霊山(りょうぜん)福島県伊達市

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2016年8月6日

登山口 →0:30→ 宝珠台 →0:35→ 護摩壇 →0:15→ 西物見岩

 →0:10→ 東物見岩 →0:10→ 三角点 →0:25→ 日暮岩 →0:25→ 登山口

全歩行時間 2時間30分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 福島県の登山を続けている。川俣町にそびえる女神山登山を終え、次に向かったのは伊達市にそびえる霊山。伊達市霊山総合支所付近から国道115号を東へ進み、霊山こどもの村キャンプ場を目指す。

 やがて現れる霊山パーキングの分岐を左折、少し進み霊山こどもの村またはりょうぜん紅彩館の案内に従い分岐を右折すれば、終点が霊山の登山口である。ここでトラブル発生、レンタカーからの電源が取れなくなった。カメラや携帯電話等への充電が不可欠な旅行なので、レンタカーの店へ連絡し車両の交換を依頼した。

霊山パーキングの分岐を左折 霊山登山口の案内

 さて、この霊山だが、国の史跡及び名勝に指定されており、平安時代慈覚大師により開山されたと伝えられる山岳仏教寺院である。南北朝時代まで東北山岳仏教の拠点の一つとして栄えたと考えられている。南北朝時代には北畠顕家が義良親王を報じて陸奥国の国府を開き、南朝方の拠点として機能していた。

 しかしながら北朝との激しい戦いの中、霊山城は落城し山中の仏堂などは焼失してしまったと伝えられている。霊山寺の情報の多くは地中に埋もれたまま保存されているが、山中に残る多くの礎石や土器・陶磁器などが当時の面影を伝えているそうだ。

ゴツゴツした岩山 登山道に入り駐車地を振り返る

 さて、霊山への登山を開始、標高530mの登山口からは目の前にゴツゴツした岩山がそびえている。車止めを越えて広い作業道に入れば、足下にはヤマジノホトトギスが咲いていた。木漏れ日差す作業道を折り返しながら進むと、間もなく霊山ハイキングコースの案内の置かれた場所へ着く。

ハイキングコースの案内 大岩の目立つ登山道

 擬木の手すりの整備された登山道には、大岩などが無雑作に配置され、大岩好きにはうれしくて堪らない。やがて鍛冶小屋岩を通過、この先で左に宝珠台の案内を見つけたので立ち寄ってみた。

鍛冶小屋岩 ハシゴを登る

 パイプ階段を登り案内に従い進むと、ハシゴの掛けられた大岩の前に出る。ここでハシゴを登れば南に展望が開け、眼下には出発地点を眺めることができる。すごい高度感に浸りながら周囲に広がる展望を満喫、西南西の手前に見えているのは先程登った女神山、その先にそびえているのは名峰安達太良山と思われる。岩上にて小休止の後、元の道へ戻る。

宝珠台 宝珠台から眺める展望(クリックで拡大)

 少し先にも展望地があり、女神山などを眺めることができた。この先で右へ日暮岩への分岐があり、こちらに向かえば日暮岩・弁天岩と案内されているが、本日この道は下山に使用。国司沢・霊山城跡への案内に従い主路を採る。

宝珠台先の展望地(クリックで拡大) 日暮岩分岐

 木漏れ日が美しく、緩やかな傾斜の道を快適に進む。間もなく国司沢の案内のある場所へ到着、眼下には樹林の先に展望が広がっている。更に80m進めば天狗の相撲場へ着く。護摩壇へ向かって進むと、大岩のそびえる親不知・子不知の下を過ごす。

国司沢の案内 天狗の相撲場の案内
護摩壇へ続く道 足下の切り立った展望地

 この岩の下は、人が歩けるように削られたようにも見える。やがてものすごい絶壁の前へ到着。眼下は切れ落ちており、安全のために鎖が渡してあるものの、ものすごい高度感。この難所をへっぴり腰で通過する。

足下が狭くなる 岩を潜る

最後の岩

 最後に岩の下を潜れば護摩壇へ到着、この付近はスリルのある場所である。眼下に広がる展望は素晴らしく、霊山登山のハイライトだろう。更に岩の間を通り抜け、岩と岩の間に渡された鉄製の橋を渡ると休憩所のある平坦な広場に出た。

護摩壇から眺める展望 鉄製の橋

 ここには「伝国司館跡」の案内が建ち、足下には礎石らしい石が配置されていた。国司館跡から霊山城跡まではわずか40mで、すぐに広い城跡へ着いた。城跡に立つ案内には、釈迦が修行したというインドの霊鷲山にちなみ霊山と命名されたと書かれていた。

伝国司館跡 霊山城跡

 城跡にて義良親王の石碑前で記念撮影、もう少し北西へ進み西物見岩へ移動した。物見岩手前の西の最高点付近には霊山の石碑が置かれていた。西物見岩からは伊達市や遠く安達太良山、吾妻山などが見えているが少々霞気味の展望に変わっている。

西の最高点 西物見岩から眺める展望(クリックで拡大)

