2018年2月4日のとおの山登山を見る 2006年3月4日 とおの山 登山口 山陽自動車道徳山東8ガード下 ガイド本 金光康資著 防長山野へのいざない 登山開始 →14:23→ 山頂到着 →15:07→ 山頂出発 →15:47→ なめら口登山口着 →16:04→ 具足峠着 →16:33→ 下山終了 17:00 参考コースタイム 登山開始 →0:44→ 山頂到着 →0:40→ 山頂出発 →0:17→ なめら口登山口着 →0:29→ 具足峠着 →0:27→ 下山終了 登山時間 2:37 麓には夜泣石の伝説が残り、山頂からは瀬戸の展望が開ける周南市「とおの山」に向かう。 下松方面より周南バイパスに入り、徳山大学・徳山高専へと導く標識に従い交差点を右折し、ケンタッキーフライドチキンとセブンイレブンとの間を北東に向かって進む。700m程度道なりに進むと再び徳山大学・徳山高専の標識があり、標識手前の交差点の左側にとおの山の道標を見て左折する。 徳山大学・徳山高専の標識手前の交差点を左折する そのまま道なりに進み、右手にレオパレス21の建物を過ごした先に山陽自動車道が走っており、間もなくとおの山の案内板と道標の立つ「徳山東8ガード」の下に到着する。この付近は少し広くなっているので車を駐車して登山を開始する。 まずは「とおの山案内」が掲示されているのでじっくりと読んでこれから向かうとおの山の知識を仕入れる。この案内板には次のことが書かれている。 「とおのやま」(標高288m)は現在地から頂上まで道程約1kmで、頂上からの360度の見晴らしの絶景はこの地区随一のものです。 今から約630年余の昔(南北朝時代)南朝方に味方していた大内弘世は、家臣の「陶 弘政」(すえひろまさ)に命じ、正平7年(1352年)当時、北朝方の足利尊氏に味方していた下松の「鷲津」(わしづ)内藤(ないとう)両氏の末武城を攻撃した時「とおの山」はその前進基地であり、山城(砦)があった山であると昔の史話に書いてあります。 「夜泣石」(昔の古い文書では「具足石」とある)は、武士の鎧の形に似ており、伝えるところによれば、この石を今の位置から他の場所に動かすと「元の位置に帰ろう」と、夜になると泣き出すという伝説があります。 登山口の「徳山東8ガード」 高速道路のガード下を潜り、その先を道なりに進むと前方にとおの山の山頂が広がってくる。更に舗装道を進むと「平原登山口」の標識が立ち、標識の側には竹の杖が沢山置いてあり、この地区の皆さんの暖かい気遣いが伝わってくる。登山口の分岐を右に取り、民家に向かって少し進むと更に左右の分岐が現れ、民家の横に着く。この分岐は右が平原ルートの登山口、左が夜泣岩・具足峠に向かう道となっている。 正面の民家の前を右に向かう 本日は一周回りの周回コースを予定しているので右の平原コースに向かう。手前の道標によると山頂には水洗トイレがあると書かれているのでびっくりした。よく踏まれた登山道に入ると木漏れ日が射しており、とても明るく気持ちがよい。 木の説明板を見ながら木漏れ日の中を進む 登山道はまず東に向かって進み、緩やかな坂に安心していたら少し急な偽木の階段道に変わり、尾根道を西に向かって折り返すと再び緩やかな坂道となる。背後には映画「ロボコン」の舞台になった徳山工業高等専門学校が木の間から見える。木の説明板を見ながら木漏れ日の中を進むのがとても嬉しい。この雰囲気が大好きで、久しぶりの明るい登山道を楽しみながら進んで行くと左手に展望が広がってきた。 途中の展望地から広がる風景 笠戸島から大華山に向かっての素晴らしい展望に感激、展望地にはベンチが置かれており、ベンチに腰掛けてゆっくりと展望を楽しむ事のできる丁度良い場所となっている。もう少し進むと左手下に向かう分岐が現れるが、この道には「行き止まり 通行禁止」の標識が設置されており、ロープにより道が封鎖されている。 山頂手前の階段道 更に進んで行くと右上に折り返すことになり、東に向かっての階段道が続いているのでゆっくりと高度を上げて行く。その先、道は再び西方向に折り返し、急な階段の坂道となるのでいよいよ山頂が近いことを感じる。階段道をゆっくりと高度を上げて行き、右手にトイレを過ごした先には待望のとおの山山頂が待っていた。登山開始からは44分の行程だった。 