韓竈神社(からかまじんじゃ)島根県出雲市唐川町

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2022年3月11日
鳥居 →0:10→ 韓竈神社 →0:08→ 鳥居
全歩行時間 0時間18分
登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 松江市の神名樋野・茶臼山登山の後、出雲市唐川町の韓竈神社へ向かう。まず出雲市の古刹鰐淵寺を目ざして進み、十六島(うっぷるい)湾から県道250号鰐淵寺線を唐川川沿いに北上、鰐淵コミニュティセンター手前の分岐に着いたらこの分岐を右折する。

 この先いくつか分岐に出会うが、韓竈神社の案内に従い進む。やがて「この先幅員減少、韓竈神社駐車場」の案内の場所に着くが、時刻は平日の16時前で参拝者はいないと思い更に奥へ進む。

韓竈神社駐車場 鳥居まで800m地点 岩舟

 普通車でも車幅いっぱいの道であり、慎重運転により韓竈神社の鳥居先にある駐車場に着いた。なお、駐車場は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が朝鮮の新羅に渡られた時に乗られた船と伝わる「岩舟」の上にあり、明治時代に韓竈神社は岩船神社とも呼ばれていたそうだ。

韓竈神社由来(クリックで拡大)
 韓竈神社神社の資料によれば、由緒について次のように書かれている。
 733年に完成した「出雲風土記」には韓銍社(からかまのやしろ)927年にまとめられた神社一覧表の「延喜式神名帳」には韓竈神社(からかまのかみのやしろ)と記載され、江戸時代には智那尾権現(ちおごんげん)と呼ばれていた。
 松江藩の地誌「雲陽誌」には智那尾権現として「麓より登ること60間ばかり、入口横1尺5寸ばかり、高さ8尺ほどの穴あり、奧の方2間ばかり、社まで通路あり」と記されている。
 社名のカラカマは朝鮮半島から渡来した釜を意味するとされている。祭神の素戔嗚尊が新羅に渡られ、我が国に植林法やタタラ製法、鍛冶技術などの鉄器文化を伝えられたとされ、カラカマのカマは溶鉱炉を意味するとも言われる。韓竈神社が鎮座する岩窟は銅鉱石を採掘した穴だとの説もある。
韓竈神社鳥居 急傾斜の石段
不安定な石段なので手摺りを利用する

 駐車地の岩舟を出発し韓竈神社へ向かう。鳥居前に着き、案内を眺めて急な階段へ取り付く。苔むした急登でロープの手摺りが設置されており、少しは歩きやすくなっているが、一般的には急斜面の石段が続き、その斜度と足場の不安定さから、入口を前にして引き返す人も多いそうだ。

慎重に登らないと危険
 また、周囲は樹林に覆われ昼間でも薄暗く、携帯の電波は届かず、まるで黄泉の世界に迷い込んでしまったような錯覚に陥りそうだ。実際に私が2013年に2回この神社に参拝しているがいずれも周囲は暗かった。今回は日差しが残っており、こんなに明るい時間に登るのは初めてである。
狭い入口の大岩 韓竈神社を見上げる
手摺りを利用して神社入口へ向かう 根の張りだした場所の右が入口

 鳥居を出発して5分程度で階段を登り切り、左側に折り返すところで神社手前の大岩を眺める。ここから金属製の手摺りを伝って高度を上げればいよいよ神社手前に着く。これから神社へ向かうためには幅45cm程の狭い岩の間をすり抜けなければならない。近年この狭い岩を産道に見立て、岩をすり抜けることにより安産祈願成就を願う人が多い。

幅45cmの狭い入口を産道に見立てて・・・すり抜ける
韓竈神社は間近

 奥に行くほど狭くなる岩へ向かい、カニの横ばい状態でお腹を引っ込め、何とか通過することができた。岩の先には大岩をご神体とした韓竈神社が祀られていた。早速神社へ参拝して安産祈願。神社にはお守りやお札などが置かれていたが、私は御朱印を頂く予定である。

通ってきた狭い入口 眼下には登ってきた道が見える
苦労して参拝する韓竈神社

 韓竈神社をしっかり見学し、狭い岩の間を行ったり来たりした後、神社を後にした。車まで戻ったところで時刻は16時40分を過ぎていた。御朱印を頂く場所は鰐淵コミニュティセンターで、17時前にセンターに着き、無事ご朱印を頂いた。

不安定な石段
手摺りが無いと登れない
韓竈神社への入口
狭い入口の先が韓竈神社
岩がせり出している
韓竈神社へ参拝

 前の山 茶臼山・神名樋野 を見る

 次の山 比婆山(安来市) を見る

歩いた足跡  
登山口周辺の地図はこちら 島根県出雲市唐川町 韓竈神社 登山口付近のMAP
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