周防大島八十八ヶ所霊場巡拝記2日目 平成21年1月11日 今日から本格的な巡拝を始める。第40番札所の遍照庵に着き、御朱印帳に押印したが、インクが薄くてほとんど写らなかった。遍照庵にて昨日同様お線香を3本、ろうそくに火を灯し、本日最初の般若心経を読み始める。すると背後に人の気配がし、外で巡礼の方が般若心経を唱え始めた。流暢な読経を背後に聞きながら、初心者の私の声は小さくなった。
遍照庵を出発、道なりに東へ200m程度進むと、右のカーブミラーに44番札所の案内があるので右折、すぐに番外中村地蔵堂に着く。近所の方とお話をしていたら、お供え物を頂いて欲しいと言われたが、要領が分からず辞退。少しずつ作法を覚えながら歩くことになりそうだ。
番外中村地蔵堂にお参りをし、この先の国道につけられた横断歩道を渡り、南に続く舗装路を進む。横断歩道の脇には44番札所への案内があるので心強い。南に向かって400m程度進むと、後半は坂道となる。坂を登れば左へカーブし、この先から坂道を下り始める。ここでやはり巡拝をされている方に出会う。 徒歩で歩いていることを伝えると、地理に明るい方でも時間が掛かることを教えて頂いた。土地勘のない私はいったいどれくらい時間が掛かるのだろうか。少し心配になる。この方達に札所への道順を教えて頂いたので、右手を注意して歩いていると、44番札所の案内を確認。案内に従って右折し進めば、第44番札所常照寺に到着した。このお寺を入口から見ると、左右の枯れた大木が門柱のように見えた。
常照寺を出発、道なりに東へ向かって坂を下りて行けば、北には銭壺山、南東には文珠山が美しい。常照寺からは650mで第43番札所幻性寺に到着、右手のお堂に向かい参拝をする。長尾山幻性寺は浄土宗のお寺で、開山は1619年と歴史あるお寺である。
幻性寺を出発、この付近でガイドにある「奥」を探すため周辺を散策したが分からなかった。西に大きく遠回りをし、三蒲川にかかる橋を渡り、県道107号文珠山公園線に合流した。この頃には「奥」探しを諦めて46番札所へと向かう事にした。県道を更に進めば左手に46番札所の案内を見て左折する(この道は車では不可)。そのまま道なりに進めば、舗装道が切れ、狭いコンクリートの敷かれた坂に向かう。急な坂を登れば車道に出合い、車道を左手に向かって進む。坂道を汗をかきながら登れば、幻性寺からは65分で第46番札所松尾寺に到着した。
昼を過ぎたので、松尾寺のベンチに座り昼食を摂る。丁度日射しが戻ってきたので暖かい場所にてゆっくり休憩を取った。昼食後、松尾寺にお参りして坂を下りていると、地区の方2人が松尾寺に向かって居られた。この方達にこの付近にあると思われる「奥」の場所を聞くと、それは観音堂の事だろうと言われるので再び松尾寺に戻り、松尾寺の奥にある「観音堂」に参拝した。ところがこれは「奥」では無いような気がした。松尾寺は島内最古の寺で大同元年(806年)に弘法大師により開基、この観音堂に安置されている木造二天王立像は昭和41年に山口県の重要文化財に指定されている。 松尾寺で出会った参拝者が「車道で奥の案内を見た」というので、帰りは車道を下りて帰ることにした。ところが県道107号まで下り、文珠堂との分岐に着いても案内が無い。川沿いに県道を下ると、県道の合流点から300m程度下りたところに「番外西畑の大師堂」を見つけた。この大師堂は畑公会堂憩いの家と併用されているようだ。
西畑の大師堂を出発、更に下ること200m付近から左手に上がれば奥の院が祀られていた。書かれている文字が擦れているので、苦労して読むと「周南八十八箇所」の奥院と書かれているようだ。奥院を出発し、県道107号を道なりに下り、国道437号に向かう。文珠山入口交差点を右折し、国道437号を東に進めばバス停「周防東浜」先の左手に第41番札所地福庵が待っていた。
地福庵を出発、バス停先を右折すると第42番札所の案内を見る。少し進んで左折し、その先には第42番札所正道庵が立っていた。正道庵に横には港公会堂と兼用の港高齢者生きがい活動施設が併設されていた。この付近から眺める琴石山は美しい。 正道庵を出発、徒歩なのでそのまま道なりに峠越えをする。早咲きの水仙を観賞しながら少し進めば左手に道は分岐し、峠を越えれば未舗装となる。峠を越えた先で道は左右に分岐したので右の道を採り進んだ。この選択は正しかったようで、暫く歩いていると擦れた字で「山崎大師堂」と書いてある案内をカーブミラーに見つけた。本来ならこの案内を見て右折するのが正しいが、間違えてこの先の道を右折してしまった。
途中でおかしいなと思い、引き返して周辺を探したがこの時には正しい道を見つけることが出来なかった。そのまま道なりに進めば椋野小学校手前に着いた。付近に掲示された案内に従い、南に向かって進む。分岐から700m程度進んだ場所で第49番札所へは右の分岐に入った。間もなく案内標識に従って北に向かって下りると第49番札所薬師堂に到着した。
次は第47番札所、分岐した場所まで戻り、右にカーブを描きながら進んで行くと正面にお寺が見えてきた。左から右に向かってカーブを描きながら進むとすぐに第47番札所天浄寺に到着した。残念ながら、このお寺には鍵がかかっており、中に入ってお参りすることは出来なかった。 天浄寺を出発、いよいよこれからロングコースだ。国道437号まで下ると交差点の先に「周南八十八ヶ所第47番奥院」を過ごす。この頃より、ガイドに書かれている「奥」とはこの周南八十八箇所の奥院の事ではないかと思い始める。東椋野のバス停先に茂兵衛堂の案内を見るが、時刻は午後5時前なので先を急ぎ、国道を久賀に向かって進んで行く。途中の公園を眺めながら進んでいると雨が降り始めた。
バス停「新椋野」の先に「グリーンステイながうら」への分岐を過ごし、更に歩けば椋野緑地を過ごす。時間の経過と供に周囲は少しずつ暗くなり、間もなく「宗光西」バス停を過ごした。この先の分岐を右に入りもう少し進むと、天浄寺から歩くこと丁度1時間で第48番札所摂心庵に到着した。時刻は午後5時34分となっていた。
周囲はもう暗くなっているが、54番札所に向かう。道なりに東に進むこと300mで右手に第54番の案内が見えたので右折、そのまま南へ向かって進めば正面に第54番札所の円明寺に到着した。もう遅いので札所巡りは諦めて第53番札所手前に配置した車に向かって進むことにした。 円明時の道を東に進めばスーパーのピクロスと中央フードを見るが、どうもいつも眺める角度と違う。周辺を散策するがどうも道に迷ったみたいだ。周囲は暗く、段々不安になりとても心細い。そこでもう一度円明寺まで引き返し、慎重に中央フードの横を通り東に向かうと、目の前には見覚えのある久賀中学校が見えてきた。 これでようやく安心、そのまま第53番札所に向かえば札所の手前に車を発見、周囲は真っ暗闇になっていた。朝が遅かった分計画通りに歩けず、丁寧に参拝するので時間の余裕を持った巡拝が慣用である。明日はもう少し時間の余裕を持って歩くことにする。途中でバイクを回収し無事帰宅。今日は足を酷使しすぎたようだ。
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