勝山(かつやま) 山口県下関市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004年 3月20日 初回登山を見る 2004年 3月20日(日曜日) 勝山 73回目 91座目 山口県の100山では43番目 登山口 勝山・四王司山登山口 ガイド本 中島篤巳著 山口県の山(発行所 山と渓谷社) 登山開始 10:27 山頂到着 10:58 下山開始 11:12 下山終了 11:32 登山時間 0:31 山頂滞在時間 0:14 下山時間 0:20 所要時間数 1:05 雨がやんできたので次に勝山に登るために移動し、セブンイレブンでおむすびを買い、勝山城跡をすぎると舗装道が砂利道となり道路が悪くなった。勝山三山の青山・勝山・四王司山への登山マップが設置してある登山口にはすでに自動車が何台か置いてあった。四王司山登山道という標識もあり、四王司山へは1,590m、勝山登山口まで340mという標識もあり、ここから歩いて行く事にした。
砂利道を歩いていると勝山の麓の大王寺に向かってたくさんの車が乗り入れているので、登山口の分岐までは車で入れたことにようやく気がついた。登山開始から5分で勝山・四王司山登山道に入り、ゴロ石の道を更に5分程度歩いて行くと途中に「勝山登山口・山頂まで約40分」の道標に従い山道に入った。
周囲には木が生い茂り、展望はないが落ち着いた道をゆっくりと登って行く。たいした坂ではないと思っていたら突然急坂の連続となり、息も絶え絶えで坂を登って行き、勝山登山口からは約20分で暗い郭跡に到着した。
そのまま西方面に進んで行くと「ふるさと展望台」の表示があり、眼下には綺麗な姿の青山から北九州に向かって素晴らしい展望が広がっていた。
勝山ふるさと展望台から青山方面 急な坂をしんどい思いをしながらこの景色を楽しみに登ってきたので、雲も霞のない美しい展望により全てが報われた思いだ。反対側の勝山山頂に行くと勝山三山を守る会の皆さんが平成15年3月に設置した「勝山の歴史」の説明版が目に入った。勝山山頂からの展望は北方面の一部に限られているため、展望としてはふるさと展望台の方が良かった。
しばらく勝山山頂を散策し、もう一度ふるさと展望台から素晴らしい景色を眺めた後、下山を開始した。下山時には、勝山山頂から急坂を転げ落ちるように降り、車まで戻るとちょうど往復1時間だった。勝山の麓の大王寺に登山の無事の報告に参拝すると、本日は何かの催しがあるのかたくさんの人が参拝しており、世話人の方から整理券を頂いたが、何のための整理券かわからなかった。たくさんの参拝者の陰からお寺に参拝して大王寺を後にした。
ここに勝山山頂に設置してある勝山の歴史の全文を紹介する。 勝山(361米)の歴史 勝山村(明治31年)の地名の由来となった山。頂上周辺は絶壁で要の地。付近に山城の遺構である郭(くるわ)や櫓(やぐら)跡がある。大永元年(1521)から大内家の重臣、内藤興盛が九州に対する備えとして在城した。弘治3年(1557)3月、毛利元就に追われた大内義長が山口を棄て、内藤隆世とともに籠城した。毛利軍は攻略に手間どったため、矢文を放ち降伏を促した。投降の勧告を受けた隆世は、主君義長の助命を請うため、一身に責を負い自刃した。義長は、直ちに下城し長府の長福寺(功山寺)に入ったが、毛利軍に攻められ自刃した。大内氏最期の山城。落城後、毛利元就が入江箸親を城番として置いた。 平成15年3月勝山三山を守る会
勝山山頂 四王司山方面 青山 市街の展望
響灘
大王寺
勝山城跡 前の山 四王司山 を見る 次の山 竜王山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 勝山 登山口付近のMAP |