耳成山(みみなしやま)大和三山登山 奈良県橿原市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トップに戻る 2013年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順 平成25年4月2日 耳成山公園駐車場 →0:20(遊歩道利用)→ 耳成山 →0:10(参道利用)→ 駐車場 全歩行時間 0時間30分 若草山登山と奈良公園観光の次は山口県の山(山と渓谷社)の著者、中島先生のご案内により大和三山の登山へ。天香具山登山の後、天香山神社へ参拝し、耳成山登山口の「耳成山公園駐車場」へ向かう。この駐車場は耳成山の南に位置しており、古池の手前に数台の駐車スペースがある。登山を開始すると同時に雨が降り始めたので、傘を差して歩き始める。古池越しに眺める耳成山の麓には桜が満開で素晴らしい景色が広がっている。
古池を左に見ながら整備された道を進むと、やがて満開の桜の下へ到着、この付近が耳成山公園である。耳成山への入口で「名勝大和三山耳成山」の案内を眺めて事前に知識を仕入れておく。耳成山については、大和三山の中で最も低い山だが、円錐状の整った姿をしており、畝傍山と同じく瀬戸内火山帯に属する死火山で、浸食や盆地の陥没と堆積によって、現在の姿となったそうだ。
万葉集の中で耳成山が単独で詠まれる例はなく、他の二山とともに詠まれている。香久山は 畝火(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相(あひ)あらそひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき 中大兄皇子
これは「香具山は愛しい畝傍山を奪われまいとして、耳成山と争った。神代からこうであるらしい。昔もそうであったからこそ、今の世も人は妻を取り合って争うらしい」と言う意味である。
耳成山へは山口神社への参道を辿れば、山頂までわずか5〜6分で着くが、階段の傾斜はきつい。そこで登山時は傾斜の緩やかな登山道を採ることにした。左に耳無山山口神社の大鳥居を過ごし、緩やかな傾斜の登山道を進む。
周囲は自然林に覆われ気持ちの良いハイキングコースが続いている。山腹にぽつりぽつりと穴の空けられた場所があり、中に入れないように木の檻が設置されている。これは防空壕跡とのことである。
広く何の心配もない道を進んでいると途中で左に神社へ続く分岐を過ごす。更に緩やかな左カーブを描きながら遊歩道を進めば、遊歩道の交差点へ到着。分岐を右に採れば麓へ下ることができるようだ。私はそのまま直進し、緩やかに高度を上げる。この登山道は日本百名山の鹿児島指宿市の開聞岳と同様に、一周回りで山頂へ着くようだ。
やがて正面方向に山口神社が見えてきた。手前に立つ耳成山国有林の案内には耳成山について、次のように案内されている。 ここは歴史的にも有名な大和三山の中で、標高139.7mと三山の中で一番低く、死火山です。もとはもっと高い山でしたが、盆地の陥没で沈下し、山の頭部が地上に残された単調な円錐形で、人の顔にたとえれば耳がないような山なので、耳無山→耳成山と呼ばれるようになったとも言われています。 耳無の 山のくちなし 得(え)てしがな おもひの色の 下染(したぞめ)にせむ 古今和歌集 よみ人しらず 「耳無山のくちなしの実が欲しいものだ。それで誰にも知られぬ思いの色を染めるための下染めにしたい」
耳成山口神社参拝の前に耳成山の山頂へ向かうことにする。分岐を左に採り、今までの遊歩道からいきなり足下のでこぼこした登山道に入る。但しよく踏まれた道なので道はしっかりしている。
耳成山の山頂風景 自然林の下に続く明確な道を進むとすぐに狭く平坦な耳成山の山頂へ到着した。山頂奥には三等三角点が置かれ手前には「明治四一年十一月十一日 御統監 明治天皇大演習御統監之地」の石碑が立っている。山頂から周囲には木々の背が高く、展望を得ることはできない。周囲を観察していると、いくつか山頂の標識が掛けられていることに気づいた。 耳成山口神社へ 山頂を出発し耳成山口神社へ参拝、拝殿の上には多くの絵馬が奉納されている。耳成山口神社の御祭神は高皇産霊大神(たかみむすびおおかみ)と大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)で、本殿横には金比羅神社、稲成神社も祀られていた。耳成山口神社へ多くのお願いをした後、神社を後にする。 耳成山口神社に参拝 下山は神社の参道を下る。下山方向の左側に多くの灯籠を見るが、ほとんどが昭和の奉納のように見えた。最後に耳成山口神社の大鳥居を潜り、耳成山の登山は無事終了した。 桜並木と耳成山 耳成山山頂風景 耳成山口神社へ参拝 耳成山全景 前の山 天香久山 を見る 次の山 畝傍山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 奈良県橿原市 耳成山 登山口付近のMAP |