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紅白の梅を眺め、梅林の先にこれから登る天神山を眺めて防府天満宮へ参拝。防府天満宮は全国約12000社ある天満宮の中でも最古の天満宮「扶桑菅廟最初」である。道真公が太宰府に流される際、本州最後の寄港地がこの勝間の浦で、「此の地未だ帝土を離れず 願わくは居をこの所に占めん」と願われて太宰府へ向かわれた。
その2年後の薨去の際、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(今の天神山)に瑞雲が棚引き人々を驚かせた。人々は道真公の霊魂が光となり、雲となってこの地に戻られたと悟り、翌年この地に松崎の社(防府天満宮)が建立された。
天満宮から西門を潜れば左に防府市内を見晴らす春風楼が建っている。春風楼からは南に防府市街や錦山から楞厳寺山へ展望が広がっている。また、北を向けばこれから登る天神山がなだらかな稜線を見せている。
春風楼を出発、左に大きな筆塚と野村望東尼の献歌碑を過ごす。望東尼は維新の英雄高杉晋作の最期を看取り、晋作が「おもしろき 事もなき世に おもしろく」と詠むと、望東尼が続けて「住みなすものは 心なりけり」と詠んだことは有名である。また、望東尼は慶応3年秋、倒幕軍の船出にあたり戦勝祈願のため天満宮に七日参りをし、毎日和歌一首を献歌されている。
すぐに広場へ着き休憩舎の横を左折して坂を登る。この上には防府市街を向いて防長海軍忠魂之碑が立っている。この忠魂碑は、日露戦争に従軍した山口県出身の海軍将校が戦没した県出身同僚のため明治42年に建立したものである。ただし、忠魂碑からの展望は樹林に遮られて限定的になっている。
忠魂碑から西へ続く山道に入るが、この先から足下はワイルドな登山道に変わる。滑りやすい真砂の道なので慎重に高度を上げる。登山道には右田ヶ岳や西目山の登山道と同じように大岩が目立ち、大岩好きにはたまらない景観が続く。
大岩の横を通って高度を上げれば右から正面登山道が合流する。少し正面登山道側へ立ち寄ると、岩上からは矢筈山から防府大平山へ続く山並み、海に突き出た江泊山、眼下には防府市街、その先に山頂にアンテナの建つ錦山、桑山や田島山など素晴らしい展望が広がっている。
小休止の後登山道に戻り真砂の道を辿る。樹間越しに西目山、楞厳寺山等を眺め高度を上げれば、間もなく航空信号の立つ天神山の山頂に着いた。平坦な山頂には三等三角点が置かれ、岩上に立てば周囲360度のパノラマが素晴らしい。
北には佐波川の先に八幡山や真田ヶ岳、時計回りに矢筈山、大平山、江泊山、錦山と防府市街、桑山、田島山、小浜山と目地山、白い建物のきららドームと大海山、佐野山と楞厳寺山、西目山と右田ヶ岳、いつまで眺めていても見飽きることは無い。昼食を持ってきていないのが悔やまれる山頂である。
途中には奇岩大岩などを鑑賞、展望岩などからスッキリした西目山、楞厳寺山・佐野山などを眺めながら高度を下げる。西廻りコースは登山時に使用しても楽しそうだ。真砂で滑りやすい道を慎重に下れば、やがて頭上を自然林が覆う。
間もなく作業道に着き左折、そのまま坂を下れば途中で「岩巡りをして山頂へ向かう天滝口」を過ごす。もう少し下ると鐘秀台広場へ着き、右の広場の先には鐘秀台展望台が設置され、遊歩道の左には山頂に向かって「鐘秀台コース」が案内されている。
更に遊歩道を下れば毛利重就公の像へ着き分岐を左折、春風楼の前を通過し天満宮へ帰り着いた。これで一周回りの天神山登山が無事終了である。天神山は低山とは言え、登山途中に奇岩大岩鑑賞が楽しく、展望も素晴らしい名山である。
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