塔の岩(とうのいわ)山口県萩市

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2015年3月12日

登山口 →0:30→ 右への分岐 →0:25→ 登山道入口 →0:15→ 炭焼き窯跡

 →0:15→ 山頂  →0:15→ 炭焼き窯跡 →0:10→ 登山道入口 →0:50→ 登山口

全歩行時間 2時間40分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)


 「防長山野へのいざない」シリーズの完結編とも言える第4集を発行された金光康資さんのご案内により、山口県の山(山と渓谷社)の著者の中島篤巳先生と一緒に登山をする。

阿武川温泉ふれあい館を左に過ごす 右に歴史民俗資料館を過ごす

 今回向かうのは第4集の「113」に案内されている山口県萩市の塔の岩で、登山口の高瀬隧道へ向かう起点を萩市川上池ヶ原にある「阿武川温泉ふれあい館」とすれば、施設の南側を通る県道67号を阿武川沿いに西へ進む。左に阿武川ダム、右に歴史民俗資料館を眺めながら道なりに進むと、やがて左に福江村10kmの案内が見えてくる。

分岐を左折し大藤大橋を渡る 登山口は高瀬トンネル横(クリックで別角度)

 この案内に従い分岐を左折し、佐々波川に架かる大藤大橋を渡る。間もなく正面に高瀬隧道が現れるのでこのトンネルを潜り、出口左側の広い部分へ駐車する。登山準備の後、高瀬トンネルから南へ続く作業道に入る。しばらくは舗装された安全な作業道が続くので、快適に歩を進めることができる。また、進行方向左には清流矢櫃川が流れ、美しい滝などを鑑賞していれば、時の過ぎるのも忘れてしまう。

清流矢櫃川を鑑賞

 左に生活の跡の残る石垣などが見えてくると、右の沢越しに山口県林業公社の「公社造林川平事業地」の案内が立っている。この地点が杜松ヶ嶽(標高498m)の登山口で、登山口からは約30分の行程である。

苔むした石垣 杜松ヶ嶽登山道入口
分岐を右折(クリックで別角度) 昔はここから麓の学校へ通っていたそうな

 この地点から更に沢沿いを進むと作業道は直進方向と右方向へ分岐するが、塔の岩へは右へ進路を採る。足下は相変わらずの作業道で、時折舗装の切れるところもあるが、歩くのには支障が無い。

墓所 文化7年の石仏

 この付近には石垣などが残っており、少し先で大きく右へカーブし、北西方向へ向かっていると左側に墓所と石仏を眺めることができた。石仏には文化7年(1810年)6月と彫られており、、遠い昔の生活の跡が偲ばれる。

樹間越しに杜松ヶ嶽 「作業路弓館線」の案内

 再び進路が南へ向くと、西に杜松ヶ嶽のなだらかな山頂が現れる。更に進めば「作業路弓館線」の案内が立っており、右側の植林帯の中に石垣が見えてくると登山口の沢が近くなる。当日はこの入口に地元の方の軽トラックが止まっており、わかりやすかった。登山道の目印として、入口付近に赤テープを巻いておいたので、右側に気をつけていれば入口を間違えることはないだろう。

登山道入口(クリックで別角度) 沢沿いを進む

 小さな沢を渡り山道に入る。入口の案内には「塔の岩ハイキングコース」と書かれていたようだが、現在はかすれて判読できない。なお、この道はかつて山仕事に使用されていたようだ。明確な踏み跡を辿って少し高度を上げ、左に尾根を見る位置に立つと、右にはかすれた字で「塔の岩ハイキングコース」と書かれた案内を見ることができる。

少しの坂を登る 尾根へ向かう

 ここから更に平坦な道をわずかに進むと左の尾根へ向かう分岐が現れる。なお、この道は入口に車を置いていた、地元の方が我々のためにわざわざ草刈りをして整備されたそうだ。地元の方に感謝を申し上げて尾根へ向かう。なお、この入口にもしっかり赤テープを巻いておいたので、分岐を間違えることはない。

