2006年2月25日(土曜日)

万福寺山・莇地(あどうぢ)山

登山口 一の坂集落最後の家 

ガイド本 季刊 ゆうゆう 21号

登山開始 →15:50→ 万福寺山到着 →16:13→ 万福寺山出発 →16:21→ 莇地山到着

   →16:45→ 莇地山出発 →17:01→ 万福寺到着 →17:36→ 下山終了 →17:55

登山開始 →0:23→ 万福寺山到着 →0:08→ 万福寺山出発 →0:24→ 莇地山到着

 →0:16→ 莇地山出発 →0:35→ 万福寺到着 →0:19→ 下山終了

登山時間 2:05

 旧軍事施設の遺構と秋葉様・阿品様の祠を訪ねて徳山の万福寺山・莇地山に登ることにした。

 莇地集落から炭倉山に登った後、国道315号まで戻り、須々万寄りに少し進んで万福寺山への登山口、中電巡視路を探すが判らずセブンイレブンまで行く。これは明らかに行き過ぎなので引き返すと、徳山方面に向かって左手に空き地がある場所に車を停め、やはり左側に「徳山9km」標識を見た手前右側に民家がある。この民家の横が万福寺山への「一の坂コース」登山口となっているので車を降りて登山を開始する。

民家の横の中国電力の巡視路に向かう

 民家の前にはこの家の方が居られたので、道をお聞きし、通行の許可を頂き中電の巡視路に向かう。すぐに暗い檜の植林帯に入り、少し進むと右上に向かって急なジグザグの道となる。いきなりの急坂なのでゆっくりと高度を上げて行く。

少し奥に進むと右上に向かって急なジグザグの道となる

 中国電力の巡視路特有の黒いプラスチック階段を登って行くと、登山開始から10分で鉄塔に到着、さらに鉄塔広場を過ぎて坂を登る。巡視路は広く歩きやすくなっており、迷うことはない。少し坂を進むと尾根道となり、快適な道を気持ちよく進んで行く。

巡視路特有のプラスチック階段

 鉄塔を過ぎて10分で左に分岐する道を過ごし、すぐ先には煉瓦造りの旧軍事施設らしき建物を左手に見る。頑丈な造りらしく少し崩れてはいるが、戦後60年以上経過しているにもかかわらず、まだまだ骨組みはしっかりしているようだ。

旧軍事施設の遺構 造りはしっかりしているようだ

 施設を過ぎた先には中心が少し窪み、中央に丸いコンクリート基礎が敷設してある万福寺山山頂に到着した。周囲の展望はなく、ただ道の途中の広場という感じがする場所である。

万福寺山頂の丸いコンクリート

 万福寺山山頂からは一気に下り坂となり、下ること3分程度で中電鉄塔に到着する。莇地山には鉄塔手前を左に向かうが、鉄塔の先に目指す祠があるので先に参拝をする。鉄塔広場から祠のある場所の敷地内に入るとよく掃き清められた神聖な場所となっており、本コース中のハイライトの石祠が二基立っている。

左に秋葉様、右に阿品様の祠が並ぶ 手前の左右には手水鉢

 向かって左が秋葉様、右には阿品様が並んでおり、早速に祠の正面に立ち参拝をする。歴史を感じさせる石祠に対面できて感激し、更に周囲を見回すと、舟型の手水鉢が左右に置かれている。秋葉様は火伏せの神様でもあるため、燃えにくい石造りの祠に祀られているそうだ。阿品様については詳しい資料がないので判らないが、石祠をよく観察すると阿品様の正面には菊の御紋のような御印が刻まれていた。いずれの祠も麓の万福寺が管理しているそうだ。

登り尾峠に到着

 再び鉄塔広場に戻り、右に降りる道を取り莇地山に向かう。檜の植林帯に付けられた作業道を進むこと5分で登り尾峠に到着、左に進路を取ると先程までいた「炭倉山登山口」のある莇地上集落、右に進路を取ると西和奈古集落に向かうことになる。

明るい鉄塔広場を抜ける

 真っ直ぐに峠を登り返すと、落ち葉の敷き詰められた急な坂道となるが、少し進むと傾斜が緩み明るい広場に着く。広場の先には鉄塔が立っているが展望は望めず、鉄塔手前から木の間越しに炭倉山の反射板を確認することができた。

