伊吹山(いぶきやま)滋賀県米原市

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2013年5月21日

三之宮神社 →0:25→ 1合目 →0:25→ 2合目 →0:30→ 3合目

 →0:10→ 4合目 →0:10→ 5合目 →0:18→ 6合目 →0:17→ 7合目

 →0:18→ 8合目 →0:20→ 西ピーク分岐 →0:10→ 山頂一等三角点

 →0:05→ 日本武尊 →0:10→ 西ピーク→ 0:15→ 8合目 →0:35→ 5合目

 →0:17→ 3合目 →0:35→ 三之宮神社

全歩行時間 5時間 0分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 滋賀県米原市にそびえる日本百名山の伊吹山へ向かう。登山口は麓の三之宮神社で、東海道本線のJR米原駅から2駅先の近江長岡駅まで行き、湖国バスの長岡登山口線に乗れば、15分程度で伊吹登山口(三之宮神社前)へ着く。

JR近江長岡駅 湖国バスで伊吹登山口へ到着

 バス停に掲示されている琵琶湖国定公園伊吹山(日本百名山)案内図、伊吹山山頂のお花畑の案内を眺めながら登山前に伊吹山に関する知識を仕入れておく。次に三之宮神社へ参拝、神社の案内に寄れば、伊吹山登山口に鎮座する三之宮神社は、天応元年(781)の創建といわれ、祭神は大国主命、大山昨命、玉依姫命で、江戸時代までは、「三之宮如一権現」と称されていた。

バス停上に設置されているトイレ 三之宮神社

 伊吹山は古事記や日本書紀に記された荒ぶる神の住む山で、この神の力を得るために、奈良時代以降、修行の行者が山中の岩場や滝・洞窟を巡り、山頂に登拝したそうだ。三之宮神社は、その登拝道の一の宿と呼ばれた最初の聖地で、多くの行者が集まった場所である。

 また、5年に一度行われる伊吹山奉納大太鼓(滋賀県選択無形民族文化財)は、水を運んでくれる伊吹山に対する豊作のお礼の踊りである。かつて、大干ばつの時には、柴一束をもって境内に集まり、山頂へ登って弥勒堂前で雨乞いの千束焚きが行われたそうだ。

登山前に神社へ参拝

 三之宮神社の菊桐の紋章は、天正10年(1582)の本能寺の変のとき、長浜城にあった羽柴秀吉の正室・北の政所がここに難を避けたことから、秀吉から寄進されたものである。このように伊吹山には古事記の時代からの長い歴史が刻まれている。

伊吹山のアーチをくぐる 右の階段が登山道入口

 三之宮神社を出発、いよいよ伊吹山へ向かって登山口に入る。神社から少し東へ移動し、百名山伊吹山案内を眺めると、登山口から山頂まで3時間20分の行程と案内されている。本日はのんびり歩く予定なので、4時間以内で登れば良しとする。

大きな石灯籠を過ごす 登山道には滑り易い石が多い

 伊吹山のアーチを潜り、少し進むと右側に横木の渡された階段が見えてきた。これが伊吹山登山道入口であり、山頂まで6000mと表示されている。右に大きな石灯籠を過ごせば、周囲には清楚なシャガの花が美しい。登山道では、根の張り出す道を躓かないよう進む。

 足下にはゴロゴロした石が多く、更にこの石は、つるつる滑るので要注意。この対策は、石の上を歩かないことに尽きる。周囲に広がる植生は、杉や檜に自然林といろいろな樹林が混在しているようだ。ただし、足下には相変わらず石や岩の多い道が続く。周囲が自然林に変われば緑が美しく、朝の日差しを和らげている。間もなく一合目まで約5分の案内を通過、相変わらずの岩道を進むと、左にひろきち地蔵が祀られている。