広いとおの山の山頂 山頂からは瀬戸の展望が大きく開けており、東から西に向かって180度の大展望が遮るもの無く広がっている。東の茶臼山から始まり、その右手には笠戸島が瀬戸に突き出ており、横には大華山が大きい。 とおの山山頂からの展望 穏やかな海には大津島・黒髪島の美しい姿が浮かんでおり西に向かっては大平山のアンテナから手前には若山、その奥には四熊岳が広がっている。木の間からは北東方面に下松の大将軍山、旧熊毛町の烏帽子岳の山頂まで確認することができる。 久しぶりの大展望に感激。地図をひっぱり出して周囲の山名を確認したり双眼鏡で山々の姿を確認をしたりで楽しい時間を過ごす。また、山頂には記帳用のノートが置いてあるので久しぶりの書き込みをする。 何も考えずに景色を眺めていると遠くの方から賑やかな声が聞こえてきた。すぐに小学生を連れた家族連れが登ってきて整備されたテーブルの上で食事を始めた。久しぶりに山頂にてのんびりした時間を過ごしたのでそろそろ下山を開始する。 なめら口コースを降りる、途中にはベンチが置いてある 周回ルートを取るため、帰りはなめら口コースに向かう。電柱の下につけられた林道のような広い道を降りていると途中で登山者と出い、この山が多くの人に愛されていることを感じた。緩やかな下り坂をゆっくりと下っていると、降りる途中にはベンチが二ヶ所設置されており、とても整備されていることが判る。 なめら口の登山口 山頂からは17分でなめら口登山口に到着した。なめら口登山口からは舗装道を降りて行き、少し下がると墓地があるのでこの墓地の手前を左折し、山陽自動車道の上馬屋トンネルの上に出る。山陽道と並行して付けられた作業道をゆっくりと登山口に向かって南東に進む。 途中にはヤブ椿の花が咲いていた 平原トンネル手前で左に分岐する道を取り進んでいるとヤブ椿と梅の花が咲いておりとても綺麗だ。その先左側に綺麗な溜池を見て、高速道路の平原トンネルの上に向かうと、この付近から舗装道は山道に変わり樹木帯の中に入る。 最初は左右に竹林が広がるがすぐに檜林となり、最後には雑木帯へと植生が変わって行くのが面白い。雑木帯に入るとすぐに具足峠に到着し、峠付近には分岐が続いていることが分かる。 具足峠に到着 来た方向から見ると左(北方向)には「滑コース経由山頂へ」の標識、その横には「調査」の標識、南東方向には「ごでんどう道 平原口へ」、南方面には徳山大学グラウンドの標識が立っている。この分岐は真っ直ぐ「ごでんどう道」を取り、緩やかな坂を降りて行くと鎧(よろい)の形をした「夜泣石」の立つ場所に着く。 夜泣石と左には山の守り神様が並ぶ 「夜泣石」の伝説は次の通りである。 昔、この地に平原某という郷主が戦で滅亡した時、その家来の一人の忠臣が無念がり、その魂魄が具足石(ぐそくいし)と化しました。「よろい」に似たこの石は霊石と言われていました。ある時、一人の金持ちがこの石を盗み、自分の家の庭石にして得意になっていたとき、夜になると陰にこもった悲しい声でこの石が「具足峠に帰ろう」と泣き出しました。金持ちの男は驚き恐れおののき、翌朝この石を元のところへ返してこと無きを得ました。それ以後、誰もこの石に近寄らず、夜泣石と言うようになりました。<夜泣石の向かって左の小さな石は、山の守り神様です> 綺麗な竹林を抜けて登山口に戻る 伝説の夜泣石と山の守り神様に参拝して下山を続ける。綺麗な竹林帯を鑑賞しながら抜けて行くと間もなく登山口の集落に着いた。改めてとおの山山頂をじっくりと双眼鏡で確認すると、山頂に立つ電柱を見ることができた。やはり山頂に登らないと山の特徴が分からないものである。 最後にとおの山に別れを告げて山陽道のガード下をくぐり登山を終了した。 とおの山は山頂からの展望も素晴らしく、家族で楽しめるハイキングコースとなっています。平原口・なめら口の両登山ルートとも山頂までしっかりと道が整備されており、安心して登ることができる山です。 また、夜泣石へは平原口先の民家から左のコースを取れば、わざわざ一周回りのコースを取らなくてもすぐに着くことができます。夜泣石までは大きな起伏が無いので簡単に行くことができますよ。 前の山 万福寺山・莇地山 を見る 次の山 金怡城山 を見る登山口周辺の地図はこちら とおの山 登山口付近のMAP |