快適な尾根道 ヒラタケ

 少しの傾斜を登ればすぐに尾根道へ着き、ここでヒラタケを発見した。しばらくは山腹につけられた緩やかな傾斜の道を辿るので、足下にさえ気をつけていれば大丈夫。やがて平坦な場所に着くと、ここには炭焼跡が残っていた。この地点は、昔の生活の跡を偲びながら小休止を取るのに丁度良い場所である。

山腹につけられた道を辿る 炭焼き窯の跡

 炭焼跡を出発、左上に尾根を眺めながら山腹につけられた道を辿る。ほとんど平坦な道が続くので、先程と同様、スリップしないよう足下に注意を払っていれば大丈夫。周囲に十分すぎるほどのテープを巻きながら南へ向かって進む。一ヶ所ロープの渡された場所を過ごし、少し進むと広く平坦な寺跡と思われる場所に出る。

ロープの渡された道 広く平坦な場所は寺跡かも
最後に少し坂を登る 塔の岩山頂(後は絶壁)

 この付近は一番迷いやすい所なので、しっかりとテープを巻いてわかりやすくしておき、平坦な広場の中央付近から左方向へ大きく迂回し、反時計回りで山頂へ向かう進路を採る。間もなく山頂へ向かう最後の坂を登れば、絶景の塔の岩へ着く。

山頂から西の展望

 山頂付近はとても狭いが、その展望は山口県のメジャーな山に引けを取らない素晴らしさ。眼下には長門峡と佐々並川が美しく、地形図そのままの風景がパノラマで広がっている。霞みがちな展望ながら、南から西へ向かってダツヤ山、鯨ヶ岳などの名峰が続き、快晴の日に登れば、遠くまで見晴らすことができること請け合いである。

展望の大岩で記念撮影 えぐれた岩

 この塔の岩の素晴らしいところは、山頂南側にある岩のテラスで、絶景を眺めながら大人数で休憩できる場所があること。当日は少し風が強かったものの、風よけの場所もあり、のんびり昼食を摂るにも最高の場所である。ただし、西側は絶壁なので、くれぐれも身を乗り出さないようにすることは言うまでもない。

長門峡 南の展望(クリックで拡大)

 さて、この塔の岩にはもう一つ見所があり、山頂から南側へ少し下りると、地底まで続いているような大穴が空いている。身を乗り出して眺めてみるのだが、底は見えない。我々が先ほどまで立っていた、大岩の横から入った亀裂は、地下深くまで続いているようだ。この岩は平家の落人が隠れていたとか、大蛇が棲んでいた、天狗の休みどころであった、穴は玉江浦まで続いているとか多くの伝説の元となっているそうだ。

美女妖怪伝説の大岩 玉江浦まで続く大穴

 大穴見学の後、大岩上から大展望を眺めながらの昼食を摂り、下山の際にはしっかり目印のテープを配置した。塔の岩は三角点も置かれず、全く無名の山だが、その展望はメジャーな山に引けを取らない素晴らしい山である。

 登山口まで引き返して次に向かったのは阿武川民俗歴史資料館。ここには「平清宗」の墓と清宗観音堂の石仏群などが置かれているので見学、この阿武川には次のような平家伝説が残っている。

「平清宗」の墓 清宗観音堂の石仏群

 壇ノ浦で平家の総大将平宗盛は捕らえられたが、その子清宗はこの地に逃れて平家山に砦を築き、仮館に仮の住居を建てて、安徳天皇の侍女佐々連(さざなみ)姫と楽しい生活を送っていた。ところが父宗盛が処刑されたと聞いて病に倒れ、佐々連姫も後を追って亡くなったとか。

 この平家伝説は近世に何等かの必要によって作られたものらしいが、この清宗墓ほか多くの石造遺物の現存は、中世にさかのぼる秘められた人間活動の展開を想像させ、私達の歴史へのロマンをかき立ててくれると、説明されている。

炭焼き窯跡

塔の岩山頂から長門峡

大岩の亀裂を見下ろす

絶景が広がる

えぐれた展望岩

亀裂の入った大岩

大穴

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歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 山口県萩市 塔の岩 登山口付近のMAP

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