軍の冥福を祈って40基の墓石と墓碑が建立され、戦国の世の人々は今、桜木や紅葉に囲まれて静かに眠っているとのことである。墓石と墓碑等を眺めていよいよ山頂の本丸へ向かう。

アンテナの建つ山頂広場 二等三角点

 歴史ある石段を登れば広く平坦な本丸の常山山頂へ着いた。山頂中央には二等三角点が置かれているが、三角点自体は現在修復中になっていた。展望地手前には腹切岩があり、これは城主上野隆徳切腹の場所とされている。

腹切岩 展望台

 山頂奥に三階建ての展望所が設置されているものの、周囲の木々の背が高く、木の間越しの展望である。これに対して腹切岩前からは、東に展望が開けており、少し樹林に視界を遮られるものの、眼下には玉野の市街地が広がっている。周囲に広がる展望を眺めて、下山を開始。元来た道を引き返し、登山口まで下り立った。

女軍の碑

山頂風景

展望台から眺める風景

 前の山 十禅寺山 を見る

 次の山 本宮高倉山 を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 岡山県玉野市 常山 登山口付近のMAP

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