 西物見岩を過ごして霊山城跡を通過、次は東物見岩へ移動する。平坦な登山道を南東へ向かって移動、やがてゴツゴツした岩場を踏み越えれば、霊山最高峰825mの東物見岩へ着いた。

東物見岩手前の岩場 東物見岩(クリックで拡大)

 明るい物見岩の上に立てば北から東へ向けての展望が広がっている。残念ながら蔵王山は見えなかったが充分満足できる展望である。東物見岩から次は学問岩へ移動し周回登山を続ける。

東物見岩から眺める展望(クリックで拡大) 学問岩

 青葉の美しい自然林の下を下っていると、天の釣船入口へ到着、ここで左上に高所を感じたので向かってみると三等三角点が置かれていた。やはり少し高い位置に三角点は置かれているようだ。

自然林の下に続く道 霊山三角点

 無事に三角点を確認したので一安心、次はアリの戸渡りへ到着した。アリの戸渡りとは、火山岩でできた細い道のことを指すようだ。アリの戸渡りを移動すれば、この先には望洋台があり、この上からは太平洋が見えると言うことだろうが、本日は霞の中である。

アリの戸渡り(クリックで拡大)

 これまでに沢山の大岩を眺めてきたが、大岩を見飽きることはない。大きな五百羅漢岩の先で更に大きな弘法突貫岩に圧倒された。途中には弁天岩を遠望、ハシゴの置かれた日暮岩の上に立ち、周囲に広がる展望を眺める。なお、この岩が展望の岩としては最後の岩となる。

五百羅漢岩 弘法突貫岩
弁天岩 日暮岩

 日暮岩から少し下れば登山時に分岐した場所へ到着、この先からは元来た道を引き返して登山口へ戻り着いた。霊山は奇岩大岩巡りと、スリルある岩場の楽しい山だった。登山口から少し下った所へ日帰り温泉の紅彩館があるので汗を流し、福島駅へ移動しレンタカーを交換した。なお、福島駅への移動途中、高速道路のサービスエリアで玉こんにゃくを見つけたので頂いた。たまこんにゃくの写真を撮っていたら、なんとカメラを忘れそうになった。こんな事が多い。

日暮岩から眺める展望 なつかしい玉こんにゃく

 本日のもう一つのハイライトは「郡山うねめまつり」見学、早速会場の郡山駅前へ向かった。東北五大祭りの一つにも数えられるうねめまつりは、郷土出身の春姫の悲恋の物語が由来となっている。

 なお、東北五大祭りとは、仙台七夕まつり、青森ねぶた祭、秋田竿燈まつりの三大祭りに、山形花笠まつりを加えて四大祭り、これに盛岡さんさ踊りまたは郡山うねめまつりを加えて五大祭りと言われている。私はすでに盛岡さんさ踊りは見学しているので、今回のうねめまつりで五大祭りは全て見学したことになる。残念ながら、日程の関係で、東北六魂祭の福島わらじ祭りは、来年以降に持ち越しとなってしまった。

郡山うねめ祭り 日本最大級の十尺大締太鼓(クリックで拡大)

 約1300年前、陸奥の国安積の里(現・郡山市)では冷害が続き、朝廷への貢物ができなくなってしまった。そこで奈良の都から巡察使の葛城王がこの地へ訪れた。

 里人たちは村の窮状を訴え、貢物の免除をお願いするため、王をもてなす宴が開かれた。その宴の際、王は里長の娘の春姫を見そめ、春姫を帝の采女として献上することを条件に、貢物を三年間免除すると約束した。そのとき春姫には次郎という相思相愛の許嫁がいたが、村人のため、悲しみをこらえて別れた。

ミスうねめ(クリックで拡大) うねめ祭り風景

 都での春姫は、帝の御寵愛を一身に受けていたが、仲秋の名月の日、次郎恋しさに猿沢の池畔の柳に衣をかけ、入水したように見せ、愛する次郎の待つ安積へ向かった。里へたどりついた春姫は、次郎の死を知り、雪の降る夜、後を追って次郎と同じ山の井の清水(井戸)に身を投じた。

うねめ祭り風景

 やがてみちのく安積の里にも春が訪れ、山の井の清水のまわり一面に名も知れぬ薄紫の美しい可憐な花が咲き乱れていた。 だれ言うともなく、二人の永遠の愛が地下で結ばれ、「安積の花かつみ(学名ヒメシャガ)」になったのだと噂をしたそうだ。

 うねめまつりは昭和40年に安積郡9町村が郡山と合併し、郷土の伝説の釆女物語を元に『うねめまつり』が始まった。なお、奈良市でも内容は違うものの、釆女物語が残されており、毎年仲秋の名月の晩には『釆女祭』が猿沢の池で行われている。

「麺屋くさび」さんの豚骨ラーメン

 うねめまつり見学の後、炊出し豚骨醤油の看板につられて「麺屋くさび」さんで豚骨ラーメンを頂いた。美味しいラーメンに一日の疲れも取れるようだった。

霊山

宝珠台からの展望

護摩壇

東物見岩

アリの戸渡り

うねめ太鼓

ミスうねめさん

 前の山 女神山 を見る

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歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 福島県伊達市 霊山  登山口付近のMAP

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