トップ アイコントップへもどる                  ホームに戻る

直線上に配置

隠岐観光企画書

隠岐島観光

日目

平成20年9月6日

隠岐の島町→海士町→知夫村→西ノ島町
   海士町 隠岐神社・後鳥羽天皇御火葬塚・明屋海岸・金光寺山
   知夫村 アカハゲ山展望台・隠岐知夫赤壁
   西ノ島 摩天崖・国賀海岸

フェリーしらしまに乗り隠岐西郷港を出港

途中で高速船レインボー号を見た

三郎岩

海士町のキンニャモニャセンター

隠岐神社

後鳥羽天皇を祀る隠岐神社

 第82代後鳥羽天皇は文武両道に秀で、特に和歌の道に造詣が深く、勅撰「新古今和歌集」は後鳥羽天皇の詔になるものです。後鳥羽天皇は承久3年(1221年)隠岐国海海士に配流され、在島19年の後、延応元年(1239年)に崩御されました。
 在島の間、多くの秀歌を遺され、中でも遠島御百首は院の絶唱として知られています。隠岐神社は昭和14年に天皇没後700年祭を期して造営されました。社殿は独特の隠岐造りです。

 

雨の隠岐神社(動画)

後鳥羽天皇御火葬塚

後鳥羽天皇行在所跡

明屋海岸

 

明屋海岸(動画)

宇受賀命神社

金光寺参道

金光寺山

昼食場所の船渡来流亭

内航船にて知夫村来居港へ

知夫来居港

ループ橋を通る

知夫の西端から西ノ島の鬼舞展望所は目の前

アカハゲ山展望台

 

アカハゲ山展望台から周囲の展望(動画)

アカハゲ山展望台を眺める

仔牛の群れ

隠岐知夫赤壁(おきちぶせきへき)

 切り立った赤い岩肌から地元では「あかかべ」又は「あかだき」と呼ぶが、国の名勝に指定したときに中国の「赤壁の戦」にちなみ「せきへき」と名付けられた。
 最も高い場所で200mあり、岩の大部分はアルカリ玄武岩からなるが、赤い岩脈は、祖面安山岩質玄武岩に由来する凝灰岩に含まれる多量の鉄分の酸化による。黄色の岩肌は、鉄分の分解の結果、鉄みょうばんを生じたものである。
 「竜宮乙姫の赤帯」とも呼ばれている赤い岩脈を垂直に立ち切る白っぽい岩は、「龍のぼり」と呼ばれる粗面岩である。乙姫の帯にしては随分荒々しいが、沖から見れば納得出来る。(知夫村観光協会)

名勝 隠岐知夫赤壁

 

隠岐知夫赤壁(動画)

赤壁の下の岩場

知夫の道路は牛優先

美しい海岸

後醍醐天皇上陸の地

 後醍醐天皇は、元弘2年(1332年)3月7日京都を出発して、半月位で出雲の国の美保関に着き、風待ちをされた後、隠岐に出立した。
 天皇一行は最初に知夫の港に上陸した。この海岸で天皇は一個の石に腰掛け、船の疲れを癒されたという。知夫村ではこの石を「後醍醐天皇お腰掛けの石」といって大切にしている。現在は郡地区にある一宮神社境内に移して玉垣をめぐらして祀っている。(知夫村教育委員会)

トウテイランの群生

島津島に架かるお松橋

知夫 島津島の海岸線

島根の名水百選 河井湧水

  河井湧水は後醍醐天皇が隠岐配流の際、一時滞在された松尾山松養寺の麓にあり、昔から万病を治す霊水として島民の信仰を集めているそうです。

海から眺めるアカハゲ山展望台

内航船

西ノ島の摩天崖へ向かう途中、道を歩く牛たち

西ノ島 摩天崖

 隠岐島は180余りの島々からなる群島で、その海岸は断層と浸食によって我が国でも代表的な断崖美を見せており、296kmにも及ぶ海岸線の90%が岩石海岸、しかも80%が断崖です。特にこの「摩天崖」の高さはその名のごとく別格で、実に257mもあり、切り立った一枚岩状の断崖としては日本一だそうです。

乙姫御殿

摩天崖展望所

 この雄大な絶壁は、島前(どうぜん)カルデラの外輪山を形成するアルカリ玄武岩の溶岩台地が、日本海の強い風波によって浸食されできたものです。岩肌を見るとわかるように、溶岩流の間には火山灰や火山礫(れき)が積み重なって凝灰(ぎょうかい)岩となり、それが交互に積み重なっています。この凝灰岩部は柔らかいため特に激しく浸食を受け、このような絶壁となったようです。

 

摩天崖から眺める夕陽(動画)

宿泊先は今回も国賀荘

豪華料理

 

隠岐島観光 一日目 隠岐の島町 水若酢神社・八百杉・隠岐国分寺・後醍醐天皇行在所址
                          中村のかぶら杉・浄土ヶ浦海岸・岩倉の乳房杉・白島海岸
                          福浦トンネル・ローソク島遊覧 

隠岐島観光 三日目 西ノ島町 国賀海岸遊覧・摩天崖・赤尾展望所・鬼舞展望所・黒木神社

 

 直線上に配置

トップ アイコントップへもどる                  ホームに戻る