操山(みさおやま)岡山県岡山市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トップに戻る 2014年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順 2014年1月13日 操山公園里山センター →0:20→ 明禅寺城跡 →0:15→ 萩の塚古墳 →0:05→ 操山山頂 →0:25→ ふれあいの辻 →0:05→ 旗振台古墳 →0:10→ 操山公園里山センター 全歩行時間 1時間20分 岡山市中区の龍ノ口山を出発し、次は同じ岡山県中区にそびえる操山へ向かう。操山へ向かう登山口は岡山県中区沢田の「操山公園里山センター」で、センター内に整備された駐車場に車を置き、里山センターで「操山ガイドマップ」を頂いた。できれば一周回りで里山公園を散策したいので最初に明禅寺城跡を目指す。
里山公園センター前を北東方向へ進む。恩徳寺は通り抜け禁止となっているため、外の道を通り、大きな石灯籠が前方に見えてきたら、分岐を左折する。そのまま奥(西)へ進み、果樹園横のあぜ道に入ると、遍路道の小さな案内が木に掛けてあった。
この案内を頼りに北西方向へ道なりに進むと、目の前に竹藪が現れ、その先の分岐に「操山自然休養林」の看板と明禅寺城址400mの案内が立っていた。ようやく現れた看板に安心感がひろがり、案内に従って道なりに進む。
山腹につけられた道をジグザグに高度を上げると、東屋の置かれた明禅寺城址の展望地へ出た。南西方向を見晴らす展望地からは岡山市の中心部が見えており、里山センターへの方がこの城址へ行くよう薦められた意味がよくわかった。
城跡の案内には、この城跡から東に約8km離れた地に所在していた亀山城(岡山市沼)を居城にして、戦国大名への成長期にあった宇喜多直家が、永禄9(1566)年に岡山平野と西隣の備中国への備えに築いた前衛基地の出城である。翌年に備前国への侵攻を図った備中国の三村勢に占領されたが、宇喜多直家は奪還を果たすとともに三村軍を迎え撃って完勝し、その大勝振りが明禅寺崩しと呼ばれたそうだ。
休憩用の東屋を出発、進路を南西方面へ採る。すぐに分岐が現れ、進路を左に採ればふれあいの辻だが、ここでは萩の塚古墳方面へ進む。急な坂には横木の階段が整備され、大岩を眺めながら高度を稼ぐと、やがて萩の塚古墳の前に着く。古墳は円墳になっており、意外と中部は広く感心した。
古墳跡から道なりに西へ向かうと、大岩が目立つ場所を通過、更に西へ進むと少し高くなった場所に操山の山頂が置かれていた。山頂には三等三角点が置かれているが、周囲には木々の背が高く、展望を得ることはできなかった。 操山山頂と三角点 山頂を出発し、次は進路を南へ採る。カナメモチのトンネル道と案内される遊歩道をわずかに進むと、左に岩の目立つ操山園地へ着く。少し下には東屋の置かれた展望所があり、眼下には岡山ドームなどが見えており、岡山市街を見晴らす展望地となっていた。 操山園地の大岩と展望 眼下に広がる展望を眺めて操山園地を出発、道なりに坂を下ると「おちない石」と案内される大岩を眺める。更に進むと、「護国神社」の案内のある分岐へ到着、ここで分岐を左折し坂を下る。次の分岐では旗振台古墳の案内に従い坂を登り返し、ふれあいの辻まで進む。
里山センターへはそのまま直進すればわずかで着くが、旗振台古墳にも興味があったので、今度は旗振台古墳へ向かってみた。古墳までは330mなので、とても近い。ほとんど平坦な道を進み、最後に少しの坂を登ると、左に東屋のある展望地を過ごし、更に奥へ向かうと旗振台古墳である。
案内には、古代の瀬戸内海沿岸航路を前面に望む尾根頂部に築かれている方墳であると記してあった。展望地からは南へ展望が広がっており、その先にはアンテナを頂いた金甲山も確認することができた。 旗振台古墳の展望地から眺める風景 この展望地で操山登山は終了とし、下山を開始する。先ほどのふれあいの辻のまで引き返し、案内に従い里山センターへ向かう。わずかで里山センターの駐車地へ到着、一周回りのハイキングは無事終了した。これで今回の岡山遠征は無事終了である。 麓から眺める操山 操山山頂 操山園地から眺める風景 旗振台古墳から眺める風景 前の山 龍ノ口山 を見る 次の山 六甲山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 岡山県岡山市 操山 登山口付近のMAP |