石に躓かないよう進む ひろきち地蔵

 案内には、山へ炭焼きに出かけたひろきちさんが、六合目でお地蔵さんを見つけて、家の仏さんになってもらおうと持っておりた。すると、一合目で急に重くなって、やっとのことで持ち帰った。しばらく家でおまいりしていたが、そのうち、病気で寝込んでしまった。見舞いの村人に「お地蔵さんを伊吹山へ帰してくれ」と頼むので、ここまで運び上げてお祭りしたそうだ。

1合目 舗装道を横切る

 ひろきち地蔵を過ごすと、足下からゴロ石が消え、とても歩きやすくなる。すぐに1合目に到着、山頂までは5.1km、標高420mで、登山口から0.9km地点である。一合目から少し左方向へ寄り道してみると、金毘羅大権現の石柱が立っていた。さて、右に旅館の伊吹高原荘を過ごし、舗装路を横切り山道に入る。

右に1合目トイレ 眼下に米原市の街並み

 少し坂を登れば、右に伊吹山一合目便所が設置されている。このあたりは、さすが日本百名山、至れり尽くせりの整備状況である。登山道の案内に従い、草原につけられた道を登る。背後には米原市の市街が広がり、少し高度が上がるたびに展望が広がってゆく。この草原ではパラグライダーの講習も行われるようだ。

草原の中を進む 2合目

 スキー場のゲレンデのような場所を抜けると2合目へ到着、山頂まで4.3km、標高は580m、登山口からは1.7km地点である。ここで作業道と別れ、草原の中につけられた登山道を進む。頭上を樹林が覆っている間は、吹く風がとても涼しいが、間もなく樹林の覆いが無くなり、足下には岩が増える。これから先はとてもワイルドな登山道なので足場を選びながら高度を上げなければならない。

少しずつ展望が広がる 岩の多い道

 間もなくアヤメの花が一輪咲いている場所を通過、この花はとてもアクセントのある花である。やがて進路が右方向へ直角に変わり、徳蔵山・蹴鞠場の案内の場所に着く。徳蔵山には薬草が多く、かつては絶好の草刈り場だったとのこと。伊吹山には伊吹弥三郎や酒呑童子など、大男や鬼の伝説が伝わっている。

一輪の花 徳蔵山

 伊吹山には、昔、大男が住んでおり、この大男は身体が山のように大きく、岩をちぎり投げるほどの怪力の持主だった。この大男が伊吹山中のどこに住んでいるのか、誰もわからないが、夜になるとどこからか出てきて、村の中を歩き回り、食べ物や娘をさらっていった。村人は、この男を伊吹の弥三郎、柏原の弥三郎と呼び恐れていたそうだ。また、この伊吹弥三郎は、鬼の酒呑童子の父であるという説も残っている。

殉難の碑とお地蔵様

 伊吹山の二合目から三合目の中間にある開けた草原は、マルケバ(蹴鞠場)とよばれ、伊吹弥三郎が鞠を蹴った所だと言われている。なだらかなカーブの徳蔵山を眺め、更に進むと前方上に石碑が見えてきた。そこで少し坂を登ると、「殉難の碑」と石に刻まれており、その右にはお地蔵様が祀られていた。

霞気味の伊吹山 高原のホテル

 殉難の碑を過ごし、少し進むとようやく伊吹山の山容が見えてきた。手前には送電線が続いているが、美しい風景に変わりはない。本日最初に眺める伊吹山の山容は、とても美しい。山頂付近は少し霞み気味の天候だが、午後からの晴れの予想を信じて更に進む。この付近は前方に伊吹山、背後に徳蔵山のなだらかなカーブが見えており、なかなかの景色である。

3合目へ向かう 3合目

 緩やかな登山道を少しずつ進むと、左には伊吹高原ホテルなどが建っている。まもなく3合目に到着、山頂まで3.6km、標高720m地点で、登山口からは2.4kmの距離である。この地点から山頂までは90分、登山口へ60分と案内されている。緩やかな傾斜の道を進むとやがて三合目公衆便所へ到着、これより先に公衆便所はないそうだ。

