トップに戻る 2023年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
→0:10→ 十神山入口 →0:10→ 中十神山 →0:05→ 十神山山頂
→0:10→ 十神山入口 →0:02→ 毘売像 →0:05→ 安来駅
→0:03→ 猪麻呂像 →0:15→ 安来公園
公園のしだれ桜にはまだ花が残っており、今日も桜まつりが開催されるのだろう。坂の先で折り返せば「やぐら山」の石柱が立ち、横には東屋が建っていた。この先の坂を登り切れば社日配水池のタンクを左に過ごす。配水池の右に続く道をとれば途中で石仏と出会い、更に道なりに進むと石仏の先に展望の広がる日本平に着いた。
石を積み上げたトーテムボールの立つ日本平からは、西に京羅木山、時計回りに寝仏姿の和久羅山、嵩山と続き島根半島にそびえる松江北山、宍道湖中海の先に架かる境水道大橋、稲荷山、昨年夏に再度登った馬着山、手前には尼子十砦の十神山が三角錐の山容を見せている。
周囲に広がる展望をしっかり眺めた後、わずかな傾斜の坂を下り南東へ続く道を進む。すぐに滑りやすい土質の道が現れ、補助のロープを伝って高度を上げる。最後に風化した花崗岩質の坂をひと登りすれば、更に展望の開けた世界平に着いた。世界平からは日本平からは見えなかった独松山や孝霊山、大山まで眺めることができた。京羅木山、星上山、車山などを眺めて世界平を出発した。
ひめ怩ワで歩いて16分の案内を見てロープの渡された坂を下る。この先で巡視路標柱を過ごせば送電鉄塔の建つ大山見平に着いた。東に霞み気味の孝霊山と大山を眺め、道なりに北へ進むと送電鉄塔が現れ、この先から急な傾斜の坂を下る。
補助のロープを伝い、プラスチック階段を下ると左に日立金属安来工場が現れ、遊歩道の左側が工場敷地となっていた。左に工場の貯水池が見えてくれば、ひめ塚まで2分の案内を過ごす。更に遊歩道を進みわずかに高度を上げれば毘売塚の立つ広場に着いた。
左右に灯篭を従えた毘売塚は海の方を向いていた。案内によればこの場所は島根県指定史跡の毘売塚古墳で、5世紀代に築かれた全長42mの前方後円墳である。毘売塚を出発し木の鳥居を潜り、坂を下れば毘売崎伝承の案内が立っていた。
伝承に寄れば、毘売崎で語臣の猪麻呂の娘が散歩中にサメにかみつかれて亡くなった。猪麻呂は娘を殺したサメを殺させてくれるよう、ありとあらゆる神に祈りを捧げた。そうしたところ、百匹余りのサメが一匹のサメを囲むように姿を現した。 猪麻呂は囲まれている中央のサメを刺殺して捕まえた。それが終わるとサメたちは囲みを解いて立ち去り、猪麻呂がサメの切り裂くと、娘の脚の部分が出てきた。このサメが娘を殺したサメである事を知った猪麻呂は、このサメを更に切り裂き、串刺しにして道の傍らに刺した。 このサメに殺された娘の霊を慰める慰霊祭が起源と伝えられているお祭りが安来の夏を彩る月ノ輪神事である。地元ではこの丘の上に築かれている毘売塚古墳をこの娘の墓と伝えているとのことだった。
尼子十砦の案内を眺めていると、この十神山は素戔嗚尊を始め十柱の神が祀られていることに由来することが分かった。右にトイレを過ごし奥へ進む。簡単な遊歩道の経路が書かれた案内を確認し、直進する。なお、左側からは十神山へ直登する道が続いていたが、当日は中十神にも立ちよるため直進した。
すぐに整備された擬木の階段が始まり、階段を登り切れば東屋が建っていた。中十神70mの案内に従い分岐を右折すれば、祠などの立ち並ぶ中十神山頂に着いた。この場所は多くの神様の並ぶ場所なのだろう。東屋まで引き返し十神山へ200mの案内に従い進路を西へ採る。
やはり整備された擬木階段を辿れば直進は桜の森、左折して下れば登山口のふれあいの森の分岐に着いた。ここで右上へ向かうとすぐに十神山山頂に着いた。山頂中央には岩が積み上げられた状態になっており、古墳なのかも知れない。周囲には樹林の背が高く展望は望めないが、かつては日本海等からの敵の侵入に備えた砦として機能していたのだろう。
下山はふれあいの森へ向かって下り、途中に建つ稲荷社に参拝して登山口に帰り着いた。十神山入口の案内前から安来港を右に見ながら南西へ向かう。この途中で海側に美しい女性の像が置かれていた。この像はサメに殺された毘売で語臣猪麻呂の娘である。
毘売像を眺め、海の上に浮かぶように見える十神山を観賞した後、安来駅前を通過し国道9号を西へ進む。すると今度は語臣猪麻呂の像が建立されていた。安来の地名の起こりや月ノ輪神事についての説明を眺め、西へ進む。この先の日立坂下交差点を左折、日立金属山手工場前を通過し出発地の安来市民体育館まで引き返した。
猪麻呂の娘像
語臣 猪麻呂
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