赤穴瀬戸山城(衣掛山)・武名ヶ平山(ぶながひらやま) 島根県飯南町

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2011年7月24日

登山口 →0:25→ 赤穴瀬戸山城 →0:10→ 武名ヶ平城跡案内板の立つ平坦地

 →0:35→ 武名ヶ平山 →0:25→ 武名ヶ平城跡案内板の立つ平坦地

 →0:10→ 赤穴瀬戸山城 →0:15→ 登山口

全歩行時間 2時間 0分

 富士山登山前、最後のトレーニングはやはり島根県。今回は山口県の山(山と渓谷社)の著者、中島先生と久しぶりに新しい山、衣掛山に造られた赤穴瀬戸山城跡へ向かう。

 登山前に赤穴瀬戸山城についての知識を仕入れておく。飯南町の案内によれば、この城は赤穴氏の居城として衣掛山に造られた中世の山城である。出雲・石見。備後の国境に位置することから各時代を通じて重要な役割を果たし、江戸時代には堀尾家の重臣松田氏が入城、石垣を築くなどの整備を行っている。

 天文11年(1542)には尼子・赤穴軍と大内・毛利軍との間で、城を舞台とした赤穴瀬戸山城籠城戦が繰り広げられた。

 以下も飯南町の案内によるものだが、尼子氏(安来市広瀬町月山富田城)と中国地方の覇権を争う周防の戦国大名大内義隆は、天文11年正月、自ら総大将となって尼子討伐の軍を興した。大内軍の襲来を前に、出雲の諸豪族が大内方に降る中、赤穴氏(飯南町赤名 尼子方)は、尼子への厚恩に報いるため大内軍との戦いを決意する。

 天文11年3月、赤穴攻略を前に石見国出羽二つ山城に集結した大内軍は、毛利元就らの安芸勢をはじめ、石見・備後の諸将を併せ、4万の大群となっていた。これに対し赤穴軍は、神戸川をせき止め城下を湖水化。尼子氏の本拠地月山富田城からの援軍1千を併せ2千の兵で籠城戦を展開し、地の利を活かして大内軍を翻弄する戦いを広げた。

 2ヶ月に及んだ攻防戦の末、赤穴瀬戸山城の城主光清は戦死、城は開城したが、出雲攻略の緒戦となったこの戦いで大内軍を長期にわたって足止めしたことは、来るべき月山富田城における決戦で尼子方を勝利へと導く要因となったと説明されている。 

道の駅赤名高原から眺める赤名瀬戸山城 「憩いの郷 衣掛」の案内に従い国道を左折

 登山の起点は道の駅赤名高原、道の駅を出発し、国道54号を広島方面へ進む。「憩いの郷 衣掛」の案内に従い国道を左折、次に突き当たりを右折する。そのまま150m程度南へ進むと、左に赤穴瀬戸山城の案内が掛けてあるので分岐を左折、右に小学校を見る。左に「明晴山西蔵寺」の案内の立つ広い場所があるので、車を置いて登山を開始する。

突き当たりを右折 案内に従い左折

 少しの坂を進むと左右の分岐が現れ、右には「瀬戸山城登山道入口(頂上まで1000m)」の案内が立っている。案内に従い分岐を右折、右に畑と小学校を眺めながら道なりに進む。道ばたにはあじさいが咲いており、美しい花を観賞する。

駐車場を出発 案内に従い登山道に入る

 この先の石段を登れば、左に稲荷神社が現れる。稲荷神社に参拝、分岐から200m先に松田左近の墓があると案内されている。舗装路方面へ向かって少し下り、すぐに登り返した場所に松田左近の墓が建立されていた。

案内に従い進む 稲荷神社の分岐

 松田左近は近江の国の出身で豊臣秀吉に仕え、後に堀尾吉晴の家臣になったと伝えられている。関ヶ原の戦いの後、堀尾吉晴が出雲の国に入封すると、左近は赤穴瀬戸山城を賜り城主としてこの地に赴いた。松田左近は赤穴瀬戸山城に石垣を築き、近世城郭化をさせるとともに、それまで古市(飯南町下赤名)にあった赤名の街を城下に移転させ城下町として整備したそうだ。

稲荷神社へ参拝 松田右近の墓所

 稲荷神社を経由して元の分岐まで戻ると、赤穴瀬戸山城までは残り800m、登山者心得を読んで登山道を進む。自然林の下、尾根を折り返しながら高度を稼ぐ。頭上を覆う緑が美しく、真夏の山歩きにはこの緑のカーテンがとてもありがたい。

自然林の下を進む 頂上まで500m地点

 まもなく頂上まで500mの案内を通過、整備された登山道をのんびり登れば大して汗もかかない。やがて山頂方面が南に広がってくるが、この先平坦な登山道を東へ向かって進むことになる。

平坦な道を進む 山頂まで200m

 山頂まで200mの案内を通過し、頭上を覆っていた自然林が切れると進行方向は南へ向く。少しの坂を登れば、山頂周辺が綺麗に伐採された赤穴瀬戸山城跡が現れた。大手門跡を通り、そのまま第二郭へ向かう。

大手門跡 案内

 案内によると、赤穴瀬戸山城の郭の変遷は、少なくとも三期に分かれており、第一は赤穴氏による築城(14世紀半頃)の時期、第二は毛利氏による改修(16世紀後半)、第三は堀尾氏による改修(江戸時代初頭)の時期である。堀尾氏による改修は、城域西側の面積を拡張し、一部に石垣を構築したもので、石垣を構築した範囲が主郭から第5郭である。確かに主郭下には堀尾氏の改修当時の石垣が残り、歴史を感じさせる城跡を眺める。

