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ところが磯部が若桜鬼ヶ城に所用のため不在の折、鳥取山名に攻め落されたが、翌天正九年、秀吉再度の鳥取城攻略により、鳥取城は落城この際磯部は許されて再度景石城主となった。以来城下町として用瀬宿を発展させたが、関ヶ原の戦いに西軍に味方したため咎を受け、この城を去らなければならなかった。
替って智頭八東二郡の領主となった山崎左馬介の持ち城となったが、元和元年(1615)一国一城の端城御禁制の令が出され、この城は廃城となったと、ある。
登山口駐車場へ向かう起点をJR因美線用瀬駅とすれば駅前からまず鳥取市用瀬町総合支所へ向かって進み、総合支所先のフェンスに掲示された「景石城山」の案内に従い分岐を左折、鋪装道を進めばこの先の右側に登山口の案内が立っている。
案内に従い分岐を右折すれば終点が登山口駐車場で、登山口は駐車場からわずかに下ったところにある。駐車場を出発し鋪装道をわずかに下れば景石城山の石柱と城山の案内板の置かれた登山口に着き、すぐに山道に入る。
この付近には城跡によく見られる竪堀が残っており、竪堀の手前を右に進み山頂を目指す。岩の目立つワイルドな道が始まり、ふと背後を眺めれば展望が素晴らしい。間もなくベンチの置かれた物見櫓(三の丸) 跡に着き、樹間越しに広がる田園風景を眺める。
すぐに広く平坦な二の丸跡に着くが、二の丸からの展望は望めない。二の丸を過ごしわずかに高度を上げれば左に歴史ある石垣が現れ、そのまま平坦な道を進むと用瀬を見晴らす東屋が建っていた。
東屋から東へ向かってわずかに坂を登れば景石城山の山頂である。広く平坦な山頂には景石城跡・本丸跡の案内が立ち、奥へ向かうと岩の先に三等三角点が置かれていた。三角点に触り、東屋付近から三角山を眺め眼下に広がる展望に満足して下山を開始した。
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