蒲生峠(がもうとうげ)鳥取県岩美町 | ||||||||||||||||||
トップに戻る 2015年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順 2015年9月21日 山陰道 散策時間 0時間25分 今年(2015年)は年初に「山と渓谷社の分県シリーズ」福岡県の山の登山を終了、更に6月には同シリーズの岡山県の山を終了した。そして9月後半より鳥取県の山へ向かう。本日向かうのは岩美町の旧山陰道蒲生峠で、三角点の置かれているような山ではない。 山陰道は京都から山陰へ通ずる道で、蒲生峠は兵庫県新温泉町千谷から鳥取県岩美町塩谷へ越すルートとして古くから利用されてきた。蒲生峠越えは人々が歩いて往来していた道で、当時は峠に茶屋もあり、賑わっていた。この道は、塩谷の地蔵堂から峠道にとりかかり、蒲生峠頂上までは約3kmである。途中には石畳も残っており、当時の名残を偲ばせている。なお、蒲生峠の標高は356mである。
さて、蒲生峠へ向かう起点を道の駅「きなんせ岩美」とすれば、道の駅の前を走る国道9号を東へ進む。この先で国道9号から右側へ県道31号が分岐しており、蕪島方面へ向かう分岐の起点に「山陰道 蒲生峠越 この先4.8km」の案内を見つけた。この案内に従い分岐を右折し県道を道なりに南下する。 しばらく進むと扇ノ山・雨滝へ向かう道は右へ続くが、これから向かう蒲生峠へは、そのまま道なりに左カーブに入る。するとすぐ左に蒲生峠への案内が現れる。この分岐を左折し、県道119号を少し進むと、眼下に横尾の棚田を見下ろす展望地に出る。 棚田を眺めた後、県道を道なりに進むと、兵庫県との県境手前左側に二代目延命地蔵大菩薩が祀られていた。峠付近に車を置き蒲生峠の散策を開始する。峠に置かれた案内によれば、蒲生峠は新温泉町千谷から岩美町塩谷へ越すルートとして古くから利用されていたそうだ。
さて、延命地蔵大菩薩へ手を合わせて北へ向かう道に入る。右に東屋を過ごし舗装道を進むと、進路は左下へ続き、左に折り返す付近からは眼下に塩谷の街並みを眺めることができる。遠くには日本海も見えているのだが、少々霞気味である。
足下に雑草の目立つ道を下っていると、右には樹林の刈り払われた草原が広がっている。やがて左右に樹林を眺めながら緩やかな坂を下る。この先歴史の道をしばらく辿り、適当なところから峠まで引き返した。 歴史ある旧山陰道を散策
最後に鳥取県と兵庫県の県境付近まで歩き蒲生峠の散策を終了した。車に乗り込み歴史の道の起点を確認する。国道9号と県道31号の分岐点から国道9号を200m県境側へ進んだ地点の右下に下りる道があり、この先に蒲生峠越の案内が置かれていた。
最初にこの道を見つけていれば、ここから歩いたが、今回は、蒲生峠の案内に気を取られて車で峠まで上がってしまい、そのまま散策を始めてしまった次第である。 蒲生峠越の登山口 岩美町には作曲家田村虎蔵氏の生誕地があるので立ち寄ってみた。田村虎蔵氏と言ってもぴんとこないかも知れないが、きんたろう、だいこくさま、はなさかしじい、うらしまたろう、一寸法師のうち、一つ位は聞いたことがあるだろう。 田村虎蔵氏の生誕地に立つモニュメント 生誕地奥には、平山郁夫氏の書による「唱歌の父田村虎蔵先生記念碑」と彫られた石碑が置かれ、石碑中央部分に代表作のはなさかじじいの楽譜が彫られていた。 足下に置かれた絵 足下にはお椀の中の一寸法師、花の咲いた木の上に立つはなさかじじい、うさぎを助ける大黒様、熊にまたがった金太郎の絵が配置されているので、小休止を兼ねてひとつひとつを見学した。
横尾の棚田
二代目延命地蔵大菩薩
旧山陰道
展望 前の山 霧ヶ峰 を見る 次の山 金峯山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 鳥取県岩美町 蒲生峠 登山口付近のMAP |