山頂を見上げる 石垣

 そのまま主郭へ向かって岩の道を登れば、すぐに瀬戸山城本丸の衣掛山山頂へ到着、周囲360度に広がる展望は美しい以外の言葉はない。南には飛び抜けて美しい山容の女亀山、西には大きな石見冠山がそびえている。

眼下に赤名の町並 山頂

赤穴瀬戸山城跡(衣掛山)から眺める展望(動画)

 北西方面にはひときわ高い三瓶山も確認、眼下に広がる下赤名の風景が美しい。体中にさんさんと太陽の日差しを浴びながら眺める景色も悪くない。周囲に広がる展望をゆっくり楽しんだ後、次は武名ヶ平山方面へ向けて出発する。

武名ヶ平城跡へ向かう 東郭群へ向かう

 東郭群の案内を過ごし、平坦な道を進むとすぐに東郭群跡へ到着。赤穴瀬戸山城の主郭の東側、武名ヶ平城跡へ延びる尾根筋に築かれた郭が東郭群であると案内されている。東郭群から坂を下ると平坦な郭跡を過ごす。

東郭群 平坦な郭跡

 そのまま尾根を進むが、頭上は自然林に覆われ、暑い日差しは遮られている。やがて武名ヶ平城跡の案内の立つ場所へ到着、この場所は赤穴瀬戸山城の東端部で、武名ヶ平城の城域と近接する位置にあたる。また、武名ヶ平城は、毛利元就による赤穴攻略の際も、赤穴瀬戸山城を見下ろす武名ヶ平山に築かれた陣城といわれ、赤穴瀬戸山城に向かって小規模な削平地が構築されているそうだ。

平坦な尾根を進む 自然林が美しい

 更に案内によれば、三角点のある武名ヶ平城の主郭部分と現在地との標高差は120mである。通常の登山であればここまで来れば充分であり、登山初心者でも道に迷う心配はない。我々はこの案内にある武名ヶ平城の主郭を求めて更に登山を続ける。

武名ヶ平城跡の案内板の立つ平坦地 武名ヶ平山へ向かう

 この先から当然踏み跡は怪しくなるが、尾根道に従い、南東方面へ向かって高度を下げる。このあたり、道に迷いやすいので目印のテープを巻きながら進む。すぐに鞍部に着き登り返す。周囲を眺めれば自然林が美しい。急な坂を踏ん張ればすぐに平坦な郭跡に到着。

急な坂を登る 迷いやすい郭跡

 この先尾根沿いを東へ向かって進むが、厳しいヤブではなく、樹林を迂回しながら進めば大丈夫。途中で一箇所展望の開けそうな場所に着くが、やはり木の間越しの展望程度である。足下を注意してみると、平坦な場所が段々に築かれているようだ。

大岩が横たわる 展望は開けない

  時折現れる大岩が新鮮な感じを与えてくれる。やがて三角点の置かれた平坦な武名ヶ平山へ到着。この場所が武名ヶ平城の主郭と思われる。現在は頭上を自然林に覆われているが、築城当時には赤穴瀬戸山城を見下ろすことができたのだろう。平坦な山頂にて記念撮影の後、山頂を出発。下りは目印のテープに従い下ればよい。

武名ヶ平山の山頂は平坦な郭跡

武名ヶ平山の山頂風景(動画)

 下山途中に土塁跡とクマのひっかき傷を確認、鞍部から登り返せば武名ヶ平城の案内のある場所へ到着。ここまで戻れば登山道も整備されている。来た道を引き返し、赤穴瀬戸山城の大手門へ到着した。

土塁跡 クマのひっかき傷

 時刻は昼になったので、木陰の涼しい場所に座り込み、豪華昼食を摂る。今回は久しぶりにカップヌードルとおむすび2個を完食。昼食後に赤穴瀬戸山城を散策、第3郭・南西郭群の案内に従い郭見学をする。

第三郭 南西郭群

 南西郭群を見学し、周囲に南登山道に至る道を探したが、伐採された木々に遮られたせいか、登山道を見つけることはできなかった。そのまま大手門まで戻り、瀬戸山城跡を出発、元来た道を引き返し、下山を開始する。来たとき以上に明るい登山道を下れば、すぐに登山道へ到着した。

赤穴八幡宮へ参拝

 次に向かったのは赤穴八幡宮、神社の由来によれば宝亀元年(770年)松尾神社は社殿を創建。平安時代に京都岩清水八幡宮の荘園五十町歩が置かれ、その社領鎮守として赤穴別宮が松尾神社に併置された。出雲八所八幡の一つで飯石郡日蔵荘、石見国邇摩郡大国保の各社領管理も行っていた。南北朝以降、神領は左和赤穴氏の所領となり、岩清水八幡宮領は無くなった。

赤穴八幡宮本殿 尼子毛利古戦場と赤穴瀬戸山城

 永正15年(1518)尼子氏が出雲国を統一して以来明治維新まで、代々国王、藩主の祈願所として崇敬篤く奥飯石17村の総社として明治に至ったと案内されている。立派な神社に参拝、広い境内を散策した後赤穴神社を出発、展望地から赤穴瀬戸山城を眺めた後、神社から北へ位置する尼子毛利古戦場の風景を眺める。戦国時代のこの地は戦略上重要な場所であったことだろう。

赤穴瀬戸山城跡

展望

赤名の町並み

遠くに女亀山

武名ヶ平山

武名ヶ平山山頂

麓から眺める赤穴瀬戸山城跡

 前の山 三瓶山 西の原コース を見る

 次の山 女亀山 神戸川源流コース を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 島根県飯南町 赤穴瀬戸山城 登山口付近のMAP

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