2006年3月5日(日曜日)

金怡城山(きんたいじょうやま)

登山口 長谷池横、三恵(さんね)寺進入道石仏手前

ガイド本 金光康資著 防長山野へのいざない

登山開始 →10:01→ 三恵寺到着 →10:15→ 山頂到着 →10:40→ 山頂出発

 →10:45→ ピーク着 →11:06→ 下山終了 11:35

参考コースタイム

登山開始 →0:14→ 三恵寺到着 →0:25→ 山頂到着 →0:05→ 山頂出発

 →0:21→ ピーク着 →0:29→ 下山終了

登山時間 1:34

 山頂には弥生時代の住居跡、山腹に怡雲(いうん)和尚の蟹ヶ池伝説と名刹三恵(さんね)寺を抱えた下関市(旧豊浦町)「金怡城山」に向かう。

 下関方面から国道191号を北上し、JRかわたなおんせん駅を過ぎた先の交差点を右折し県道40号に入る。少し走ると川棚温泉街の交差点を左折し、川棚グランドホテル「おた福」を右に見て県道261号を走り、左手に閉園された川棚自然ランドと長谷池を過ぎると道は緩やかに右にカーブし、右カーブの標識手前左側に障害者福祉作業所「法光苑」を見ることができる。

法光苑の前を左折し池に沿って西に向かう

 この施設とホテルの間を長谷池に向かい左折し、池に沿って西に進んで行くと、右上の三恵寺に向かう道が繋がっており、車で三恵寺の駐車場まで行くこともできるが本日は山歩きなので石仏手前の広場に駐車し登山を開始する。

お地蔵様にお参りして登山を開始する

 まずはお地蔵様にお参りし登山の無事を祈願する。緩やかな舗装道をゆっくりと登って行くと、途中にはヤブ椿の花が咲いており綺麗な花を観賞しながらゆっくり進む。間もなく左手に駐車場を過ごすと、やはり道の左手にお地蔵様を見ることができる。その先舗装道は左上に続くが右手に宗教的な石積みがあり、その先には石の階段が続いているので右の道を取る。

石積みの横を抜ける

 石積みの宗教的な意味合いは判らないが、最近寄贈されたようでまだ新しいものだった。石の階段を進むと山門があり、山門を潜ると三恵寺の観音堂に到着、早速お参りをする。観音堂の周囲を見回すと立派な「ぼけ封じ観音」、その横には不動明王も立っている。

三恵寺観音堂

 また、境内には愛嬌のある石仏が所狭しと並んでおり、石仏を眺めていると思わずニッコリしたくなる。見ているだけで心が穏やかになる石仏に出会えてとても幸せな気持ちになった。

 愛嬌のある石仏

 三恵寺の縁起については後で説明することにして、ぼけ封じ観音の左手より「これより古蹟道」の標識に従い古蹟霊場巡りの遊歩道に入る。まずは遊歩道を左手に向かうと山口県指定天然記念物の「川棚三恵寺のモッコク」が立っている。

山口県指定天然記念物の「川棚三恵寺のモッコク」

 このモッコクは根まわり3.7m、樹高11mほどで、現存するモッコクの木では日本最大である。とても大きいモッコクにびっくりしてしばらく眺めていた。

伝説の「国見岩」

 その側には真言の秘法水印の行で、伝説の怡雲和尚が唐の国の火事を消したと伝えられている「国見岩」が立っている。

 遊歩道を北に向かって進むと右手に蟹ヶ池を見る。この蟹ヶ池は、三恵寺の中興の祖、怡雲和尚が蟹の化け物を懲らしめ、仏門に帰依させ、後に蟹は水の神様になり、人々から崇められたという「蟹問答」の伝説の池である。

「蟹問答」の伝説の池 蟹ヶ池

 伝説の蟹ヶ池を右に見て遊歩道を進み、左手にやはり伝説の三孫岩を見送り、明るい道を進むとすぐに階段道となった。階段道を少し進むと先が明るくなり、間もなく明るいカヤトの原の金怡城山山頂に到着した。以前ウォークラリーでも開かれたのだろう山頂横には「コスモスウォーク 金怡山城跡」の標識が残っている。

明るいカヤトの原の金怡城山山頂

 この城山は、江戸時代の文書に「城山一畝ばかり平地あり」との記録があり、土地の人も昔は城があったと言い伝えているそうだ。また、山頂西側には弥生時代の住居跡が復元されているが、現在は少し朽ちてきている。昭和57年に頂上を発掘調査したところ、約二千年前の弥生時代中期の住居跡が発見され、ここに住んだ弥生人は川棚川の平野で米をつくり生計をたてていたようだ。

山頂からの展望

 山頂付近からの展望は眼下の上畔地区の集落と響灘が木の間越しに見える程度である。山頂にて周囲を眺めた後、少し北方向に向かい、一旦坂を下りると分岐があり、この分岐は東方向に進む。更に分岐が続き、道は東に向かっているがこの分岐を南に取り、少し坂を下りながら進んで行くと左手に奥の院が待っていた。