鉄塔下を進む 3合目の平原

3合目先から眺める風景

 この三合目付近は、季節毎に美しい花の咲くお花畑と案内されているが、丁度今は端境期のようで、めぼしい花は咲いていないようだ。草原の中につけられた登山道を進むと間もなく鉄塔下を通過、正面に伊吹山の勇姿を眺めながら歩くのはとても気持ちがよい。

 4合目 すぐに石の多い道に変わる

 やがて進路が右に変わるところで4合目に到着。山頂までは2.9km、標高は800m、登山口からは3.1kmの位置である。従って山頂までの距離の半分以上を歩いたことがわかる。4合目の先でコンクリート製の大きな塊を左に過ごし、右方向へ進路を変える。足下は滑り易い石の点在する道なので、足の置き場に気をつけなければならない。

5合目の休憩所 5合目の自動販売機

 この付近からはジグザグを描きながら高度を上げ始める。少しの坂を登ると前方に建物が見えてきた。この建物の横には自動販売機が置かれておりその先には休憩用のベンチやテーブル等も整備されている。自販機では地上で150円のお茶などが250円で販売されているが、ここまで商品を運ぶ労力を考えれば、とても安く感じる。

5合目 通行規制のある登山道

 この自動販売機を越えれば5合目へ到着、山頂まで2.4km、標高880m、登山口からは3.6kmの地点である。山頂付近を見上げれば、丁度中央がくぼんでいるように見えている。また、山頂付近には雲が発生しているようで、山頂部はわずかに霞気味である。また、現在地と山頂との中間付近には建物が建っている。これは避難小屋かも知れない。

遠くに見えていた避難小屋が近くなる

 足下の掘られたような道に入り、少し登って背後を振り返ると、草原の先に送電鉄塔が建ちならび、その先の米原市街の展望は霞始めている。伊吹山の西の稜線を眺めていると、岩場が多く見えており、岩の多い山であることがよく分かる。植物保護のため、通行規制のしてある箇所もあるので足下を選びながら高度を上げる。

西の稜線には岩場が見えている 避難小屋を見下ろす

 遠くに見えていた避難小屋が少しずつ近づいている。足下に黄色の花を眺め、眼下に広がる展望を楽しむ。このあたりで足下に転がっている白い石や岩は石灰岩であることが分かった。やがて避難小屋の横を通過、これから先は避難小屋を上から見下ろすことになる。避難小屋越しに眺める3合目付近の草原も良いものである。

6合目 山頂付近に湧き出す雲

6合目先から眺める風景

 避難小屋を過ごし、少し高度を上げると6合目へ到着、山頂までは1.9km、標高は990mまできた。なお、登山口からは4.1km地点である。本日は晴れの予報だが、山頂部には盛んに雲が流れている。この雲の流れる様子を眺めているだけでも楽しいのは、日本百名山の伊吹山へ登っているからだろう。

つづら折りの道 7合目

 少し高度を上げれば久しぶりの千メーター越え、昨年8月の御在所岳、9月の羅漢山以降、低山ばかり歩いている。さて、登山道はつづら折りのように山腹につけられた道を折り返し、緩やかに高度を上げる。やがて坂の途中で7合目へ到着、山頂までは1.4km、標高は1080m、登山口からは4.6km地点である。6合目からは距離にして500m、高度は90m登っている。但し、ジグザグを描きながら、緩やかに高度を上げているため疲労感は少ない。

登山道が蛇行していることが分かる 岩場

7合目先から眺める風景

 眼下を見下ろすと、登山道は蛇行しながら上ってきていることが分かる。しばらくジグザグを描きながら高度を上げているため、周囲に広がる展望は余り変わらないように見える。ただし、眼下に見えているジグザグな道が少しずつ増えているようだ。

