景石城山(かげいしじょうやま)鳥取県鳥取市

トップに戻る           2022年に登った山リストへ戻る        山名アイウエオ順

2022年8月5日
登山口 →0:20→ 山頂 →0:15→ 登山口
全歩行時間 0時間35分
登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 真夏だが、鳥取県の山歩きを続けている。最初に向かうのは鳥取市用瀬にそびえる景石城山。登山口の案内によれば、この城が何年頃築かれたかは明らかでないが、太平記に延文の頃(1360年頃)既にあったと記されている。その後、山名の城となったが天正八年(1580)豊臣秀吉の鳥取城攻略の重要な拠点として磯部兵部大輔にこの城を攻めさせ、山名勢を追い払い、磯部を城主として鳥取城への備えとした。

 ところが磯部が若桜鬼ヶ城に所用のため不在の折、鳥取山名に攻め落されたが、翌天正九年、秀吉再度の鳥取城攻略により、鳥取城は落城この際磯部は許されて再度景石城主となった。以来城下町として用瀬宿を発展させたが、関ヶ原の戦いに西軍に味方したため咎を受け、この城を去らなければならなかった。

 替って智頭八東二郡の領主となった山崎左馬介の持ち城となったが、元和元年(1615)一国一城の端城御禁制の令が出され、この城は廃城となったと、ある。

登山起点の用瀬町総合支所へ向かう 用瀬町総合支所
用瀬町総合支所の先を左折 登山口案内に従い右折

 登山口駐車場へ向かう起点をJR因美線用瀬駅とすれば駅前からまず鳥取市用瀬町総合支所へ向かって進み、総合支所先のフェンスに掲示された「景石城山」の案内に従い分岐を左折、鋪装道を進めばこの先の右側に登山口の案内が立っている。

鋪装道終点が駐車場 駐車場手前が登山道入口

 案内に従い分岐を右折すれば終点が登山口駐車場で、登山口は駐車場からわずかに下ったところにある。駐車場を出発し鋪装道をわずかに下れば景石城山の石柱と城山の案内板の置かれた登山口に着き、すぐに山道に入る。

横木の階段を登る 要所に案内が置かれている
展望が開ける 休憩所手前
農免道との合流点 街並み展望休憩所へ向かう
 横木の階段の整備された道をたどり少しずつ高度を上げる。登山道は踏み跡が確かで要所に「頂上へ」の案内も掲示されて分かり易くなっている。真夏の登山だが、時折現れる用瀬の展望に元気をもらいながら着実に高度は上がる。やがて農免道路から続く道と合流すれば、街並み展望休憩所へ到着、眼下に用瀬の真夏の風景が美しい。
休憩所から用瀬の展望 掘切跡
竪堀跡 頂上へ向かう
岩の目立つ登山道 ペンチの置かれた物見櫓(三の丸) 跡

 この付近には城跡によく見られる竪堀が残っており、竪堀の手前を右に進み山頂を目指す。岩の目立つワイルドな道が始まり、ふと背後を眺めれば展望が素晴らしい。間もなくベンチの置かれた物見櫓(三の丸) 跡に着き、樹間越しに広がる田園風景を眺める。

田園風景 平坦な二の丸跡
歴史ある石垣 東屋

 すぐに広く平坦な二の丸跡に着くが、二の丸からの展望は望めない。二の丸を過ごしわずかに高度を上げれば左に歴史ある石垣が現れ、そのまま平坦な道を進むと用瀬を見晴らす東屋が建っていた。

景石城山山頂 山頂の岩
三等三角点 平坦な山頂

 東屋から東へ向かってわずかに坂を登れば景石城山の山頂である。広く平坦な山頂には景石城跡・本丸跡の案内が立ち、奥へ向かうと岩の先に三等三角点が置かれていた。三角点に触り、東屋付近から三角山を眺め眼下に広がる展望に満足して下山を開始した。

眼下に展望が広がる
用瀬の街並み
岩の道
景石城山山頂
山頂には休憩用のベンチが置かれていた
用瀬が一望の山頂

 前の山 青島 を見る

 次の山 丸瀬山 を見る

歩いた足跡  
登山口周辺の地図はこちら 鳥取県鳥取市 景石城山 登山口付近のMAP
登山リスト(あいうえお順)に戻る
2022年に登った山のリストへ戻る
トップに戻る