 莇地山にはさらに作業道を進み、少しの間電柱の下を進むことになるが電柱はすぐに右方向に向かって別れる。電柱と別れて最後の坂をゆっくり登ると、道はピーク手前で右に折れ、すぐ先には共同アンテナが立ち、共同アンテナの先には三角点の立つ莇地山山頂が待っていた。

莇地山山頂

 莇地山山頂からの展望は無く、山頂先の鉄塔広場に向かう。カラフルな鉄塔の骨組みの下からは西方向に須々万集落の展望が広がっている。反対側にも鉄塔があるので移動し展望を確認する。

鉄塔下から須々万集落の展望

 反対側の鉄塔広場からは北方面の展望が広がり、正面には金峰山が大きく広がり感激、右手には緑山、更に奥には長野山のアンテナまで確認することができた。本縦走において展望は期待していなかったが、最後に充分満足できる展望を得ることができた。

左に金峰山 右に緑山 奥には長野山が控えている

 じっくりと周囲の山々を観察していると、午後5時のサイレンが鳴り始めたので急いで下山を開始する。この時期の日没は午後6時前後であるが、山の中でもあるため早めの下山は鉄則のようだ。

 再び莇地山山頂を通過し、共同アンテナの下を通り下り坂を急ぎ足で降りて行く。鉄塔広場まで駆け足状態で降りた後、再び炭倉山方面の展望を確認するがやはり展望は望めなかった。

 登り尾峠を経由し、薄暗くなった檜の植林帯の中を進み、莇地山を出発して15分で先程の祠の前に到着した。二基の石祠に再度参拝し、「万福寺コース」の坂を下りて行くがこの坂がなかなか厳しい。今にも滑りそうな坂を慎重に下って行くが、上を見るといかに急な坂であるかが判った。

万福寺コースを下り、祠の立つ広場を振り返る

 手強い坂道をゆっくりと降りて行き、祠から8分で最初の民家の横を通り過ぎる。この万福寺コースはなかなか登山口が分かり難く、後ほど詳しい説明をする。民家の横を降りて行きコンビニのローソンに向かって進んでいると山の麓に万福寺が見えたのでお参りをすることにした。ローソンの奥の道を進み、正面に「霊峰山 萬福禅寺」の石碑を見て舗装道を進むと右手に「えとの守本尊」八体の立つ駐車場へと到着、左手には「しあわせ地蔵尊」「口伝 分銅塚」が立っている。

万福寺の「口伝 分銅塚」

 手前には分銅塚の説明板が立っていた。それによると‥‥江戸時代この地区は萩藩領で、杉ヶ峠のあたりに関所が設けられ、谷 清兵衛と言う人が番士として詰めていた。当時農民は生活が厳しく、闇で紙を密かに持ち出す者が居たため 清兵衛がある日それらしき男を捕まえ、番所に連れて行こうとした。ところがその際、その男は下げていた秤の分銅で清兵衛に一撃を加え、殺してしまった。そこで村人は清兵衛を手厚く葬り、分銅塚と呼んで供養するようになった。‥‥などと詳しく書いてあった。

 万福寺に参拝し登山の無事を報告し、登山口に戻ることにした。ローソンの側を抜け、国道315号の歩道を歩いて登山口に到着、無事登山を終了した。

 万福寺コースの登山口について説明をしておく。コンビニのローソンの横を抜けて万福寺に向かって進むと「霊峰山 萬福禅寺」の石碑が立っている。

「霊峰山 萬福禅寺」の石碑 この手前を右折する

 この石碑の手前を右折し、正面に民家を見て進み、民家の前を道なりに左折し、そのすぐ先を右折・左折・右折・左折と繰り返し、最奥の民家の横を過ぎた先の二股分岐を右に取ると「万福寺コース登山道」に着く。この道を辿り尾根沿いに登って行くと秋葉様・阿品様の石祠の立つ場所に着くことができる。今の時期は冬枯れて道がはっきりしているが、これから先、草が茂ってくると入口が判りづらくなるかも知れないので注意されたい。

右折・左折・右折・左折と繰り返すと登山道に着く

 本日登った「万福寺山・莇地山」では、山頂からの大展望は期待できないが旧軍事施設の遺構と二基の石祠は是非訪れて頂きたい場所である。

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歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 莇地山 登山口付近のMAP

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