岩場を越える 行道岩

 やがて前方に現れる岩の大きさが少しずつ大きくなり、岩を乗り越えるようになる。ここで行道岩の案内を見る。八合目の西に屹立する巨岩で、「平等岩」とも呼ばれている。伊吹山修験の霊場とされ、伊吹山寺を開いた高僧・三修がその岩の上で修行を積んだ作仏聖・円空は、北海道洞爺湖中之島に残した観音座像の背面に、この「平等岩」で修行したことを刻んでいる。岩の上で瞑目したり、岩を回るような修行が成されていたそうだ。しばらく行道岩を眺めて小休止、大岩の上に祀られたお堂が見えているが、あの場所まで行く道はどこにあるのだろうか。

ミニ岩場が続く 蛇行している登山道が見える

 この先で少しの岩場を越えるが、久しぶりの岩場はワクワクする。足場を選びながら岩場を通過、眼下を見下ろせば、つづら折りの道をはっきり見る事ができる。間もなく登山道の右側にお堂の置かれている場所へ到着、お堂の中には二体の石仏が祀られている。この地点はベンチの置かれた休憩所みたいで、丁度8合目になっている。

8合目のお堂と休憩所 岩の道を乗り越える

 もう山頂までは900m、標高は1220m、登山口からは5.1km地点である。8合目からは岩の道を乗り越えるように高度を上げる。眼下を見下ろせば、3合目付近はもちろんのこと、雲が流れているせいか、霞がひどくなってきたようだ。これに対して山頂方向はとても澄んでおり、見晴らしが良い。

岩場は石灰岩でできている 手掛岩

 石灰岩を踏みながら高度を上げると、手掛岩等について、次のように案内されている。

 伊吹山は修験の山で、かつて山の六分より上は女性の登山が許されていなかった。むかし出家した夫を求めて山に登り始めた女性が、七分まで来たときに、ここで一陣の風が巻き起こり、女性を岩から引き離して、谷に投げ落とそうとした。最後まで振り落とされまいとしてしがみついた女性の指跡は、ついに岩を削り取って、指の跡がいつまでも岩に残っている。ここから上は神の領域であるという、山岳信仰の結界を示す岩である。また、このあたりから上の斜面は、岩が露頭するカレンフェルト(石塔原)とよばれる石灰岩地特有の地形が広がっている。

イチリンソウ 山頂へ続く尾根道

 これから先はこの手掛岩を眺めながら高度を上げる。と、足下を眺めると白い花が咲いている。これはイチリンソウのようだ。可憐なイチリンソウを眺めて登山を再開、少しずつ手掛岩が近づいてくる。岩の多い道を登れば、山頂へ続く平坦な尾根道へ到着、もう山頂まではわずかな距離になっている。

西のピークを振り返る 石灰岩の横を抜ける

 岩の張り出すごつごつした道を慎重に東へ進む。やがて大きな石灰岩の横を抜けると伊吹山寺の横を抜ける。最初に三角点を踏むため、南方向へ移動し次に東へ進む。まず伊吹山頂上碑を過ごし、少し先には南弥勒菩薩が祀られている。

伊吹山寺 南弥勒菩薩

 北を眺めるとやはり弥勒菩薩が祀られているので、この弥勒菩薩は対になって祀られているものだろう。もう少し東へ進むと一等三角点が置かれている。ここで三角点に触って記念撮影、日本百名山の伊吹山山頂1377mへ着くことができた。山頂部はとても視界が良いのだが眼下を見下ろすと霞が視界を覆っている。

伊吹山一等三角点 イチリンソウの群生地(写真をクリックで拡大)

伊吹山の山頂風景

 三角点を出発、少し北へ移動すると、イチリンソウが群生している。イチリンソウの花を観賞し、次は北の弥勒菩薩へ参拝、伊吹山の広い山頂には見所がいっぱいである。弥勒堂を出発し、西へ向かうと伊吹山登山のハイライト、日本武尊(ヤマトタケル)像の置かれた山頂へ到着した。