奥の院

 手前には6体のお地蔵様が並んでおり、その奥には「当山中興温泉開基怡雲和尚之廟」とその左手には「怡雲和尚像」が祀られている。落ち着いた場所の奥の院でゆっくりとお参りをし、更に南に向かって進むと広い座禅石を右に見る。

白山権現の石祠

 この座禅石の付近から折り返し北東方面に向かい左上の坂を進んで行くと、間もなく坂の右手に白山権現の石祠、その左手に黒い瓦の小さな石祠を見る。周囲を木に囲まれた神聖な場所でお参りをし、更に北に向かって進むと先程分岐した遊歩道の先に着き、この分岐を右(東方向)に取るとピークに着く。

ピークの先のピンクの馬酔木

 ピークの先にはピンクの馬酔木が咲いておりとても綺麗だ。ピーク付近から北方向を見ると良く整備された展望広場、その先にはレンガ色の屋根をした特異な建物の豊徳稲荷が立つ。このまま遊歩道を進むと30分程度で展望広場を経由して豊徳稲荷まで行くことができるが、本日はこのピークより引き返すことにする。

ピーク先から見る展望広場

 先程の白山権現を左に見て坂を下りて行き、蟹ヶ池を右に見て三恵寺に到着、三恵寺に登山の無事を報告し、山門を降りて行く。舗装道に出会う石積みの先、左手に遊歩道を見つけたので帰路はこの道を通ることにした。

よく踏まれた参拝道

 下りの坂も大した坂ではなく、ゆっくりと整備された広い道を降りて行く。途中右手下に小さな池を見るとその先で道は左にカーブし、道なりに進むと着いたところは障害者福祉作業所の法光苑先の電柱側だった。

参拝道への入口

 従って、県道から法光苑の分岐を左折し、50m程度進んだ先の右手に中電電柱「サンネジ1」「NTT江良34」と「江良鳥獣保護区区域図」の間の道を進むと舗装道を通らずに古刹三恵寺に至ることができる。道は整備されて快適な参拝道となっているのでご利用されたい。

 参拝道の位置が分かったので、左に長谷池を見ながらゆっくりと舗装道を歩き、登山口の石仏手前の広場まで戻り登山を終了した。

 金怡城山を含めたこの国見台生活環境保全林はお花見広場、国見の丘、創造広場、水辺の散歩道、伝説の森、権現の森、歴史の山、展望広場、ふる里の森、憩いの森、見晴らし広場、豊徳稲荷と見所満載の素晴らしいハイキングコースである。

 最後に三恵寺の説明板に記載されていた「伝説 蟹問答」と「飛来山 三恵寺縁起」を原文のまま紹介する。

「伝説 蟹問答」

 むかし三恵寺に旅の僧がやって来た。その夜、本堂で観世音を拝んでいると、得体の知れない化物が出て、「わしはこの山の主である。無断で山に入るとはけしからん。おまえに問う、もし答えられなければおれの餌じきにする」といわく

『大足二足、小足八足 目は天にあり、日月の如し』

 僧はすかさず「汝は蟹なり」と、持っていた如意で闇を打つと、化け物は消えてしまった。翌朝、裏山の池にきて見ると、大きな蟹が甲羅を割られて、息たえだえで浮かんでいた。

 「さては、ゆうべの化物はお前であったか、仏罰をおそれ、心を改めるならば、助けてやろう」と申された。命を助けられた蟹は、仏門に帰依し、のちには水の神さまとなり、人々から崇められた。この僧は、三恵寺の中興の祖、怡雲(いうん)和尚と申し、川棚温泉を開発し、人々から崇敬されている。

「飛来山 三恵寺縁起」

 当山は、大同元年(806)に平城天皇の勅願によって創建され、開山は奈良東大寺二世実忠和尚であります。

 上人は延暦6年、観世音のお告げで当町黒井の白浜(八ヶ浜)に西下し草庵を結ぶ観世音を拝んでいると海から梅檀の大木が流れ着き空から五色の幡(はた)が三つに分かれて降ってきました。

 上人は、これぞまさに観世音のお告げであると梅檀木の根で元木・幹で中木・枝で末木の三躯の聖観音像を彫って幡の根が落ちたこの地に中木の観音を安置しました。

 このことが朝廷に聞こえ、十二箇庄と飛来山三恵寺の号を賜りました。

 寿永年間には怡雲和尚が来られ寺の再興に尽くされ、川棚温泉を観世音の霊告によって開発し、温泉開基として衆庶の信仰をあつめています。

 幕末には、勤王の公卿中山忠光が元治元年追討の手から逃れてここにかくれたこともありました。

 本尊の千手観音は、藤原時代の作で山口県文化財に指定され、70年ごとに開扉される秘仏であります。

 山内には「天降竹」怡雲和尚がカニを退治した「蟹ヶ池」真言の秘法水印の行で唐の国の火事を消した「国見岩」川棚温泉の守護を祈念した「三尊石」和尚が即身成仏を修し入寂された「奥之院」城山には高地性弥生集落の「城山遺跡」「堅穴式弥生住居」「城山展望台」や12世紀に築かれた「金胎山城」天然記念物「モッコク大樹」があり遊歩道で結ばれています。

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歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 金怡城山 登山口付近のMAP

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