弥勒菩薩 山頂に祀られた日本武尊

伊吹山山頂から北方面の展望と日本武尊の風景

 早速記念撮影をしていると、大勢の小学生が遠足で日本武尊を占領、こちらも記念撮影をしている。少し昼を過ぎたので山頂の食堂にて名物の伊吹そばを注文。なお、伊吹山麓は昼夜の気温差が大きく、そばの栽培に適しているそうで、「日本そば発祥の地」としても有名とのこと。また、日本のそばの栽培は伊吹山で始まり、木曽、甲斐、信濃などに伝わり、やがて北海道にまで伝わったと言われているそうだ。本日は電車移動なので、昼からビールも大丈夫。今年最高の昼食を伊吹山で頂いた。

山小屋と豪華昼食(伊吹そば)

山頂で営業している山小屋の風景

 昼食後は再び山頂散策、日本武尊像を眺め、周辺のお土産物店を眺める。伊吹山寺の付近まで来て、白い猪を見つけた。ここには「伊吹山之神 白猪の由来」が案内されている。

山頂で記念撮影

山頂に祀られた日本武尊の風景

 伊吹山神は、英雄ヤマトタケルを退け、死に至らしめた「荒ぶる神」として「古事記」に登場している。ヤマトタケルノミコトは、古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されている。

伊吹の荒ぶる神(古事記) 山頂から北の風景

 今から2千年ほど前、日本武尊は伊吹山の荒ぶる神の話を聞き、これを鎮めるために素手で伊吹山へ向かい、伊吹山の山中で「神の化身」白猪と出会った。日本武尊はこの猪を「伊吹の荒ぶる神の使いの者」と思い、「今殺さなくても、帰りに殺してやろう」と言ったが、この猪こそ伊吹の荒ぶる神自身であった。

 日本武尊の言葉を聞いて怒った荒ぶる神は、大氷雨(雨と霧)を降らせ、日本武尊は命からがら山を降りた。日本武尊は、山麓の清水で覚醒するものの、伊勢へ向かう途中ついに亡くなってしまった。この日本武尊の神話は、奈良の都の人々が、いかに伊吹山(神)を畏れ敬っていたかを物語っている。

 「日本書紀」では大蛇が神の化身である。猪は多産大蛇は水神。水を司り豊穣をよぶ一つの動物が伊吹の神の化身であることは、この山の神が「水の神」として信仰されていたことを見事に物語っている。

西のピークへ向かう 西のピークから眼下の展望

西のピークから眺める風景

 白猪を眺め、伊吹山の西へ周回、遊歩道を経由して下山道に入る。下りは快適で、石の上を歩かなければ滑ることはない。山頂分岐の出発は、午後2時10分。多くの写真を撮りながら下山を続け、途中ではビデオも撮影した。3合目への到着は午後3時17分、登山口までの所要時間は60分と案内されている。

下山を開始 避難小屋を過ごす

 ここでバスの出発時間を確認すると、午後4時5分だった。このバスに間に合わせるには50分以内に下りなければならない。そこで3合目から急に焦りだし、登山口到着は午後3時52分、3合目から.37分で下りていた。これなら悠々大丈夫。バスに乗り込み近江長岡駅へ到着、駅から眺める伊吹山の中間付近に建物が建っている。

3合目付近から眺める伊吹山 近江長岡駅のホームから眺める伊吹山

 一体あの場所に何があったのかと思い出すが、よくわからない。双眼鏡を取り出し、建物付近を眺めてみると、見えているのは伊吹山に間違いない。と言うことは、建物の見えている場所は3合目の送電線の渡された箇所で、伊吹高原ホテルなどのようだ。登山口から三合目まで時間が掛かったのは、この三合目が全体の標高差からみれば、中間地点であったことが理解出来た。それにしても伊吹山は登っても眺めても美しい山である。

伊吹山を眺めながら登る

つづら折れの道と米原市街の展望

行道岩

8合目

手掛岩

伊吹山寺

伊吹山一等三角点

伊吹山山頂日本武尊

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歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 滋賀県米原市 伊吹山 登山口付近のMAP

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